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連載

#3 #令和の専業主婦

「私の人生、これでいい?」専業主婦を突然、襲った不安「いつか…」

「自分の輝き方を自分で選択できるように」

専業主婦にまつわるきょんさんのツイート。
専業主婦にまつわるきょんさんのツイート。 出典: きょんさんのツイッターアカウントより

目次

関西地方に住むきょんさん(51)が専業主婦になったのは、短大卒業後に大手企業に5年ほど勤めたあとのことでした。自然な流れで専業主婦となったきょんさんでしたが、長女を産んで数カ月がたったある日、突然いままでにない感情に襲われました。「私の人生、これでいいの?」。その後、パートタイム勤務を経て起業したきょんさんに、ライフステージに応じた「自分の居場所」の見つけ方を聞きました。

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「夢や目標のない会社員でした」

きょんさんが専業主婦になったのは、短大卒業後に大手企業に5年ほど勤めたあとのこと。

「とりあえず働かないといけない」と、「夢や目標のない会社員」だったといいます。

そんな会社員生活が少しだけおもしろくなってきた25歳のとき、きょんさんは妊娠を機に退社しました。

「いまでは考えられませんが、30年ほど前は、結婚や出産をするなら辞めろという圧力が職場にありました。周りの女性を見ても、子どもを産んで働き続けている人は特別な事情がある人だけ。退職が当たり前の世界でした」

そのような時代背景もあり、きょんさんは「子どもができたから辞めるというのは自然な流れで、疑問は持っていませんでした」

※男女雇用機会均等法は1985年成立

ゾッとした…「私って何者?」

自然な流れで専業主婦となったきょんさんでしたが、長女を産んで数カ月がたったある日、突然いままでにない感情に襲われました。

「いまでも覚えているんですが、家で娘を抱っこしているとき、ふと我に返った感覚があって。『私の人生、これでいいの?』と思ったんです」

専業主婦となって間もない頃でしたが、毎日半径2キロ以内のスーパーや公園をめぐり、人付き合いはお母さん同士に限られ、世界の狭さ、社会との断絶のような感覚を覚えていました。

「世間からは『なんとかちゃんのお母さん』としか認識されず、会社員時代も周りに流されて働いていただけ。私個人としては、何も残せていないと思ったんです」

そして、「『私って何者なんだ?』、『何十年後かの自分もずっとこのままだったら…』と考えるとゾッとした」といいます。

ただ、まだ長女が産まれたばかりで、子育ても集中したい気持ちがあったきょんさん。専業主婦としての仕事の大変さも骨身にしみていました。

だからこそ、「いまはちゃんと『お母さん』をやり、いつか働けるときがきたら、めちゃくちゃがんばろうと自分に誓いました」

「『私の人生、これでいいの?』と思ったんです」。写真はイメージです=Getty Images
「『私の人生、これでいいの?』と思ったんです」。写真はイメージです=Getty Images

「浦島太郎状態」から始まったパートタイム

専業主婦になってから5年が過ぎた頃、子どもたちが幼稚園に行ける年齢になり、少しずつパートタイムでの仕事をはじめました。

仕事を選ぶ基準は「子育てと両立できる」その一択でした。

拘束時間が短かったり、家に子どもがいても自宅でできる仕事を探し、短時間のパーティーコンパニオンや、レストランでの接客、自宅でもできるライターの仕事などを経験しながら、地域社会以外のつながりを再構築し始めました。

ただ、どの仕事をするのにも、専業主婦だった5年間のブランクは感じたといいます。
「復職するときにはまず、『私に出来ることってあるんだっけ?』と思うんです」

特に、事務仕事のパートタイムに就いた当時はその不安が大きかったといいます。

「パソコンを使う仕事だったのですが、まさに浦島太郎状態。いかに自分がビジネスから離れていたかと実感しました。そこで、『自分は第一線にはいない』『世の中に追いついていない』と感じ、家事育児にかかっていた間に世の中はこんなに変わってたんだなと痛感しました」

きょんさんがここで幸いしたのが、任された仕事内容に従事するのが一人だけだったことでした。「『どうしよう』と考えているひまもなく、がむしゃらにやりました。一任してもらえるという環境がとてもよかったと思っています」

