地元
全国1741「すべての市町村」撮影した写真家に依頼が絶えない〝秘密〟
「特別個性が強いわけではないけれど」
大学時代に日本全国の市町村を撮影した写真家の仁科勝介さん(25)。全都道府県を巡る旅はよく耳にしますが、それが1741の全市町村だったと聞いた時は、正直「驚き」よりも「興味」という気持ちになりました。「なぜ、そんなことに挑戦したのか」。そう思い写真を見ると、同じ写真家としてまねできない距離感の近さがありました。写真集を出版、フリーランスになっても次も目標に向けて走り出している仁科さん。自治体や企業、個人からも依頼がくるという魅力とは? 本人の言葉から探ります。(写真家・相沢亮)
カメラを持つまでは、部員が約80人所属する地元の強豪校で野球に熱中していました。当時は、4番打者を務めていたそうです。
夏の引退で燃え尽きて、次に打ち込むこととして選んだのが写真を撮ることでした。
初めて持ったカメラはNIKONのD3300。貯めてあったお年玉を使い、5万円で購入したそうです。
受験勉強の傍ら、普段の生活のふとした瞬間、家族、友人などを撮影しました。
今の日常に寄り添うような自然な写真のスタイルはそのときに確立したそうです。
「撮りたいものを撮る、何気ない瞬間を残す」という優しい写真に今も多くの方が魅了され続けています。
印象的だったのは、その物腰の柔らかさです。
実は、全国の市町村を周る前、大学1年生の夏休みに九州一周をしています。その時の手段がヒッチハイクでした。
「待つのは平均20分くらいですかね。車が止まりやすい場所にいるのがコツです。なかにはきゃしゃで可哀想と思ったからと車を止めてくれる方もいました。人の優しさをあらためて知ることができました」
本当に、そんな簡単にできるのかと疑問に思いましたが、仁科さんの人柄が、相手の優しさを引き出しているのかなと感じました。終始物腰が低く柔らかい話し方が人の警戒心を解くのでしょう。彼の作風の秘密のひとつを知ることができたような気がしました。
九州一周の旅を終え、知らない町から知らない町へ連れて行ってもらったことで、逆に「日本のことを何も知らないと思うようになった」という仁科さん。
日本全国一つ一つの市町村を巡りたい、ちゃんと日本について知りたいという気持ちが日々強くなっていったそうです。
日本一周の旅は計画的に進められました。大学3年生の前期までにゼミと卒業論文以外の全単位を撮り終え、週5のアルバイトで資金を貯めて2018年の3月末に日本全国の旅がスタートしました。
交通手段の多くは、原付きバイク(スーパーカブ)だったそうです。
ただ初日に予期せぬ大きなトラブルが……。
「走行中に転倒してしまって、右膝に全治3カ月ほどのけがをしてしまいました。初日に病院の天井を眺めているとは思いませんでした。その後、しばらく親戚の家で面倒を見てもらいました」
写真家の一人として仁科さんの作品を見た時、驚くのはその距離感です。
自然体の表情を一番引き出すことができるのはその方の家族など身近な方々だと思っています。その自然な距離感を自然に作ることのできる仁科さんの凄さが写真を通じて伝わります。
それは旅という経験が育んだものだったと仁科さんは語ります。
「全国の市町村での美しい風景はもちろんですが、多くの方々も温かさに触れることができました。旅先での宿泊場所の多くは、ゲストハウスや友人の家などでしたが、茨城県でお会いした夫婦の方々のお宅に1カ月半ほど泊まらせてもらったこともあります。旅の後半でクラウドファンディングを通じ、多くの方々に支援も頂きました。たくさんの出会いに本当に感謝です」
旅先での写真の数々は風景のみならず、旅先の方々との温かい触れ合いの瞬間や笑顔。自然な瞬間の写真はそういった人との触れ合いを大事にする仁科さんだからこそ写せるものなのかと感じました。
「日本は広さを改めて感じ、土地の文化、歴史、食に触れるたびに知らないことが増えていき、全市町村を巡っても日本のわからないものが多く、まだ知りたいことがたくさんあります」
大学卒業後、地元である岡山県倉敷市の写真館に入社し写真を学びました。
そして、その年の8月に『ふるさと手帖 あなたの「ふるさと」のこと、少しだけ知ってます。』(KADOKAWA)を出版します。
Twitterでつながったコピーライターの糸井重里さんをはじめ、旅先で出会った多くの人たちの応援もあり、初の著書は多くの反響を呼びます。
9月下旬に渋谷PARCO「ほぼ日曜日」での個展(「写真展1741のふるさと」)を開催。それをきっかけに上京を決めました。
「このタイミングで上京しないと後悔すると思いました。ありがたいことに応援してくださる方がたくさんいてくれて、会場でも多くの温かい声を頂きました」
旅先で風景を撮ってくるということに加え、全国の方々との優しい触れ合いを大事にする仁科さん。写真展(2022年2月に札幌市のカフェFAbULOUSでの『奥尻日和』)や、舞台挨拶の登壇(2022年1月にアップリンク吉祥寺で、尾道市で知り合った須藤蓮さんが監督をつとめた映画『逆光』上映に際して)、連載企画(千代田区立障害者福祉センター)など、出会いをきっかけに活動の幅を広げてきました。
特に印象的だったのが『逆光』の舞台挨拶の光景です。
目の前にいるお客さんが緊張しない空気感を、笑顔で来てくれたことに感謝を述べ、お客さんと目を合わせ、言葉のひとつひとつにしっかりと耳を傾けることなどをして、自然に作り上げていました。こういう積み重ねが自然体の笑顔が生まれる理由なのでしょう。
そんな仁科さんが次に挑戦したいのは、ちょっと意外なことです。
「あまり写真は関係ないのですけど、農業に触れ合ってみたいです。食に対して何も知らないままで良いのか、今年は日本の食、農業に関して向き合ってみたい」
そう語った取材の3週間後には実際に知り合いの方を通じて農業を始めていました。
今年は「食」と「農業」を自分なりに考えたくて、知り合いの方にお願いして、農地に通わせていただいています。全くの素人だし、毎月少しずつだけど、つべこべ言わずに、体を動かす。食と自然と土と向き合いたいです。 pic.twitter.com/fRuYu8MUuA
— 仁科勝介|KATSUSUKE NISHINA (@katsuo247) February 15, 2022
現在、仁科さんのTwitterでは収穫や田んぼでの作業の様子が日々更新されています。
そこには、どこまでも「ふるさと」で暮らす人々の思いがあるそうです。
次の旅は、平成大合併前の全国の市町村3232を周り写真を撮ること。
「今、旅の資金を貯めています。もう一度『ふるさと』を直接見て、写真という形で残したいです。直接、訪ねてみないとわからないことが多いので」
思い立ったらすぐ行動している仁科さんが今後何を見せてくれるのか。
「日本の知らないことをこれからも知り続けたいですね」
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