連載
#45 Busy Brain
「ネットの放言は排泄物と同じ」小島慶子さんが考える悪意の処理方法
〝心のトイレ〟に負の感情を流す大切さ
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、小島慶子さんがネットコメントにあふれる誹謗中傷をどう考えるか、自身の心を健康管理するための「心のトイレ」について綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)
この連載を読んでいる人の中には、発達障害のある人やそのご家族もいるでしょう。連載よりも、ニュースサイトに載っている記事を単発の読み物として目にしている人の方が多いのかな。
先日、そうしたサイトに載ったこの連載の記事に、「わがまま」「甘えている」などの非難コメントがたくさんつくことがあると関係者から聞きました。
そういうコメントを見て、「発達障害について語ると、こんなふうに言われるのか」と怖くなってしまった人もいるかもしれませんね。でも、それはあなた個人に向けられた言葉ではなく、人前に出る仕事をしている「小島慶子」に向けられた言葉です。どうか自分ごととして受け止めず、ご自身とは切り離してくださいね。
目にしたら、きっと嫌な気持ちになりますよね。これが「世間の本音」か、と怖くなるでしょう。でもそれは「世間の本音」ではありません。ネットで憂さ晴らしをしたい人たちの、心の排泄(はいせつ)物なのです。
心ない言葉で不安になるなら、コメントは見ないようにして、どうか心身の健康を守ってください。
国際大学グローバル・コミュニケ―ション・センター准教授の山口真一氏によると、いわゆるネットの「炎上」と呼ばれる現象で誹謗中傷などネガティブな投稿をしている人の割合は、ネットユーザー全体の0.00025%だそうです。
コメント欄を読んで「これが世の中のメジャーな意見なのだな」と思ってしまうと、無自覚に偏見を広めることにもなりかねません。さらに触発されて「これは正義なのだから、自分も一言書き込もう」と考えると、世界的に問題になっている「デジタル暴力」に加担することになります。亡くなったプロレスラーの木村花さんをネットで攻撃していた人物も「正義感から書き込んだ」と述べているそうです。
匿名アカウントであれば、普段よりも強気で自由な自分になれるというユーザーも多いのかもしれません。ちょっと顔の知られた誰かをみんなの前で叱ったり非難したり、思い切り持論を展開したりして、スッキリ発散する……ネットはそんな、「感情の廃棄場」でもあります。
勤勉な会社員や、子どもを大事にする親や、ペットを可愛がる飼い主や、ドラマを見て涙ぐむ視聴者が、つまり人間として自然な善良さを持ち合わせた人が、キーボードの前では全然違う言葉遣いになり、罵倒や侮蔑の言葉を書き込んでいるのかもしれないと思うと、実名でしか発信したことのない私にはかなり不気味に思えます。
先述したように、いわゆる炎上を起こすのはネットユーザーのうちごく少数の人だという研究結果がありますが、そういう炎上騒ぎについ通りすがりに便乗して、軽い気持ちで一言書き込んでしまう人もいるでしょう。
普段「私、時々匿名でコメント書き込んで、スッキリしてるんですよー」なんてカジュアルに話す人に会ったことはないですが、密かに書き込んでいる人も身近にいるのかと思うと、なかなかにホラーです。
私は「ネットの放言は、リアルな排泄物と同じ」と考えています。今これを読んでいるあなたも、お腹の中に便が入っていますよね。私も入っています。高級な食事を食べているときも、美しい絵画を見ているときも、神仏に手を合わせているときも、人はみんなお腹に便が入っています。入っているのは、自然なことです。
同様に、ドロドロした感情や悪意も誰にでもある自然なもの。肝心なのは、それをどこでどのような形にして排泄するかです。
排泄物をトイレで出すなどして適切な形で処理するのは、健康にも良いし、公衆衛生上も望ましいことですよね。でも、わざと路上で出したり、誰かの持ち物の上で出したりしたらどうでしょう。出てくるものは同じでも、あなたのとった行動の意味は全く違うものになります。前者は個人の健康や清潔な社会を維持するために役立つ良い習慣です。後者は他者に害を及ぼし、自身を貶(おとし)める行いです。
