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オードリーと錦鯉、同期で同学年 時代経て変わった“遅咲き”の尺度
どんどん大きくなる賞レースの存在感
昨年の「M-1グランプリ」で優勝し、『情熱大陸』(MBS/TBS系)に出演するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いのお笑いコンビ・錦鯉。ツッコミの渡辺隆は、オードリーと同期で同学年と共通点も多い。2008年の「M-1」で結果が出ていなければ芸人を辞めていたという若林正恭。渡辺もコンビ解散を繰り返しようやくたどりついた栄冠だった。2人の軌跡から、時代を経て変わった“遅咲き”の尺度、いまだ賞レースが存在感を増す理由について考える。(ライター・鈴木旭)
ダウンタウンにあこがれ、渡辺隆は1999年にNSC東京校の門をたたいた。同期には、ピース、平成ノブシコブシ、キングコング、南海キャンディーズ・山里亮太らがいる。この面々だけ見ても、個性はバラバラだ。つまり、「芸人の成功とは何か?」が問われた世代なのである。
キングコングは、NSC大阪校在学中にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。最短ルートで『はねるのトびら』(フジテレビ系)といった番組に出演し、人気芸人の仲間入りを果たしている。そのほかの芸人は、キングコングの成功に翻弄(ほんろう)されながらも、時間をかけてそれぞれのポジションを築いていった。
渡辺もそんな状況下で自身の道を模索した1人だ。当初は高校の同級生だった江波戸邦昌(元オテンキ、昨年2021年8月に引退を発表)とのコンビ「ガスマスク」として活動。解散後、2004年から小田祐一郎(現・だーりんず)と「桜前線」を結成するも4年ほどで終止符を打った。
ピン芸人として活動する中で、2012年に同じ境遇にいた長谷川雅紀と「錦鯉」を結成。渡辺が33歳、長谷川が40歳、コンビとしては遅すぎるスタートだった。しかし、それが2人の持ち味となり、ついには昨年のM-1グランプリで最年長優勝の快挙を成し遂げた。これも成功の一つ、芸人人生は何が起きるか本当にわからないものだ。
錦鯉の成功を考える時、やはり脳裏をよぎるのがオードリーの存在だ。渡辺とは同期にあたり、同じ日大系列の高校でアメフト部に所属していたことも共通する。
また、渡辺は前のコンビ・桜前線でボケを担当しており、その後ツッコミに転じている。オードリーもまた結成当初は若林正恭がボケ、春日俊彰がツッコミだった。賞レースで目立つためには、独自のフォーマットを確立しなければならない。ポジションの交代は、そんな時代とリンクした部分も大きいだろう。
もう一つ、同時代的な特徴を感じさせるのが客観的な分析力だ。若林は、2021年12月30日に放送された『あちこちオードリー』(テレビ東京系)の中で「僕らM-1の時、10年が限界で9年目だったんですよ。同じ審査員が準決勝から決勝(進出者を)選ぶから、(翌年に出場しても)同じようなスタイルだと落とされるっていうのがあった」と語っている。
つまり、2005年に初めて披露した“ズレ漫才”は、2008年の大会で決勝に出ていなければ確実に効力が弱まっていた。もしそうなっていたなら、芸人としての成功もなかっただろうという考えだ。
一方の渡辺は、同じ事務所のアキラ100%の名付け親であり、ハリウッドザコシショウやバイきんぐのネタにアドバイスを送る“ブレーン”としても知られている。その片鱗(へんりん)は、芸人として鳴かず飛ばずの時期からあったのだと考えられる。
「もうお笑いもほぼやってなくて、夕方くらいに起きてタバコとワンカップ(酒)買って、近所の河原で知らない中学校の野球の練習ずっと見てたんですよ。そのチームの最強のスタメンを僕が考えたんですよ、勝手にノートに(書き留めて)。その完璧なスタメンができた時に『俺は一体何をやってるんだ』と思いまして。完璧なオーダー組めたんですけどね」(2021年12月27日に放送された『M-1グランプリ2021 アナザーストーリー』(テレビ朝日系)より)
錦鯉とオードリーは、“遅咲き”という点でも似たものがある。とはいえ、“遅咲き”の定義自体、2000年代は30歳前後、2010年代に入ると40代にまで伸びたように思う。
これは賞レースの出場資格による影響が大きいだろう。2000年代のM-1は結成10年以内という縛りがあった。そもそも若手漫才師を対象としており、「10年で売れない芸人は別の道を考えろ」という裏テーマも込められていたからだ。
オードリー・若林は、2021年12月25日に放送された『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の中で、「(2008年に結果を残していなかったら)2009年のM-1が決勝行けなくて(芸人を)辞めてると思う」「(しばらくして知人の前から)いなくなってたんじゃないかな」と語っている。この発言からも、当時のタイムリミットは30歳前後だっただろうことが読み取れる。
しかし、芸歴制限のない賞レースが注目を浴び始めると、年齢の高い芸人にもチャンスが到来した。「キングオブコント」では2012年にバイきんぐ、「R-1ぐらんぷり(2021年「R-1グランプリ」の表記になってからは芸歴10年以内)」では2016年にハリウッドザコシショウが優勝。30代中盤から40代の躍進によって、賞レースは「若手のスター発掘」から「テレビスター発掘」へと主軸が移っていった。
その後、2人がバラエティーで活躍しているのは周知の通りだ。M-1も2015年からは「結成15年以内」に年数が伸び、錦鯉の場合は、この“結成○年”という条件を逆手にとって史上最年長で優勝を果たした。「ラストイヤーが56歳」という長谷川の言葉は、どの芸人とも被らない武器になったのである。
賞レースの高年齢化が進む一方で、大会結果に一喜一憂する芸人の姿は2000年代から何ら変わっていない。
その理由の一つとして、ブレークの道筋が確立されていった点が挙げられる。M-1が顕著だが、賞レースで優勝した面々は、各局の番組を一周して名前と顔を売っていく。また、その芸人が売れっ子になるほどに賞レースのイメージが湧き上がり、翌年の大会への興味にもつながるというサイクルだ。
賞レースがイベント化すれば、芸人にとっても番組制作にとってもメリットは大きい。この好循環によって、とくにM-1は年々注目度を増していった。
とはいえ、通常のバラエティー番組でこうした仕組みを生み出すのは容易ではない。2000年前後はお笑い番組が少なく、“冬の時代”と呼ばれていた。制作費のかかるコント番組は激減し、勢いのある若手が冠番組を持つのも容易ではなかった。その中で『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)や『エンタの神様』(日本テレビ系)といったネタ番組が主流となっていった経緯がある。
ネタ番組は、芸人が世に出るチャンスを与えた一方で、「本来の持ち味」や「ネタの届け方」を保障していたわけではなかった。“一発屋”という扱いを受け、あっという間に消費されてしまう怖さもあったのだ。だからこそ、できる限り芸人主導の理想的な場を求め、2000年代の漫才師はM-1に出場し、コント師は単独ライブで動員を増やしていった。
2010年代までは、“若手のスター発掘”を軸としたバラエティーもいくつかあったが、ここ最近ですっかり影を潜めた。その影響もあり、SNSで人気を博すタレント、賞レースで結果を残した30代~40代の芸人が深夜番組の顔になっているのだろう。
ネットによって発信するプラットフォームが増え、コンプライアンスが重視される昨今、テレビ業界は保守的にならざるを得ないのかもしれない。そんな中、数少ない“確度の高い成功”が約束されている賞レースの存在感は今後も増していくのだろう。
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