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がん公表したアイドル、元SKE48・矢方美紀さんの〝その後〟

「鏡見るたびメラメラ」きっかけは小林麻央さん

「周りに心配をかけないためにも、きちんと伝えることを選びました」と語る矢方美紀さん
「周りに心配をかけないためにも、きちんと伝えることを選びました」と語る矢方美紀さん

目次

女性アイドルグループSKE48 の元メンバーで、現在はタレント、声優として活躍中の矢方美紀さんが〝がん〟だと分かったのは、25歳の時。4年前に、のちに乳がんで亡くなるフリーアナウンサーの小林麻央さんの報道を見てセルフチェックをしたことがきっかけでした。現状や治療のこと、今伝えたいことなどについて、YouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。

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しこりを発見「実感がなかった」

――現在の治療状況は?

今、ホルモン療法(女性ホルモンの作用を低下させることで、がん細胞の増殖を抑える治療法)をはじめて3年目です。


――がんだと分かったのは?

2018年1月にセルフチェックをしたことがきっかけで、ステージ1の乳がんということが分かりました。


――セルフチェックはどのようなことを?

私の場合は、お風呂に入ったときに体にしこりがないか触ってチェックしました。そうしたら、左側の脇に近いところに「石かな?」と思うくらい硬いしこりがあることに気づきました。

同じ乳がんでも、人によって硬さはそれぞれ、しこりがないという方もいるようです。日ごろ、自分の体をいかにちゃんと見てあげているかが、人生を大きく左右するなと痛感しました。


――すぐに病院に行った?

私は普段からできれば病院に行きたくないと思ってしまうタイプで、この時も、具合が悪くなったら行こうとしていたんです。しこりは特に痛くはなかったし、他に症状もありませんでしたし。でも、周りの人に相談したら、病院に行くべきだと。それで行きました。


――がんだと診断された時の気持ちは?

ショックというよりは、不思議だなという気持ちでした。ご飯も食べられるし、お仕事をしていても体調が悪いと感じたことはなかったし、こんなに元気なのに何故がんなんだろうって。実感がなかったんですよ。

ジェットコースターみたいな人生

――実感したのは?

検査を重ねて、再発を防ぐために、胸の筋肉を残して乳房を全て切除(全摘)しなければいけないとなったときに、初めて事の重大さを実感して、泣きましたね。

手術前に渡されるパンフレットを見たり、手術前の細胞診というしこりの細胞をとる検査の時点から不安でいっぱいでした。


――つらくなる時は……。

しょっちゅうありますよ。将来のことや、治療のこと、仕事のこと、いろんなことを、ふと俯瞰して考えて、すごく悲しくなることがある。

でも、そこで立ち止まったら死んでしまうから。少し立ち戻ってみて、そしてまた前に進むということの繰り返し。人生に失敗はつきもの、今日がダメでも、もしかしたら次には楽しいことやいいことが待っているんじゃないかと思いながら生きています。


――それができるのがすごい。

もともとは、幼少期のころからマイナス思考だったんですよ。落ち込んだら際限がない。
でも、大変なことやつらいこと、痛いことがあっても、その辛さを知っているからこそバネにして頑張れるんじゃないかなと思って。自分の人生を振り返ると、そういうところがたくさんあった。上がったり、下がったり、ジェットコースターみたいな人生。だから、下がったとしても、ちゃんと上がれるきっかけが掴みやすいのかなと思います。

仕事を続けるために公表を決めた

――なぜ公表を?

今でこそSNSマナーは改善されつつありますが、私のアイドル時代は誹謗中傷が当たり前で。がんのことも、はじめは公表しないつもりだったんですよ。でも、がんになったとしても自分の好きな仕事を続けたかったから。周りに心配をかけないためにも、きちんと伝えることを選びました。


――世間の反響は?

同情もありましたが、家族の大切さや、病気のことを考えるきっかけになったという声もいただいて。最初は不安だったけど、良かったと思うこともありました。

私はアイドル活動中はすごく人気があったわけではなかったのに、病気を公表したら世間のざわつきがすごくて。「誰かは分からないけど、乳がんになった子」って認識されたりして、病気のインパクトってすごいなと感じました。

病気になってからつながったお仕事もすごく多いんですが、デリケートな側面もあるので、きちんと伝えることがいかに難しいかを実感しています。特に1年目は日々葛藤し、戦っていましたね。


――SKE時代のメンバーからは?

卒業後の発表でしたが、プライベートで会う時にすごく心配してくれた一方で、基本的には以前と全然変わらなかった。今何しているの、活動どうしているの、選抜入りをした子には「おめでとう」と言うとか、そういう普通の会話が当たり前。みんな、私が弱音を吐かないタイプということを理解していたから、がんだから遠慮するというよりは、普段通りに接してくれたのかなと。

元メンバーと会う時間は、すごく大切な時間でしたね。


――ご家族とは?

いろいろなところで助けられました。一番甘えられて、一番私の気持ちを察してくれるのは、やっぱり家族。特別で大きな存在です。

〝がんの人〟と遠慮されることが悲しい

――それぞれに、いろんな反響、反応があったんですね。どんな反応があるとうれしいと感じますか?

