お金と仕事
「まだできる」29歳までにJリーガー…会社員とのデュアル選んだ現実
「働く」こと自体が経験と自信に
“契約満期”での退団は、事実上のクビ。そう話すのは元Jリーガーの西山雄介さん(27)です。将来はJ 1選手になることを目標に、現在はアマチュア選手としてプレー。昨年から、将来を見据えて会社員としても働いています。華やかなスポーツの世界には西山さんのような夢と現実の間に揺れ動く多くの選手たちがいます。デュアルキャリアを築きはじめて半年たった今の心境を聞きました(ライター・小野ヒデコ)
西山雄介(にしやま・ゆうすけ)
6歳でサッカーをはじめ、高校時代に地元の東京・武蔵野のサッカークラブのユースに入団しました。卒業後、山梨学院大学3年次に当時J1チームだったヴァンフォーレ甲府の特別指定選手になりました。特別指定選手とは、大学に所属したまま、Jリーグの公式試合に出場できる制度です。それまで漠然とJリーガーに憧れていましたが、この時、一気に夢が現実味をおびました。
その後、ヴァンフォーレ甲府から声はかからなかったのですが、J3チームのY.S.C.C.横浜からオファーをもらいました。Jリーガーの契約内容は様々で、私の場合は報酬が出ない内容でした。それでも、「夢を叶えること」を優先するとを決め、大学卒業後は就職ではなく、サッカー選手の道を選びました。
念願の「Jリーガー」になれたものの、プロではありません。そのはがゆさをハングリー精神に変えて、アルバイトを2個掛け持ちしながら練習に打ち込みました。
転機が訪れたのは、翌年。J3チームのガイナーレ鳥取から声がかかりました。当時の監督は、大学サッカー部時代の監督でもあった人でした。その監督に私の「攻めるDF」のプレースタイルを評価してもらえた結果だったと思っています。
ガイナーレには2018年夏に移籍し、2年間の選手契約をしました。最初の半年はアマチュア契約だったため、引き続きアルバイトを掛け持ちながらでしたが、その半年間で実績を残すことができました。
以前と比べて特段サッカーが上手くなったわけではないと思っています。実績を上げられたのは、監督が求めていることと自分のプレースタイルがマッチしていたことが要因だと思っています。その結果、翌年2019年に初めてプロ選手になることができました。
3年目でプロになり、上に登っていくことしか考えなかったのですが、予想外のことが起こりました。半年後、監督が交代することになったんです。トップが変わると、チームの方針も変わるのが常です。自分の強みのダイナミックさを発揮することが難しくなり、試合に出場する機会もどんどん減っていきました。
振り返ると、プロになってからの方が苦しかったです。お金をもらっているのに、納得するプレーも、結果も残すことができなかったからです。
契約終了の2020年12月末が近づくにつれ、更新は難しいことは予想していました。案の定、契約満了で退団。「契約満了」というと聞こえは良いですが、事実上の「クビ」です。
その結果を受け、迷わず次の所属先を探しました。パフォーマンスが落ちていたわけでも、自分の成長に限界を感じていたわけでも、ケガなどでプレーができなかったわけでもありません。「まだできる」という気持ちを強くもっていました。
そして、すぐに高校時代にプレーをしていたJFL所属の東京武蔵野ユナイテッドFCに直接交渉をしにいきました。その結果、受け入れてもらえました。
その対応をありがたく思い、チームに貢献したい思いを人一倍強く持ちました。同時に、契約が切られると収入がゼロになるリスクも感じるようになっていました。
そう考えていた時に出会ったのが、アスリートのキャリア形成をサポートする日本営業大学という団体でした。1クール3カ月間単位で、社会人マナーやマインド、PCスキルなどを講義形式で教わる内容に興味を持ち、受講してみることにしました。
これまで社会人経験はアルバイトのみだったので、働くうえでの基本的な知識を一から教わる貴重な機会となりました。その中で、学長の中田仁之さんに現状を話したところ、「社会人経験を積んだ方がいいのでは」とアドバイスをもらいました。
その時、私は20代後半の年になっていました。ちょうど「引退後」のことも視野に入れ始めていたタイミングだったので、思い切って就職をし、サッカーと仕事を両立する決意をしました。
学長の推薦もあり、昨年4月に不動産会社のゲイツに入社しました。ゲイツにとっては、私のようなスポーツ選手の採用が初めてだったのですが、関野雄志社長の配慮もあり、デュアルキャリアを了承してもらいました。現在は営業として、週4日勤務の契約で働いています。
他の社員の方の仕事時間より少ない中で働くこと、そして、飛び込み営業をすることに、サッカーとはまた違う厳しさを感じています。でも、「働く」こと自体が、経験と自信につながっているとも感じています。
まだまだサッカー選手としてやっていきたいと思っているので、引退後の人生に不安を感じることはなくなったと感じています。
一方、東京武蔵野ユナイテッドFC での2021年シーズンは、リーグが始まる前にケガをしてしまい、幸先の良くないスタートとなりました。さらに、競技と仕事のバランスを取るまでに時間がかかり、なかなかペースをつかむことができず……。
生活リズムを整えるのに半年かかりましたが、徐々に監督やチームメイトにも自分の良さを伝えることができていきました。
昨シーズンはJFLリーグ内の残留争いをした年となりました。シーズンの後半は試合にも出られるようになり、ゴールを決めることもできました。結果、JFL残留となりました。チームに少しでも貢献できたことをうれしく思っています。
2022年については、引き続き東京武蔵野ユナイテッドFCでプレーできるかどうかまだ決まっていません。すぐ先の未来の予測が難しいですが、中期目標にJ1選手として活動することを据えています。
年齢のことを考えると、遅くとも29歳の年になる2023年までにJリーグにいないと難しいと思っているので、サッカー人生においては今年が勝負の年になると思っています。
その一方で、全てを捨ててまでサッカーに打ち込むことは考えていません。「サッカーのみに集中しないと、後に後悔するのでは?」と言われるかもしれませんが、自分の中では後悔しない選択をしていると思っています。
周りのJリーガーたちが活躍している姿を見ると、正直、劣等感を感じます。でも、私は仕事と競技を両立することで、将来の経済的そして社会的不安は消えました。
今は精神的にも体力的にもきついですが、将来振り返った時に「あの時のもがきが成長につながった」と思えるようになりたいです。
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