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公衆電話……じゃない!これは石だ! 芸大生が2トンの岩石削り再現
毎年1月末ごろに開かれる東京芸術大の卒業制作展。筆者は東京都美術館の会場に展示されたある作品に目がとまりました。それは「公衆電話」。そういえば、昔はときどき見かけたなあとまじまじと見ると、色合いがところどころ異なるマーブルな感じ……というか石ではないですか! 制作したという芸大生に取材し、詳しく話を聞いてみることにしました。
作り上げたのは東京芸術大彫刻科4年の水巻映(みずまき・あきら)さん。題名は「天然色の記憶」といい、1960 年代の上野駅に置かれていたイメージで公衆電話(赤電話)を8台制作しました。
公衆電話はトラバーチンという石灰岩などを使い、コードの部分も本物さながら。ダイヤルの真ん中には「ビー!っと鳴ったらもう1枚」という文字までしっかりと彫られており、その精巧さは圧巻です。
ギャラリーでは、公衆電話を使っていた世代の方が懐かしんでいたり 、ダイヤル式電話を使ったことないであろう若い世代の方が「かわいい」と写真を撮ったりと反応は様々です。
制作に取りかかったのは、2020年2月。約2トンにもなる大きな石を買うところからはじまります。8台の公衆電話をつくるために大きなブロックに割り、「徐々にポリゴンの角を減らしていくような形で、削っていく」そうです。
石というと、とても硬いイメージですが、実はとても繊細な材質。この削る作業も簡単ではありません。「硬いんですけれど、木や鉄と違い弾力性がない。すぐ割れてしまう素材なんです。削るときの振動が石を伝わって割れてしまう」と難しさを語ります。実際に割れてしまったことも繰り返しながら作り上げていったそうです。
この作品の注目点はなんといっても、リアルさ。ダイヤル部分は単に形を同じにするだけでなく、浮き出ているようにつくられており、回せそうだと勘違いしてしまうほど。
このリアリティーを追求するために、水巻さんはオークションサイトで公衆電話を2台も購入したそうです。文字の部分などは、ミシンの針を自分で加工した道具を使い、手彫りで削っていったといいます。
「ダイヤルを回したことは少しあるくらい。公衆電話で電話したことは3回くらいですかねえ」
水巻さんは公衆電話とのつながりをこう話します。それもそのはずです。巻さんが生まれる2年前の朝日新聞記事には「公衆電話の台数が最も多かったのは1984年度で約93万5000台あったが、年々わずかずつ減り続け、95年3月末には約80万2000台になった。そのうち、赤電話は24台しかない。」(1996年5月17日朝日新聞東京本社版夕刊)とあります。
総務省によると、2020年度末は14万5000台です。では、なぜその公衆電話を卒業制作に選んだのでしょうか。
水巻さんはもともと、人体彫刻などの作品制作をしていました。ただ、作品をつくっていくうちに、自分の興味があるものは、「人体ではなく『人の存在』という抽象的な部分に興味があるのではないか」と考えるように。人の形を作らずに、人を感じ取るような作品を作れないかと思うようになります。
石は長い年月の積み重ねでできあがるもの。その石をつかって公衆電話のような人が生み出したものを作り出すことで「当時の風景や記憶の中にいる人の存在を表現できる」と思い、作品づくりに至りました。
その姿は、さながら地層の間から見つかった化石のよう。水巻さんは「コンセプトは、石に化けさせると言う意味での『化石』なのです」と話します。
昭和の工業製品が好きだったという水巻さん。作品制作するにつれて、公衆電話のデザインへの気づきも増していきました。
公衆電話は1900年に初めて設置されたのは上野駅と新橋駅。 多くの人が地元とのやりとりをしたであろうこの地(上野)で卒業制作展が開催されることも作品づくりのきっかけのひとつだといいます。
この作品は、台東区長奨励賞を受賞し、上野と御徒町をつなぐ地下道「上野中央通り地下道」の展示ブースに展示され、来年2月まで見ることができる予定です。
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