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「絶滅危惧種」と思われた家業 活版印刷を継いだ娘の〝意外な再生〟
震災で崩落した活字…今では30分で完売
大阪府の印刷所が投稿した、とあるツイートが好評を博しています。二度の震災で崩落してしまった、大量の活字。何とか無事だったものの、利用できない状態となった一本を、意外な形で活かしていると伝える内容です。「たとえ業務に使えなくても、人々に文字の魅力を届けたい」。職人としての情熱を、創業者の父から受け継いだ2代目社長に、思いを聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
「阪神淡路大震災の日、会社に行ったら活字が崩落していました」
18日、印刷会社山添(大阪市城東区)の野村いずみ代表取締役(50・ツイッター:@Izumi_Nomura)が、一本のツイートを投稿しました。
1995年1月17日の大震災で、活字が地面に落ち、印刷に使えなくなったこと。震災を機に、活字を組み替えて行う、活版印刷をやめた同業者がたくさんいたこと。2018年6月18日の大阪北部地震により、再び自社の活字が被害に遭ったこと……。
そんな過去の惨状について、2枚の写真と共に伝えています。一方の画像に写っているのは、おびただしい数の活字が床一杯に散乱している光景です。残る一枚に目を移すと、均等に並んだ複数の白い小袋が、整理棚から顔をのぞかせています。
「落ちなかった活字は『おみく字』となって文字を届けてくれてます」。その説明通り、金文字で「おみく字」と書かれた小袋には、地震でも落下しなかった活字が入っていたのです。
「震災後の頑張りを実感する」「しんどい話だけど、めちゃくちゃ素敵なアイデア」。投稿には、好意的なコメントが数多く書き込まれました。31日時点で4.8万以上の「いいね」がつき、リツイート数も1.2万を超えています。
阪神淡路大震災の日、会社に行ったら活字が崩落していました。あの震災を機に活版印刷をやめた事業者さんが沢山あります。うちは何とか拾ったものの、大阪北部地震でまた崩落。印刷に使うことは出来ないのですが、落ちなかった活字は「おみく字」となって文字を届けてくれてます pic.twitter.com/g6P1fSCCLD
— 野村いずみ#YAMAZOE PRINTING (@Izumi_Nomura) January 17, 2022
たくさんの共感を得た、野村さんの投稿。阪神淡路大震災の発生から、27年目を迎えた翌日というタイミングも相まって、防災に絡めて感想を語った人も少なくありません。「おみく字」誕生のいきさつについて、直接話を聞きました。
山添は1968年7月、野村さんの父・常夫さん(2013年に76歳で他界)が創業しました。自ら営業に出て印刷業務に対応し、中でも現場仕事が好きな職人だったそうです。ひらがなやカタカナ、漢字の活字も用い、印刷機を駆使しました。
活版印刷は活字を紙に直接押し付けるため、紙面に凸凹が目立ちます。機械の扱いにも熟達が必要で、業界では1990年代以降、より簡単に大量の紙を刷れるオフセット印刷に置き換わっていきました。
しかし常夫さんは、活版印刷機にこだわり続けたといいます。
「会社にお金がなく、機械を更新できない事情もありました。大震災が起きたのは、そんな頃です。実は私自身、既に需要が低くなっていた活字を、棚に戻すのは反対でした。しかし父にとって大事な仕事道具ということで、拾い集めたんです」
野村さんいわく、活字には色々なサイズがあり、フォントも異なります。揺れで地面に落下した際、字が欠けてしまったものも少なくありません。一文字でも使えないと、印刷に支障を来すため、実用を諦めざるを得なくなったのです。
それでも毎日4時間ほど残業し、一年近くかけて活字を並べ直した野村さん。父から社長業を引き継ぎ、経営に奔走していた2018年、大阪北部地震に見舞われます。全体の三分の二ほどに相当する、約25万本の活字が再び落下し、途方に暮れました。
「大阪北部地震の発生当時、活字を使うことはほぼありませんでした。たまに活字での活版印刷を希望される方がおり、リクエストに応えるために置いていた。一文字でもなければ成り立たず、発注をしていた活字鋳造所も廃業していました」
