連載
#2 罪と人間
シンナーと酒依存で入院、窃盗で服役〝施設太郎〟と呼ばれた男の今
かつてはシンナーと酒におぼれ、自らも痛めつけていました。渡邊洋次郎さん(46)は、依存症患者として精神科病院へ48回の入院を繰り返し、窃盗罪などで約3年間服役。〝施設太郎〟と言われていました。21日で、出所13年。薬物と酒を断っている渡邊さんは、後ろ向きな意味で使われがちな「損得勘定」が、自分を大切にするために意味を持ったと話します。
渡邊さんは大阪府生まれ。両親と姉、妹の5人家族でした。
小学校の勉強が分からなかっただけでなく、「外履きから上履きにはきかえること」がうまくできませんでした。「教室に入るまでの一連のプロセスとして理解できておらず、途中で別のことをしてしまう感じです」
アトピー性皮膚炎にも悩みました。友人に「体を洗っていないんやろ」と言われたことも。喘息もあり「自分自身を恨んでいました」
そしてこうも言います。「親に甘えたい気持ちもあったんです。でも、忙しそうにする姿をみて、ぐっと押し込めていました」
そうして子ども心には、おぼろげながら、こんな感覚が生まれます。「自分は価値がないんや」
小学生の頃、草むらで捕まえた昆虫を食べては「気持ち悪い!」と言われていました。それでも、関心を引けたことに満たされる気持ちもあったそうです。
シンナーを初めて吸ったのは中学2年の時。最初は「不良仲間」から無理やり勧められましたが、やがて乱用するようになります。バイクを盗んだことも。周囲から「警察怖くないの?」と聞かれた時、優越感を覚えると同時に、他者とのつながりを感じていました。
妹に万引きを指示したり、暴力をふるったりもしました。「人を『支配』することでもまた、安心感を得ようと思ったのだと思います」
「価値のなさ」を埋めるようにシンナー吸引や窃盗を繰り返し、16歳の時には1年間、少年院に入所します。
父親の死に際にもシンナーを吸い、ホストになって酒を浴び、20歳でアルコール依存症と診断されます。
依存症の場合、脳の神経回路が支配され、自分の意志ではコントロールできません。仕事場でも隠れてアルコールを摂取するようになっていました。
薬物と酒の依存症で、20歳からの10年間で計48回、精神科病院への入院を繰り返しました。
中学時代から続いていた自傷行為もますますエスカレートしました。
「弱い自分、ビビりな自分を、だまし、ごまかすように悪さをしていましたが、だんだんと、あらがうことに力尽きていくのを感じました」
窃盗罪などで30歳からは3年間、服役。その間、錯乱して入った独居房で不思議な体験をします。リアルな死の恐怖がこみ上げた途端、「目の前に急に心臓があらわれた」と渡邊さんは話します。
それは、さげすみ、痛めつけてきた自分が生きていることを実感した瞬間だったと言います。
渡邊さんは今月21日で出所13年を迎えます。以来、シンナーは吸っていません。出所後1カ月、アルコールに手をつけてしまった時期があったため、断酒記録は現在、12年11カ月です。
出所後の渡邊さんは、疎遠になっていた自助グループにも参加します。人間関係のイライラや嫉妬など、負の感情も包み隠さず語っているそうです。ネガティブな感情にフタをすることが、シンナーや酒への引き金になってしまったと思っているからです。
5年ほど前からは、以前から関わりのあった依存症からの回復を支援する団体の職員に。支援者として働くため、4年前には介護福祉士の資格も取得しました。
こうした中で、渡邊さんはふと思うようになります。「シンナーを吸い、酒を飲めば、精神科病院と刑務所を行ったりきたりになってしまう。死にも直結する。『損』やん」
そんな感覚を知人に打ち明けると、こう言われます。
「自分のことを大切に思っているから、損するとかもったいないとか思うんだよ。洋次郎には、大切にしたい自分があるんやな!」
自らを否定してきた渡邊さんにとっては意外な言葉でした。それでも、実感はしました。
仕事でうまくいかない時、悲しいことがあった時、たまらなく何かにすがりたくなります。シンナーやアルコールに頼るわけではありません。
飲まず食わず、延々と、黙々と歩き続けるのだと、渡邊さんは言います。「まだまだ、自分を痛めつけてしまうので、別の方法があればいいんですけどね…」
渡邊さんは半生を「下手くそやけどなんとか生きてるねん。」(現代書館)にまとめました。
「依存症者」「犯罪者」。そんなレッテルだけで「人」を見定めてしまいがちだと感じ、生身の人間として、何に苦しみ、何を感じたのかを詳細につづりました。
大学で講演をした時、学生からこんな感想をもらいました。「渡邊さんは、承認欲求を非行や依存で満たしていたように思いました。でも、承認欲求は僕にもあります。根っこにあるものは一緒だと思いました」
渡邊さんは言います。
「私に対するいろいろな見方があるでしょう。批判もあると思います。でも、差異が分かるだけでも、無自覚な差別や偏見から遠ざかることができる。一歩だと思います」
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