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大阪ビル火災、救急隊員114人投入した理由 元消防官の記者が解説
隊員が現場で守る〝絶対のルール〟
大阪市北区の雑居ビルで2021年12月17日、26人(容疑者を除く)が犠牲になった放火殺人事件が起きました。この火災では、一酸化炭素中毒の怖さに注目が集まりました。そんな危険な現場に入る消防官は、重厚な装備とともに、絶対に守るルールがあります。「今回は大変な状況だっただろう」と語る現役の消防官の言葉から伝わる特異さとは? 本当に怖い煙との戦いについて、元消防官の記者が伝えます。(元消防官の朝日新聞記者・仲程雄平)
私は、高校卒業後、2002年に東京消防庁に入庁し、2010年春まで東京都北区の滝野川消防署で勤務。ポンプ隊員、はしご隊員、救急隊員、指揮隊員を経験しました。その間に夜間大学で学び、2011年春に朝日新聞社に入社しました。
大阪市消防局によると、火災の通報があったのは午前10時18分。
現場は、複数のテナントが入る8階建てビル(屋内階段1カ所)の4階でした。
消防隊は4階の消火活動を行うとともに、4階から27人、6階から1人の計28人を救助しました。
焼損面積は25平方メートルでした。
火災を鎮圧(延焼のおそれがなくなった状態)したのは午前10時46分。
出場した消防隊は80隊(延べ261人)で、うち救急隊は延べ38隊(延べ114人)でした。
活動の詳細を知りたいところなんですが、大阪市消防局の担当者は「捜査中の火災なので言えない」ということでした。
消防隊は、高層建物火災で非常用エレベーターを使わざるを得ないケースを除いては、原則としてエレベーターは使いません。閉じ込められる危険性があるためです。
ですから、消防隊はホースを抱えて階段で4階まで上がり、クリニックの中から要救助者を1人1人外に運び出したと思われます。
6階の1人については、はしご車で救助される様子が報道されていました。
火災そのものについては、午前10時18分に覚知し30分経たずに鎮圧しているので、消防隊が火災を制圧するのは早かったと言えます。
他方で、救急隊を延べ38隊投入していることからもわかるように、トリアージ(傷病者の優先順位をつけること)の実施や救急車の導線設定、搬送先の医療機関選定――と多数傷病者発生事案としての対応が大変だった火災、とも言えます。
事件の特異性もありますが、今回の火災は、焼損面積25平方メートルで26人が犠牲になった、耐火建物火災における煙――特に一酸化炭素の怖さを知らしめることになりました。
耐火建物というのは、繁華街のビルのような、延焼などを防ぐために耐火性能が高い資材や設備を使った建物を指します。
一般的な住居である木造住宅であれば、煙は、屋根が抜け落ちるなどして排出されますからそう問題にはなりませんが、耐火建物は抜けにくい構造になっていますから充満しやすいのです。
新聞社の同僚からも聞かれたことですが、そんな危険な火災現場に消防隊員はどうやって入るんでしょうか?
火災現場に出場するときは、必ず防火衣と空気呼吸器を着装します。
加えて、投光器、救助ロープ、エンジンカッターなどの資器材を携行して火災現場に入りますから、装備の重量はざっと20キロ前後になります。
火災現場に進入する際は、空気呼吸器につながった「面体」(めんたい/防護マスク)を着装して「進入!」というわけです。
背中に背負った空気ボンベはフル充塡(じゅうてん)で、およそ20分もちます。
つまり、およそ20分間、火災現場の煙の中で活動できるというわけです。
短いですよね。
煙の中では視界を奪われますから、平静を失って呼吸が早くなりがちです。
そうなってしまうと、ボンベの空気をすぐに使い果たしてしまいますから、どれだけ厳しい現場でも、消防隊員はゆっくり深く呼吸するように意識しています。
火災現場では、熱気や煙は上に滞留しますから、それらを避けるため、地べたをはうように姿勢を低くして進みます。
装備した消防隊員といえども、煙が充満した火災現場では何も見えません。
まさしく暗中模索の中、「誰かいるかあ! 誰かいるかあ!」と呼びかけながら要救助者を検索するわけです。
視界ゼロの中で、やみくもに要救助者を検索していては、自分が煙に巻かれて自らが要救助者になってしまいます。
だから消防隊員は壁伝いに煙の中を進みます。
これは、迷路で壁伝いに進めばゴールにたどり着けるように、火災現場では、視界を奪われていたとしても、壁を伝って進んでいれば方向感覚を失わず、入り口に戻ることができるからです。
自分で退路を確保しているというわけです。
火災現場において単独行動は御法度ですから、消防隊員は必ず隊(グループ)で火災現場に進入し、必ず1人は壁伝いに進みます。
〝火災現場では、姿勢を低くして壁を伝う〟
一般人が火災に巻き込まれた際の避難行動にも通じることです。
現役の消防官はどう見たんでしょうか。
隊長経験がある東京消防庁の消防官に聞きました。
今回の火災は、覚知から30分以内に鎮圧し、焼損面積は25平方メートルでした。
「耐火建物の火災は、燃え広がりにくいから焼損面積は小さいことが多い。25平方メートル焼損というのは大きい方だと思うし、30分で25平方メートルというのは、(日中の火災で)通報が早かった火災としては燃えるスピードが速かったと言える。クリニックは燃えるものが少ないはずだから、(容疑者がガソリンに火をつけたという報道があるとおり)事件の影響が大きかったんだと思う」
現場の雑居ビルは屋内階段が1カ所、4階のクリニックの道路側には窓がありました。
消防学校の教科書には〝一般に窓ガラスは400℃で亀裂が入り、500℃で破損し落下するとされている〟と書かれています。
何が言いたいかというと、火災の熱で窓が割れたときには、すでにクリニック内に煙が充満していた可能性があるということです。
その消防官は「窓は火災の熱で割れたんだろう。そうすると、消防隊が現着したときには、クリニック内には煙が充満し、要救助者は煙に巻かれて倒れていたとみられる。一酸化炭素中毒になっていただろうから、厳しい状況だったと思う」と話します。
消防活動の観点からは、「(クリニックの入り口付近で放火したという報道のとおりなら)入り口のところが1番燃えているわけだから、消防隊は炎や熱気で入りにくかったと思う。ガソリンに火をつけたのなら、相当な熱気だっただろう。消防隊が現着した時点で窓が熱気で割れていれば、クリニック内に進入して放水で押せば煙を排出できるし、消火することもできる」と言います。
26人が犠牲になった今回の火災。
消防隊として1番大変だったろうと思われる点については、こう指摘しました。
「火災であるとともに多数傷病者発生事案だったということ。というのも、要救助者の人数は現場に入るまでわからない。そもそも、あんな小さなクリニックの中に、20人以上の要救助者がいるなんて想像にしにくい。煙で真っ暗な火災現場に入り、どうも要救助者が多数いるようだ、と。そこから応援要請やトリアージなど、いろいろなことを判断しないといけないから、相当難しい現場だったと思う」
2001年に44人が死亡した東京・歌舞伎町の雑居ビル火災に出場した消防官からは、こんなことを聞かされたといいます。
「上階から消防隊1隊が運び出せるのは2人ぐらいが体力的に限界だ、と聞いたことがある。(訓練用ダミー人形〈30キロなど〉で救出訓練は重ねているが)実際の要救助者はもっと重いわけで、だから、階段を往復して救出できるのは2人ぐらいが限界だ、と。そういった点からも、今回の火災は大変だったと思う」
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