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終電逃し床にプチプチ敷く日々…「私がいないと!」の残酷な行く末
1日の睡眠時間は3時間。インターネットで「過労死」と検索する日々。一方で「自分がいないと職場が困る」と使命感を抱き、とりつかれたように頑張り続けた――。働きすぎで倒れ、1年前に退職した女性はそう振り返ります。
現在も療養中。過酷な状況から離れられたはずなのに、「『何者でもない自分』が、寂しくて、悔しい」という感情が襲ってきたと話します。
「役に立ちたい」という思いの「呪縛」について考えます。
接客業や事務員のアルバイトを続けていた女性は30歳の頃、編集プロダクション(編プロ)の社員となりました。出版社などの依頼で、記事の企画や取材、執筆などを行う会社です。
「バイトの時は、生活のために働いているという感覚でした。本が好きでしたので、編プロでライターとして働けることがうれしかったです」
企画した記事が掲載され、書籍や雑誌が全国に並ぶ。タレントやプロスポーツ選手を取材する。そんな経験に「誇らしい気持ちがありました。どこかで特別なことをしているとも思っていました」
仕事は多忙を極め、終電を逃すこともありました。
「しんどかったですが、興奮しているような、アドレナリンが出ているような感覚で、楽しさもありました」
そんな上司の言葉に期待を感じ、「自分がいないと職場が困る」と使命感を抱いたと話します。
状況が悪化したのは、新型コロナウイルスの感染が拡大してからです。
職場では在宅勤務が進む一方、出社を続けていた女性に業務が集中しました。
「自宅に小さなお子さんがおられるなど、在宅に切り替えざるを得ない人が多く、出社して動ける自分が何とかしないと、と思いました」
2020年の夏は、特に過酷でした。終電で帰れれば早い方で、睡眠が3時間未満という日が3カ月ほど続きました。
頭がふわふわとし、仕事中に涙が出ることも。インターネットで「過労死」と検索する日々でした。
「それでも使命感を抱き、頑張り続けました」
ある朝、出社した女性は「おはようございます」と言ったその場で倒れました。
「休むように」という上司の言葉で医療機関を受診すると「うつ」と「不眠症」と言われました。その後、躁(そう)状態とうつ状態を反復する双極性障害と診断されました。
会社の規定では病気での休職は半年まで。ところが医師には「半年以内での復職は厳しい」と告げられました。1年前、女性は仕事を辞めました。
女性は現在、傷病手当金で生活しています。2週間に一度通院し、服薬も続けています。
体調にも波があります。「つらい時は体が動きません。息をするだけでも胸がヒリヒリと痛み、とても苦しいです。生きているだけで、精いっぱいです」
それでも、少しでも体調が良い時はスマホを手にアルバイトを探してしまうことがあると話します。
「働かなくては生きていけないという気持ち、社会から取り残される焦りがあるのです」
そんな時、趣味を楽しんだり、おいしそうなご飯をアップしたりする知人のSNSが目に入ってしまうとつらい気持ちになるそうです。
「肩書がないと、『何者でもない自分』だと感じ、寂しくて、悔しいです。何者でもない私は、何の役にも立てず、生きている意味があるのだろうかと思ってしまいます」
同志社大学の教授で、「『承認欲求』の呪縛」(新潮新書)などの著書がある太田肇さんは、「役に立ちたい」という思いの功罪両面について説きます。
「『役に立ちたい』というような『承認欲求』は、人間の根源的な欲求です。プラス面も呪縛となる面もあり、うまく付き合っていくしかありません」
低次の欲求が満たされると、次の高い段階の欲求が現れるという、心理学者A・マズローが説いた「欲求の5段階説」を引き、「承認欲求」は人間に本来的に備わっていると指摘します。
太田さんの研究によると、管理職が部下をほめるなどして承認欲求を満たしたグループは、そうでないグループよりも営業成績が上がったそうです。
ほかの研究からも、自己効力感が高まるとメンタルヘルスによい影響を及ぼしたり、不祥事を減らしたりする効果があると説明します。
「こうしたプラス面から『承認欲求は最強』と言われることがあります」
ただ太田さんは「影」の部分も指摘します。
部活の主将が部員への気遣いに疲れて気力を失ってしまう。出世コースに乗った若手社員が、プレッシャーでうつ状態になってしまう――。承認欲求を満たすために頑張り過ぎて、体調を崩してしまうように、プラス面がマイナスに転じることがあると言います。
「『使命感』や『責任感』といった言葉に置き換えられて、これが承認欲求であることは気づきにくいのです」
その上でこうも言います。「日本は共同体的な社会で、他人の目を気にします。すると、『頑張らないと』と自分で期待を高めてしまいがちです。そうして無理をしてしまう。承認欲求に乗っ取られてしまうわけです」
「ブラックバイト」で「やりがい搾取」をされたり、働きすぎで病に倒れたりするケースもあるとします。「悲劇的な事例では、過労死につながってしまいます」
どう向き合えばよいのか。
太田さんは、自身への期待値を適正な水準まで引き下げることが必要と話します。
ただ、期待をかけるのは周囲。そこで、例えば、評価軸の見直しが求められるとします。態度や意欲といったあいまいな評価基準だと、「期待に応えねば」と働きすぎなどにつながりかねないとします。
その上で「失敗の経験も必要です」。失敗が許されないと思うと過度なプレッシャーで自分を追い込んでしまいます。
もう一つ、太田さんが提唱するのは、承認欲求の「棚上げ」です。
「いつでも、どこでも認められようとせず、大事なところだけ欲求を満たそうと考えてはどうでしょうか。裏を返すと、それ以外の場面では、他人に『花を持たせる』、相互承認をめざすことも大切です」
インフルエンサーが「ホームレスの命はどうでもいい」と発言して炎上、謝罪しました。
「役立つかどうか」「価値があるかどうか」で人間を判断するような基準の広がりが根底にあるのではないでしょうか。
一方で、「役に立ちたい」という個人の思いは、自らを苦しめることもあれば、肯定的にとらえられることもあります。
さまざまな視点で「役に立つ」を考えます。みなさんのご意見も「#役に立つの呪縛」でつぶやいてみてください。
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