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存在感増す「漫才協会」芸人 錦鯉にU字工事…事務所を超え活躍の場

心を揺さぶった…おぼん、こぼんの〝仲直り〟ネット配信にも積極的

舞台上で目を合わせるおぼん(右)、こぼん=東洋館
舞台上で目を合わせるおぼん(右)、こぼん=東洋館 出典: 朝日新聞

目次

1955年に漫才研究会が設立され、改称を経て60年以上もの歴史を誇る「漫才協会」。その所属芸人コンビが今のお笑い界を盛り上げている。『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で話題となったおぼん・こぼん、テレビやラジオで活躍するナイツやU字工事、昨年2021年の「M-1グランプリ」で王者となった錦鯉も加入。閉じられたイメージのある漫才協会が今、存在感を発揮するのはなぜか? 芸人たちの活躍から考える。(ライター・鈴木旭)

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漫才協会の顔となったナイツ

漫才協会所属のコンビと言えば、真っ先に思い浮かぶのがナイツだ。2002年に漫才協会入りして以降、浅草の劇場をメインに活動するようになった。

2人は自身の芸を確立すると、2008年に「NHK新人演芸大賞」で大賞を受賞。「M-1 グランプリ」では、2008年~2010年まで3年連続で決勝に進出するなど結果を残した。その後、売れっ子となったのは周知の通りである。

しかし、ナイツは率先して漫才協会に入ったわけではない。所属事務所の会長から「浅草でスターを育てたい」と言われ、やむなく加入したのだ。漫才協会入りは「弟子入りして寄席に出る=しばらくはテレビに出られない」ということに等しかった。

この逆境を、ナイツは時間を掛けてプラスに転じた。浅草で過ごした時間こそ、コンビの持ち味になっていったのだ。現在、塙宣之は副会長、土屋伸之は常任理事を務め、漫才協会の顔となっている。また、2人によって師匠である故・内海桂子、浅草で活動するベテラン芸人のエピソードが世に知られることとなった。

ナイツ。塙宣之(左)と土屋伸之。右が浅草演芸ホールと東洋館、左の建物の付近が映画館発祥の地=浅草六区
ナイツ。塙宣之(左)と土屋伸之。右が浅草演芸ホールと東洋館、左の建物の付近が映画館発祥の地=浅草六区 出典: 朝日新聞

『水ダウ』で反響を呼んだおぼん・こぼん

ナイツが紹介したベテラン芸人の中で、もっとも大きな話題となったのが「おぼん・こぼん」だ。

当初は、2019年2月に放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の「芸人解散ドッキリ 師匠クラスの方が切ない説」に登場。ナイツ仕切りのもと行われたドッキリは、おぼん・こぼんの不仲を露呈するのみに終わってしまった。

その後も同番組は2人を追い、催眠術を仕掛けてコンビの溝を埋めようとするもあえなく失敗。昨年10月、こぼんの娘の結婚式に出席する模様を収めた「おぼん・こぼん THE FINAL」が放送され、ようやく仲直りを果たす。リアルな熟年コンビの機微は、見る者の心を揺さぶるものがあった。

この放送回は、放送批評懇談会選定の「2021年10月度ギャラクシー賞月間賞」を受賞。おぼん・こぼんが出演する劇場・東洋館も盛況となり、見事な大団円となった。この番組をきっかけに漫才協会の存在を知り、東洋館に足を運んだ視聴者も少なくないのではないだろうか。

おぼん(右)、こぼん
おぼん(右)、こぼん

2017年に真打ち昇進のU字工事

おぼん・こぼんのようなベテランばかりではなく、テレビでも活躍するコンビも漫才協会に所属している。そのうちの1組がU字工事だ。

2008年のM-1グランプリで決勝に進出。益子卓郎の「ごめんね、ごめんね~!」といったフレーズ、栃木弁なまりの漫才という独特のスタイルで注目を浴びた。岡山弁の千鳥、博多弁の博多華丸・大吉とともに、大阪弁以外の方言漫才をいち早く展開した先駆者でもあるのだ。

また、若手時代から地元・栃木での活躍を望んでいたのも印象深い。2015年前後にローカル番組ブームが起きるよりも前の話だ。現在、「とちぎ未来大使」を務め、『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)の出演時には、栃木にまつわる情報を披露して視聴者を楽しませている。