「業務での利用も、補充も出来ない。使えないものに時間と労力をかけることが出来ず、途方に暮れました」
手元に残った活字の中には、かろうじて棚に収まったままのものもありました。一本一本に思い出が詰まっています。
深夜まで活字を拾う常夫さんの姿。木製の保管箱に活字を入れる時の、コロンという乾いた音ーー。なかなか廃棄に踏み切れません。
大阪北部地震の発生直後、野村さんは床に散乱した活字の写真を、facebook上に掲載します。それを見た知人の一人が、活字を棚に戻そうと駆けつけてくれました。
数日手伝ってくれたものの、作業が終わるめどが全く立ちません。どうしようかと話していたところ、知人の口から意外な一言が飛び出しました。
「棚から落ちなかったということで、お守りになるん違う?」
活版印刷の魅力について知ってもらう機会をつくりたい。そう思っていた野村さんは、知人の言葉が忘れられませんでした。
ある日、保管していた活字の山の中から、スタッフが文字を無作為に拾い、遊んでいる姿をみかけます。
何をしているのか聞くと、「活字で占いをしているんです」。その答えに、野村さんは「知人の言った通り、棚から落ちなかった活字をお守りとして、文字を届けることができるんじゃないか」とひらめきました。
「おみく字って商品名はどうだろう」。装丁をデザインして和紙に刷り、神社のお札や慶事用に使われる「たとう折」で袋を手作りし、活字を一本ずつ封入。2019年、イベントや店頭で一つ550円で売り出すと、予想以上に大好評でした。
その後も「自らの手で神様の言葉をもらう」というおみくじ本来の趣旨にならい、対面販売にこだわり、補充しては少しずつ販売を続けてきました。
おみく字は小さな奇跡も起こしています。山添に就職したスタッフから「実は面接前に引いたおみく字が『勝』だった」と言われた。お米を買い出す直前に来店したお客が、「米」を手に入れた……。そんな風に多くの人々を笑顔にしてきました。
日本語の活字が使えなくなった今も、山添では活版印刷を継続しています。「凸版」と呼ばれる印刷板を用いる方式です。かつては時代遅れとされた、紙に刻まれた文字のへこみや風合い、刷り手ごとに異なる仕上がりが人気といいます。
「15年くらい前でしょうか。工場の活版印刷機を見て『貴重だから残しておいた方が良い』と話すお客さんがいた。業界では『古い技術』とされていて需要が無くなっていたので、半信半疑というか。当時は意味が分かりませんでした」
しかし活版印刷を使った、イベント向けフライヤーなどの製作依頼が、次々舞い込むように。2010年には、活版印刷の名刺がオンラインで注文出来るサイトを、新たに立ち上げました。
名刺は現在、同社の主力商品となっています。そのほか、DMやブライダルの招待状、冊子の表紙などの依頼も受けてきました。活版印刷が用いられる領域は、広がるばかりです。
廃業した元同業者から、活版印刷機を譲り受ける機会も増えました。当初、父の常夫さんから受け継いだ1台だけ残っていたのが、現在は9台あるそうです。英字の活字に対応したものも所有し、一般向けの印刷ワークショップで活躍しています。
そして古の技術は、新型コロナウイルス禍による経営危機に際しても、光明となりました。在宅勤務の拡大などで、名刺の売り上げが落ち込んだ後、活版印刷を利用した紙製額縁を開発したのです。
外部のデザイン事務所と共同製作し、縁部分には、凸凹で幾何学模様やボタニカル柄をあしらいました。「Relieful(レリーフル)」と名付け、昨年1月に発売したこの商品は、全国展開の生活雑貨店の主要店舗に並んでいます。
野村さんは、おみく字のツイートが広く好感された点について、「『欲しい』と言ってくれる方の多さにびっくりしている」と驚きます。
「何とかして、人々の手に活字を届ける方法がないか。ずっと抱いてきた思いが伝わるというのは、何とうれしいことでしょう。物を捨てない『もったいない精神』あってこそ、ちょっとした幸せを感じて頂けたのかもしれません」
反響の大きさを受け、山添のオンラインストアでも、おみく字の取り扱いを始めました。一人2個までという購入制限を設けたものの、販売開始から30分足らずで、準備した70個が完売したそうです。
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