お金と仕事
手放した正社員の立場…時給1158円「あきらめ半分」でも戦う理由
「パートの待遇改善を」声をかけられた
あのとき辞めなければ良かったのか。スーパーでの仕事の帰り道、女性は自転車をこぎながら空を仰ぐ。パート社員として働くこの20年、子育てをきっかけに手放してしまった正社員の立場を何度思ったかわからない。あの時は、その差がこんなにあるものとも、そしてその差を埋めることがこんなにも難しいともわかっていなかった。
多くの人が行き交う首都圏郊外の駅直結のスーパー。女性(55)は住居用品や衣料品の売り場でパートのまとめ役として働く。
時給1158円で、1日7.5時間働く。この10年、年収はおよそ250万円と、ほとんど変わっていない。むしろコロナ前と比べると、お歳暮などのギフト担当として稼ぎ時の12月の残業手当を含んだ月給は4~5万円も減った。
コロナ禍では、エッセンシャルワーカーとして現場で働いた。ただこの間、スーパーが雇用を増やしたために、その人件費はわけあう形になり、特にパート社員ら非正規社員の給料に打撃が大きくなってしまっている。
「正社員と仕事の中身はほとんど変わらないのに、手取りもボーナスも全然違う」
ため息がもれる。
「正社員だった頃、パートの人に『本社員はいいわね』と言われていた。いまわたしは言わないようにしているけど」
高校卒業後、音響メーカーで新卒で就職。品質管理やお客様対応の部門で働いた。その間に高校の先輩で、別のメーカー子会社勤務だった夫と結婚し、長女を授かった。
復帰を目指したが、保育園に入れず、当時は子どもの体の調子もやや悪かった。「お金じゃないな」。そう思って30歳で退職した。その後、次女も授かった。
平穏だった専業主婦生活が暗転したのは2001年末。夫がギャンブルにつぎ込んだ借金がわかった。
暗い気持ちで向かった初詣の帰り道、スーパーで「レジ募集」の張り紙を見つけた。同居していた姑は「自分が孫を見るから出なさい」。すぐに働きだした。時給780円。1日2.5~3.5時間で、月給約4万円からのスタートだった。
4年後、夫は病気にもなり、会社もやめてしまった。
夫が扶養になっても、女性はパート社員のまま。時給は800円にあがっていたが、仲間が店長に「旦那さん、会社やめたんだって。シフト増やしてあげて」とかけあってくれ、シフトは6時間に。さらに5年後には、7.5時間まで延ばした。
振り返ってみれば手取りは十数万円で、夫と娘二人をまかなえず、義理や実家の親の支えもあって生活が成り立っていたのだと思う。
今は大学生の次女と二人で暮らす。それでもアパート代など7万円、スマートフォン1万円、光熱費と娘の自転車置き場代1万円、食費と日用品2万円とコンタクトレンズ5千円、先は見えてきたが、今もなお続く借金返済1万5千円――。病院に行くこともはばかられ、今もエアコンは持たない暮らしだ。
義両親と夫、長女の暮らす家を離れ、高校生だった次女と二人暮らしを始めたときは、実家の母が体調を悪くし、亡くなった頃と重なった。さまざまな支えを一気に失い、生活はみるみる困窮した。
子どもの制服代や教科書、引っ越しにあたる家具や電化製品を買うため一時期は借金をし、子どもの頃から集めていた切手もネットオークションで売って生活の足しにした。
「授業料の先払いや修学旅行の積み立てもあり、自転車操業だった」と振り返る。
夜のシフトも多く、次女はいつも一人で家でいた。その次女が熱中症になりかけ、扇風機だけはなんとか買った。
パート社員は、正社員のように給与ではなく、時給制。正社員にあるボーナスも、有給休暇もとりづらい。
こうした違いがあるのは給与や手当、福利厚生、国の制度が、パートが、家計の足しにと働いていた時代と変わらないためだ。
ただ現実にはパートで、家計を担う人は増え、男性の所得が減るなかで家計を補助する役割も増している。
「パートの待遇を改善してほしい。もっと組合が介入して欲しい」
そんな思いが芽生えた頃、労組に声をかけられた。ちょうど10年ほど前だ。労組が週20時間以上働くパート社員に参加を呼びかけるようになったのだ。
組合にはいま正社員3千人、地域限定社員数百人、パート2万人が加入している。
パート社員が労組を通じて、声をあげるようになったことで、ボーナスの代わりに年に1回の業績連動型賞与が導入された。正社員と同じく、賃金の交渉の対象にもなった。半日年次有給休暇制度、年次有給休暇の積立制度なども勝ち取った。
「組合があるから会社の情報がちゃんと入る。なければ本社員との壁を感じたと思うし、働く意欲が今より低かったと思う」
ただパートの問題に取り組むには、壁もあった。家族の扶養に入っている場合、年間130万円以上を稼ぐと、家族の社会保障の扶養から外れてしまう。
だから同じパート社員でも、扶養でなければできるだけ多く稼ぎたいが、扶養であれば130万円以下で働きたいと思っている。
国の制度を変えるしかなく、労組では産業別組織の国会議員と意見交換はしている。ただ、各家庭の事情がちがうので、組合でも正面から議題にしづらい。
「永遠のテーマ。どうにかならないかとは思いますが……」
それならば正社員を目指したい。女性はそう考えもした。ほかにもパートから正社員になりたいとの声も多く寄せられるなか、会社は20年、地域限定社員制度をつくった。正社員ではあるが、転居を伴わない転勤のみにし、賃金と退職金に差があるかたちだ。
ただ地域限定社員になれるのは、お造りを作るなど積み重ねられた技術や試験を経た水産業務か、屋外での肉体労働が中心となる深夜業務のみ。深夜勤務をしたい、と手をあげたら、上司に「無理だよ!!厳しいから深夜は辞めな!!」と諭された。結局、深夜勤務をした30~40代の男性たちが登用された。
労組の活動は、必ず休みの日が充てられる。でも行くと、ほかの店舗や人の話が聞けて、視野が広がっていくのが好きだった。
労組内で、女性の役職はどんどんあがり、経験も増えた。一方で、職場では面接を経て、パートのまとめ役にはなった。同世代の正社員の話を聞くと、もっとさまざまな経験をつめれば、仕事でももっと違った可能性が広がるのではないか。そんな思いも抱いた。
もう、やめようか。そう思うときもある。ポストに入っていた近くに新規開店する競合他社のスーパーのチラシを見ると、時給が数百円高かった。チラシは鞄に忍ばせたままだが、まだ連絡はとっていない。
以前、レジ係をしたときのことだ。お金が足りなかったことがあった。周囲にも生活が苦しかったのを知られていて、少し疑われているのかも、と感じてしまった。
「仕事には信用が大事。それは簡単に培えるものではない」。そうやって、この店で信用されるようにがんばってきた。「石の上にも十年」が持論だ。
いまは労組の「春闘」の期間だ。労組が企業に求める従業員の賃金や処遇について方針をたて、要求書を出して、何度も交渉をしながら、労働契約を確認する。多くの労組が毎年一斉に同じ時期にやることで、交渉力を高める日本独自のやり方だ。
女性の加入する労組の今年の要求は、正社員の基本給2%以上の引上げとパート社員の時給20円アップなど。
どこまで賃金アップや待遇改善を勝ち取れるか。女性も組合の一代議員として参加するが、年齢を重ねるなかで、自身の処遇については「正直、あきらめ半分のところがある」。ただ、自分の娘と同じような若い世代にもこの働き方が続いていることが心配だ。
「もっと正社員になりたい人に向けて道がもっと開いてくれたら」
1/34枚