抗がん剤の治療をしているときは、副作用で髪の毛や眉毛、まつ毛とかが抜けちゃうから、おでかけや仕事にウィッグをかぶるんですけど、グループ活動中はショートヘアが多かった私がロングヘアのウィッグをしていると、メンバーの子たちが髪型を褒めてくれたのがうれしかったですね。

気を遣ってる感じではなくて、本当に何気ない普通の会話の中で。はじめはウィッグをしているのは周囲から浮いているかな……と気にしていたんですが、みんなが褒めてくれたこともあって、気にすることはなくなりました。


――逆に傷つくのは?

”がんの人”と遠巻きにされるのは、正直、すごく傷つきます。普通の人と同じように生活をしたいのに、「あの子、がん患者なんだ」とか「病気なんだ」ってだけで、遠慮されちゃうことって、結構多いんです。

基本的には元気だし、ウィッグをつけているから、見た目ではがんだとは分からないんですよね。旅館の露天風呂で、ウィッグを取ったツルツルの頭を他のお客さんが見てすごく驚かれたこともありました。眉毛がへの字に下がった表情が印象に残って、自分は悪いことをしていないんだけど、悪いことをしちゃったような気持ちになって。ほかにも、何かのきっかけで実はがんなんですっていう話をすると悲しい気持ちにさせてしまったりするのがつらいんです。

落ち込む時間を目標に捧げたい

――手術はどういうことをされたんですか?

胸を手術するといっても、方法はいろいろあるんです。どの手術を選ぶかによって、金額も、自分自身への負荷も変わってきます。

例えば、私は自分の体の一部(自家組織)を使って胸を再建するという方法を選ぼうと思ったのですが、当時は今よりもマイナス10キロで、胸を作るには条件が不十分だったんです。シリコンパックなどを入れた人工の胸は入れ替え手術が必要だったりして、手術後のメリット・デメリットも考えていかないといけない――。

当時はまったく知識がなくて、「将来のことを考えて治療しなければいけない」と言われても、頭が追いつかなかったんですよね。手術までの短い期間で、いかに自分にとって良い選択をしていくかが大変でした。

だから、とりあえず目の前のことを一個一個順番にやっていこうと。まずは乳房の切除だけをして、その結果をみて治療していくことに決めました。


――現在の方針はどのように?

再建をしない決断をしました。左の胸は乳首を含めて何もありません。覚悟していたことだったので、落ち込みはしませんでした。

3年経った今でも、毎日鏡で傷のある自分の体を見て、「今日も1日がんばろう」っていう闘志がメラメラと燃え上がるんです。今日という日があるのは、大変な日々を乗り越えてきたからなんだって。


――抗がん剤治療もされているんですよね。

今の治療は、毎日薬を飲んで、数カ月に1回病院で注射をするっていうことだけ。抗がん剤治療後の数日間以外は、特に体調が悪いということもないです。

抗がん剤治療後は、私の場合は、脱毛のほか、節々の痛み、頭が痛い、クラクラする、食欲がわかない、お通じが悪くなるなどの症状があります。


――それで仕事と両立されているのがすごいです。大変そうですね……。

めちゃくちゃ大変でしたね。体調が良くない日が続くとご迷惑をおかけしてしまうから、抗がん剤を打つタイミングや通院の日を考慮してスケジュール表とにらめっこをしています。

限りある人生、悔いなく

――将来についての悩みは。

抗がん剤治療で生理が止まってしまったんですが、お医者さんにこのまま生理がこなくなる人もいないとは言い切れないと言われて。だから、子どもを産めるか分からないし、結婚やお付き合いもできないと思ってしまって、つい恋愛事を自分から避けてしまいます。

でも、恋愛は私のすべてではないし、むしろほかに楽しいと思えることがありすぎて。絶対に恋人を作ろうとか、結婚をしようというよりは、その時間を全部、夢や目標にかけたいと思っています。


――病気で人生観が変わった?

変わりますね。人生にはちゃんと終わりがあることを実感して、一度の人生のなかで、どれだけ人を大切にできるかとか、自分のやりたいことを悔いなく楽しめるかを考えるようになりました。

――今の夢は?

芸能界で生涯を終えるというのはひとつの夢。ただ芸能人だからということではなく、すべての人との出会いに感謝していきたい。

病気になってからいただくお仕事や経験させていただくことも、もちろん感謝しています。でもそれだけではなくて、純粋に私のことを知らない人が、今やっている声優やラジオ、ナレーションのお仕事を通じて「この子気になるな」というところから、私という人間を知っていただけるようになりたい。


――最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

どうか〝がん〟を他人事に考えないでください。誰もが「知らない」では済まされないこと。いつか全部自分に返ってくるかもしれないことです。

今がんでつらいと思っている人は、自分の好きなことが何なのか探してみたり、家族や大事な人のことを思い浮かべてみてください。人生の長さは人それぞれだけど、そのなかで「自分が”自分”でよかった」と思える瞬間がきっとあると私は信じているんです。

私は芸能のお仕事が本当に好きだから、病気で諦めたくなかった。がんになったことも含めて自分の人生なんだなと思って生きていきます。(取材・たかまつなな、監修・産婦人科専門医 稲葉可奈子氏)

 

たかまつなな
株式会社笑下村塾 代表取締役。1993年神奈川県横浜市生まれ。時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かりやすく伝える。18歳選挙権をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」を全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。
 

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