連載
#5 記者が見た帰還
「双葉町に帰る」頂点に立った競輪選手は決断した「ここなら…」
華々しい経歴、楽しみにする「大工仕事」
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。現地で取材を続ける記者が出会ったのは、競輪選手として活躍した谷津田さん。4千人の頂点に立ったこともある〝元王者〟が地元にこだわる理由とは?
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
「もう少し帰る人はいると思ったんだけど…ちょっと、さみしいなぁ」。準備宿泊のスタートが1週間後に迫った1月14日、谷津田陽一さん(70)は双葉町の自宅でそうこぼした。
準備宿泊は、町に住民登録がある5600人余りに加え、震災後に町外に住民票を移した人も対象だが、このころの申請は谷津田さん夫婦を含め数世帯。「双葉の人たちにはできるだけ戻ってほしい」と続けた。
双葉町で田んぼをかけずり回って育った。小学校を卒業後に県外へ引っ越し、16歳で競輪選手としてデビュー。20代のころ、後に世界選手権10連覇を果たす中野浩一さんらを破って全国4千人超の頂点に立った。
それでも42歳で双葉町に戻った。「街中は渋滞も多くてコンクリートだらけ。双葉は、山も海もあって自由だから」。51歳で引退する数年前から、競輪選手をめざす地元の子どもらを受け入れ、指導した。家の裏に練習場を建て、育てた13人中10人がプロに進んだ。
だが、子や孫の成長を見守り、競輪の弟子を育てたふるさとは原発事故を境に住めなくなった。子や親戚を頼って県内外を転々としたが、事故の5年後に政府が避難指示の解除方針を出すと、帰ると決めた。
自宅がある地域が通行証なしで入れるようになった2020年3月からは週5日のペースで通った。家はイノシシに荒らされ、「思い出したくないぐらい、ぐちゃぐちゃだった」。それでも中を掃除し、床にペンキを塗り、台所の収納扉などをひとつずつ直したという。
どうして、双葉町に帰りたかったのか。
「ここで手を動かしていると、嫌なことも忘れられるから」
自宅の庭には孫を遊ばせるために作ったプールや地下室、自分で設置した蛇口も至るところにある。再び「大工仕事」で汗を流す日々を楽しみにする谷津田さんの表情が印象に残った。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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