持ち物を汚された人だけでなく、通りすがりの人も、あなたが出した排泄物を見たり嗅いだり踏んだりして、嫌な目に遭(あ)うことになります。中には拾ってそこらに投げ広げる人もいます。
お腹の中に、誰かをいじめてやりたい気持ちや、誰かを叩く正義のヒーローになりたい気持ちが湧き上がった時に、それをトイレに流すのか、ネットに書き込むのか。
心のトイレを持つことは、とても大事です。深呼吸するのでもいいし、ちょっと走りに行くのでもいい。メモに書き出すのも、独り言で思い切り呟(つぶや)くのもいい。ネットに不用意に吐き出す前に、できることは色々あります。
胸の内にしまっておくのがしんどい時は、仲のいい友人や家族に「ちょっと聞いてよー」と話すのでもいいでしょう。一緒に誰かの悪口を言ってスッキリできるならそれでいいと思います。
でも、ネットは公共の空間。路上と同じです。しかも本当の意味での匿名ではありません。憂さ晴らしのつもりで書き込んだ一言やワンクリックのリツイートで、身元を特定されて多くのものを失うこともあります。
中には、普段自分が他人から言われている心ないことを他の誰かに言ってやりたくて書き込む人もいるでしょう。わざと醜い言葉を書いて「自分はこんな最低なやつなんだ」と自身を貶めずにはいられない人もいるかもしれません。
でも、動機や背景がなんであれ、出されたものは心の排泄物です。好きに撒き散らしていいものではありません。
ちなみに私はニュースサイトのコメントは一切読みません。SNSの発信につくリプライにもフィルターをかけており、知り合いからのリプライ以外はほとんど読みません。
エゴサーチも一切しないので、自分がネットで何を言われているか全く知りません。これが私の健康法です。おかげで、至って平穏に暮らしています。
では、自身のお腹の中身、つまり心の排泄物をどうしているか。体の健康法と同じです。排泄物の状態を確認するのが、健康管理上大切だと言いますよね。いつもと違ったら、体の具合が悪いサインかもしれません。消化のいいものを食べるとか体を温めるとか、とれる対策をとり、改善しなければお医者さんに相談する。それと同じです。
もしもドロドロした感情が湧いてきたら(そんなことはよくあります)、どうしてこういうものが湧いてきたのかな?とよく観察します。ドロドロを徹底的に分析して言語化し、自分の心の仕組みを知る材料にします。それが私の「心のトイレ」です。
最近は、仏教に関する本を読むと、とても助けになることに気がつきました。それでも一人では手に負えない時は、カウンセラーや信用できる身近な人に話を聞いてもらっています。
そしてお腹の健康は食べ物選びから始まるように、心の健康には摂取する情報選びが重要です。
「ネット言論は最新の“民主主義”なんだ。いろんな人の意見に耳を傾けなくては」なんて思う必要はありません。私はネットの言論空間は、「最新のテクノロジーを使った中世」だと思っています。
ネットの投稿や書き込みでは根拠のない噂話や嘘、悪意や差別や嫌がらせや迷信が横行しています。根も葉もない噂話で誰かが処刑された時代のように、ネットの誹謗(ひぼう)中傷が、誰かを自ら命を絶つところまで追い込んでいます。それを現実世界にはない「自由」だというなら、人類は過去から何も学ばないことになります。
人は、お腹の中身を匿名で誰かにぶつけて悪意を野放しにすることも、心のトイレに流して健やかに暮らすこともできます。どちらを選ぶかは、自分で決めることができるのです。そして、何を見るか見ないかも、自分で決めることができます。自分で決めて、いいのです。
ちょっと長くなりましたが、今回はこの記事を読んでいる、私と似たような困りごとを持っている人たち、障害のことを世間からどう思われるだろうかと不安に思っている人たち、そして、ネットにネガティブな気持ちを吐き出さずにいられない人たちと、「炎上」に踊らされた「正義感」から知らず知らずのうちにデジタル暴力に加担している人たちに向けて、書きました。
(文・小島慶子)
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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