その後、その会社で7年間パートタイム、その後正社員となり、16年間勤務の後、2年前に企業のコンサル業として独立しました。

家庭で輝く人も、外で輝く人も…「自分で選択できればいい」

きょんさんが、子どもさんが中学にあがるまでパートタイムにこだわった理由は一つ。子どもたちに「おかえり」を言ってあげたかったからだと言います。

「子どもが大きくなれば、母親としての役目も徐々に少なくなっていく。子どもが小さい間はできるだけそばにいたい思いがありました。子どものためというより、自分がそうしたかったんですよね」。

ただ、パートタイムとはいえ、専業主婦の頃に比べると時間の制約も多くなり「バタバタした」ときょんさんは振り返ります。その経験から、専業主婦から仕事復帰を目指す人には、「自分の気持ちの負担にならないように」とアドバイスします。

「例えば、夕飯のおかずが少なくなったり、掃除も以前のように細かくできなくなったりすることもあるでしょう。でもそれで自分を責める必要はないと思います。家族の協力がどれだけ得られるのか、協力が望めないなら両立するためにどんな方法があるのか考えて、その上で外で働くか、専業主婦を続けるのか、または自宅で仕事ができる方法を探すかなど選んでいいと思います」

「その人が『どう生きたいか』ということではないでしょうか。家庭での輝き方をみつけられる人もいれば、外で働くことで輝く人もいます。そしてそれはライフスタイルの変化によって気持ちも変わっていきます。自分の輝き方を自分で選択できるようになればいいと思います」

「その人が『どう生きたいか』ということではないでしょうか」ときょんさんは語ります。写真はイメージです=Getty Images
「その人が『どう生きたいか』ということではないでしょうか」ときょんさんは語ります。写真はイメージです=Getty Images

正当に評価されない専業主婦の不安「いまさら何もできない」

きょんさんの言葉で印象的だったのは「専業主婦の間もキャリアを築いている」という言葉でした。

きょんさんは「主婦というお仕事は、本当は属したくないコミュニティーにも属さないといけない場合があります。そこで立ち位置を見つけてコミュニケーションを取りながら、生活の折り合いをつける調整力はとても優れています」と、その理由を語ります。

一方で、専業主婦が担っている、家族をケアするという仕事が正当に評価されていないと改めて認識させられるエピソードも。

きょんさんの住む地域には専業主婦家庭が多かったそうですが、2008年のリーマンショック後、配偶者の雇用不安から、働き始める専業主婦も増えたといいます。

その際、「(きょんさんは)もう働いているから大丈夫だよね」という言葉とともに「私も本格的に働きたいけど、いまさらなんにもできない」という声を聞いたのが印象的だったそう。

「専業主婦であった期間に正当な評価をされていないことが、自己肯定感の低さにつながってくるのだとひしひしと感じました」

また、きょんさん自身も専業主婦時代、「暇なんでしょ」と思われていると感じる場面がいくつもあったそうです。
親戚からは「呼ばれたらいつでも来られるでしょう」という態度で接せられることが多く、モヤモヤしたといいます。

「みんなが思ってるほど専業主婦は楽じゃないんだぞ、と思っていましたね」

子どものケアをしながら家事をこなす日々は、きょんさん曰く「四六時中、仕事場にいるような感覚」でした。「社会との断絶感があり、自分の時間がまったくなく、一人になれないつらさがありました」

「がんばりが可視化されない」…8割が「葛藤」

それなのになぜ、ケア労働が軽視されてしまうのでしょうか。
これまで120人近くの方に回答いただいている「専業主婦に関するアンケート」では、「専業主婦である(あった)ことに葛藤がある」と答えた方は8割を超え、その理由の中にもやはり「がんばりが可視化されない」といった不満が多くありました。

専業主婦が担う仕事が正当な評価をされれば、専業主婦であることに自信を持てるとともに、もし別のキャリアに進む場合も胸を張って前に進めるのではないか。きょんさんへの取材からそんなことを考えました。

     ◇
専業主婦として家庭内のケア労働を精いっぱいしているのに劣等感があったり、「諦めた」なんていう気持ちにさせたりするのは誰なのか? そんな社会を変えていくためのヒントを探したい。どうすればいいか、一緒に考えてみませんか?
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