その一方で、2011年3月に漫才協会入りし、2017年に真打ちに昇進。しっかりと芸を磨きながら、お茶の間にも愛されている。彼らの素朴で味わい深い芸風は、ずん・飯尾和樹や阿佐ヶ谷姉妹と同じく今の時代だからこそ求められている気がしてならない。

栃木県のPRイベントで、トークライブを披露する漫才コンビ「U字工事」=2019年7月4日午後6時1分、大阪市北区
栃木県のPRイベントで、トークライブを披露する漫才コンビ「U字工事」=2019年7月4日午後6時1分、大阪市北区 出典: 朝日新聞

ラジオ番組で直談判した錦鯉

昨年、M-1 王者となった錦鯉も漫才協会に加入している。きっかけは2021年1月に放送された『ナイツ ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)だった。

2020年のM-1 で4位となった錦鯉がゲスト出演した際、長谷川雅紀が「漫才協会について詳しくお聞きしたい」と切り出した。すると、ナイツ・塙が芸歴の長い錦鯉に劇場でのお茶くみ、音響などの手伝いをさせるのは忍びないと二の足を踏んでいたことを説明。とはいえ、M-1 ファイナリストになったため新人扱いは必要ないとして「ぜひ入っていただきたい」と受け入れ加入が決まった。

錦鯉の結成は2012年。長谷川雅紀が40歳、渡辺隆が33歳というあまりに遅いスタートだった。だからこそ、漫才協会入りするにあたって「新人扱いすべきかどうか」という問題も出るわけだが、それをはねのけるだけのバイタリティーが彼らにはあった。

所属事務所ソニー・ミュージックアーティスツの常設劇場「Beach V(びーちぶ)」だけでなく、率先して若手中心のライブに出演し、親子ほど年齢の違う芸人に交じって漫才を披露し続けた。コンビ歴が浅いとはいえ、なかなか真似できないことだ。

事務所の先輩であるハリウッドザコシショウから「長谷川はバカなんだから、バカを前面に押し出せ」と言われて劇場でウケるようになったのも、仲間に恵まれただけでなく彼らが聞く耳を持っていたからだろう。そんな2人がM-1 で優勝したことは、漫才協会にとってもプラスでしかないはずだ。

優勝トロフィーを手にする錦鯉の長谷川雅紀(左)と渡辺隆=2021年12月19日、東京都港区、西田理人撮影
優勝トロフィーを手にする錦鯉の長谷川雅紀(左)と渡辺隆=2021年12月19日、東京都港区、西田理人撮影 出典: 朝日新聞

ネット配信時代に機能する漫才協会

そのほか、『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で人気となったX-GUNやプリンプリン、「THE MANZAI」で優勝したハマカーン、同大会で決勝の常連だった磁石といったコンビも漫才協会に所属している。

東京では、吉本興業を除いてほとんどの芸能事務所が劇場を持っていない。つまり、主催者がライブごとに出演者や会場を押さえ、客を呼び込む必要があるのだ。

2022年1月19日に放送された『お笑い実力刃』(テレビ朝日系)の中で、ビビる大木が「(自分が若手だった)当時の渡辺プロ(ダクション)のシステムっていうか、何ていうのかな……。テレビのお仕事もらえるようになったら事務所のライブ卒業っていう感じだった」と語っていることからも、ある時代まで「芸人の主戦場はライブではなくテレビ」という考えが一般的だったことが読み取れる。東京の芸能事務所が劇場を持たないのは、その名残なのだろう。

また2000代初頭あたりまで、事務所に所属していない芸人はライブにさえ簡単に出られなかった。その文脈から、芸人主催のライブが増え、お笑いライブ制作会社が立ち上がった経緯がある。

漫才協会の基礎となる「漫才研究会」が設立されたのが1955年。ツービートの駆け出し時代(1970年代)には、漫才協団(現・漫才協会)への加入が必須で、一門の師匠に弟子入りしなければ劇場に出られなかったという。そんな閉じられたイメージの強かった漫才協会が、柔軟さを取り入れながらネットではイベントの生配信に加え、Radiotalkでの告知、YouTubeで「漫才協会ライブ」の模様やラジオ動画を公開するなど、新しいフィールドに積極的なのは実に興味深い。

芸人にネタを披露する場を与え、漫才協会に所属する芸人が活躍することで劇場が賑わう。この事務所の垣根を超えた持ちつ持たれつの構造は、今のコロナ禍を経てもなお変わることはないだろう。

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