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連載

#7 名前のない鍋、きょうの鍋

我が家の〝名前のない鍋〟三味線演奏家の「毎夜でも飽きない」レシピ

具は2種のみ、鍋つゆもない「常夜鍋」

家の鍋は「常夜鍋」が多いという杵屋勝くに緒さん。いたってシンプルな料理の理由は……
家の鍋は「常夜鍋」が多いという杵屋勝くに緒さん。いたってシンプルな料理の理由は…… 出典: 白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、稽古場のある東京と神奈川で二拠点生活を送る、三味線の演奏家のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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杵屋勝くに緒(きねや かつくにお)さん:1970年、神奈川県中郡二宮町生まれ。幼い頃から日本舞踊を習う。1989年、大学1年生のときに長唄三味線を始め、杵屋勝国師に入門。現在はプロ演奏家であると同時に、教育者として後進の育成にもあたる。ツイッターサイトで邦楽の情報を発信している

ざぶざぶとホウレン草が丁寧に水洗いされていく。土鍋に水を張ってお酒をたっぷりと入れ、火にかける。ニンニク数片をゴロッと切って鍋中へ。冷蔵庫から取り出したのは、しゃぶしゃぶ用豚肉だ。

「鍋って、うちはやるとしたら常夜鍋(じょうやなべ)ぐらいなんですよ。シンプル・イズ・ベストで。手をかけなくていいからね。夫があまり具だくさんの鍋を好まないものあって」

具は2種のみ、鍋つゆも味つけは無しでポン酢でいただく。ニンニクと酒の風味をまとった青菜と肉は、コクはありつつさっぱりとしたおいしさ。

「毎夜食べても飽きない」なんて意味だろうか、俗に常夜鍋と呼ばれている。作るのは夫さんのことも多いそう。

「下宿生活が長かった人で、得意なんです。『(仕事で)疲れてるだろうから、僕が作るよ』なんて言って、いろいろ作ってくれますよ。中華が多いかな。結婚するとき、料理道具一式持ってきましたからね」

そう笑うのは、杵屋勝くに緒さん。
日本の古典音楽のひとつである長唄(ながうた)の楽器パート、三味線の演奏家だ。いわばミュージシャン。長唄にはいろいろな流派があり、杵屋はそのひとつ。

「杵屋の中にも流派があるんです。杵勝派というのが私の流派」

師匠は杵屋勝国氏で重要無形文化財、いわゆる人間国宝である。

勝くに緒さん自身も、生徒を持つ師匠だ。教室は生まれ育った神奈川県の湘南・二宮のほか、東京・新橋にもあり、コロナ禍にあってはLINEビデオ電話やZoomでのオンラインレッスンにも柔軟に対応している。

ブログやSNS発信も積極的にこなされる勝くに緒さん。私もツイッターで彼女を知った。

髪をきりりとまとめ上げ、芸にのぞむ表情の厳しさが印象的。ふと、この方はどんな食生活をしているんだろう……と気になり、取材を申し込んだ。

35歳のときに結婚、それまでは芸道を歩んでいた。
両親ともに大の歌舞伎好きで、「子どもは男なら歌舞伎役者、女なら踊りの道へ」というのが父親の宿願だった。

古典芸能の世界では「六歳の六月六日にお稽古を始めると上達する」なんて言い伝えがあり、勝くに緒さんもそのとおりに日本舞踊を習い始める。

「でも踊りは正直、嫌いでした。小学校が終わったらすぐ稽古に行かされるんです、ランドセルと浴衣一式を取り換えて。帰宅したら、父の前でひとさらいしないとごはんも食べさせてもらえない」

遊び盛り食べ盛り、つらいことも多かったろう。しかし上達は早く15歳で花柳流の名取(一定のレベルが認められ、芸名を許されること)に。東京新聞主催の全国舞踊コンクールでは、邦舞部門1位になったことも。

そして大学進学と同時に縁あって、長唄三味線の道へ。もともと興味があり、すぐにのめり込んでいった。

卒業後は会社員も経験。人事業務やシステム開発などに関わって10年を過ごした。2008年、久しぶりに三味線の師匠から連絡があり、NHK主催の会に誘われる。

「大きな会に出るのはすごく久しぶりで。終わってから『やっぱりこれが、私の職業だ』とあらためて感じたんです」

人生の節目だった。その年に稽古場も開設、システム開発に携わった経験を活かし、自分でホームページを作りブログも開設。発信を続けると「三味線をやってみたい」という希望者からの連絡が次第に増えていった。

しかし批判も受ける。古典芸能者たるもの、発信や勧誘などに時間を割かず、ひたすらに芸を磨くべき……といったような。

「そういう考えも分かるんです。でも、邦楽の伝承はもう限界にあると思っていて。待ったなしの状況ですよ、お弟子さんを待ってばかりじゃいられません」

三味線自体を知らない日本人は少ないだろう。しかし三味線を実際に聴いたこと、触れたことのある人はどうだろうか。ましてや「やってみたい」という人は。加えてコロナ禍、対面授業までもが難しくなる。

「抱えているお弟子さんたちのモチベーションをどう下げずにいられるか。考えました。でもピンチは変革のチャンスでもあったんです」

まずリモートでの稽古を始めた。YouTubeでの発表会を企画、お弟子さん各自が自分の演奏を録画して、編集してまとめる。
「自分自身の演奏を録画して聴き込む。そして客観的に観るということがすごく勉強になったみたいで」

今までの対面稽古とは違う良さを、勝くに緒さん自身が発見した。現在は東京の稽古場との二重生活だという。

「だから食材の買い置きが難しい。なのでほぼ外食か、おそうざいですよ。料理するようになったのは、結婚してからでした」

忙しい毎日。シンプルな構成で、たんぱく質と野菜を同時に、手軽にとれる常夜鍋は頼もしい存在なのだろう。「具は2品」という潔い内容は、買いものや下ごしらえの上でもラクで、出るゴミも少ない。

ちなみにこの常夜鍋、脚本家で作家の故・向田邦子さんのエッセイに原型と思われるものが登場する。

「不思議なほどたくさん食べられる。豚肉は苦手という人にご馳走したら、誰よりたくさん食べ、以来そのうちのレパートリーに加わったと聞いて、私もうれしくなった」(『夜中の薔薇』講談社文庫版、115ページ 初出『小説宝石』1980年6月号)

広まったきっかけはこれかと思われるが、エッセイ内では「豚鍋」の名で紹介されている。「常夜鍋」の名とはいつ結び付いたものか? 今後も調べてみたい。

さて勝くに緒さんは現在、子どもや若い人を対象とした長唄の普及活動や講演も積極的に行っている。

3月5日には、門前仲町で長唄を初めて聴く人のための会を企画。そんな自分を「長唄の“押し売り”やってます」と笑った。

メモを取っていたら、ふと勝くに緒さんが三味線を構えて一音鳴らされた。ズン……と響いた音色が深くて、太くて。耳から骨に伝わってくるような、いい音だった。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

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