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コラム

「障害があるから負けて当然」私の考え覆したアルビノパラ選手の言葉

何かを悔しがることの大切さ

遺伝子疾患・アルビノで、女子ゴールボール選手の欠端瑛子さん。弱視などの症状があっても、スポーツを極められた理由とは?同じアルビノのライターが聞きました。
遺伝子疾患・アルビノで、女子ゴールボール選手の欠端瑛子さん。弱視などの症状があっても、スポーツを極められた理由とは?同じアルビノのライターが聞きました。 出典: 朝日新聞

目次

雁屋優さん(26)は、髪や肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノです。症状の弱視のため、身の安全を確保する目的で、大人から運動を制限される場面がありました。そんな経験ゆえ、今でもスポーツが苦手だといいます。

対照的な生育歴を持つのが、同じくアルビノで、ゴールボール選手のパラアスリート・欠端瑛子さんです。疾患に伴うリスクがあっても、親や教師から、体を動かすことを肯定されて育ちました。今年開かれた東京パラリンピックでの活躍ぶりが、大きく報道されたのを覚えている人もいるかもしれません。競技にのめり込めた理由について聞き、考えたことを、雁屋さんにつづってもらいました。

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「スポーツが嫌いだった」パラアスリート?

この夏、東京で開催された東京パラリンピックには、多くの国や地域からアルビノの選手が出場した。私自身もアルビノであるため、アルビノのパラアスリートには自然と目が行くし、情報も何となく追っていた。

アルビノは、髪や目の色が薄く生まれる遺伝子疾患だ。一般には見た目の印象が強いようだが、スポーツをする上では、日焼けへの弱さ・アルビノに伴うことの多い弱視といった症状が大きく影響する。

私自身、アルビノとして生まれた。上記のような症状により、学校での体育の授業などを免除されていた時期もある。しかしそうした配慮が、結果的に「スポーツはうまくできないから嫌い」という苦手意識を作りだしてしまった。

それゆえに、アルビノのパラアスリートがいることは、私にとって信じがたかった。数年前から、その存在を知ってはいたけれど、今回の東京大会を観ていて、より実感のあるものとして迫ってきたのだ。

特に気になったのは、スポーツには不向きとされる症状がありながら、なぜ競技を極めたいと思えたのかという点だ。早くから運動と距離を取ってきた私にとって、遠い世界の出来事のように感じられたのである。

各国のアルビノのパラアスリートを、テレビの画面越しに見つめたり、何気なくネット上で関連情報を検索したりする中で、女子ゴールボール日本代表・欠端瑛子選手のインタビュー記事を見つけた。そこには、こんな発言が載っていた。

「私がスポーツをあまり好きじゃないなと思ったのは、やっぱり見えにくいからなんです」

衝撃を受けた。元々スポーツが苦手だったのに、どうしてパラアスリートとなるに至ったのだろう。興味を抱いた私は、直接理由が聞きたくて、取材を申し込んだ。

東京パラリンピックの女子準決勝でトルコ戦に敗れ、声を掛け合う欠端瑛子さん(右から2人目)ら日本の選手たち=2021年9月2日、幕張メッセCホール、矢木隆晴撮影
東京パラリンピックの女子準決勝でトルコ戦に敗れ、声を掛け合う欠端瑛子さん(右から2人目)ら日本の選手たち=2021年9月2日、幕張メッセCホール、矢木隆晴撮影 出典: 朝日新聞

ゴールボールとの出会いが、人生の転機となった

欠端さんへのインタビューは今秋、新型コロナウイルスが流行する時節柄、オンラインで実現した。「今日はよろしくお願いします」。試合中の真剣な表情とは、また違った魅力にあふれた柔和な笑顔で、私の問いかけに応じてくれた。

まず最初に、ゴールボールとの出会いについて尋ねた。

ゴールボールとは、視覚障害がある人を対象としたスポーツだ。選手全員がアイシェード(目隠し)をして、鈴の入ったボールを転がすように投げ合う。自陣へのゴールを全身で阻むため、その動きの激しさから、「静寂の中の格闘技」とも呼ばれる。

東京大会で、体を一回転させボールを投じる「回転投げ」を繰り出し、会場を沸かせる欠端さんの姿を見た人もいるだろう。彼女にはアルビノ由来の弱視があり、現在の視力はおよそ0.05ほど。数字だけみれば、およそ0.1ある私よりも低い。中学時代は、教室の最前席に座り、拡大鏡を使って教科書などの文字を読んだという。

手に職を付けたいと、高校は鍼師(はりし)や灸師(きゅうし)、あん摩マッサージ指圧師の資格が取れる盲学校に進んだ。そこで、人生を決定づける経験をする。

「1年生のとき、生徒たちが、体育の授業でゴールボールをしているのを見ました。痛そうだし、怖そうだし、『絶対嫌!』と感じた。でも2年生になって、高校の友達から『人数が足りない』とゴールボールの大会に誘われ、出場することになったんです」

実際にやってみると、視覚情報に頼らずにプレーし、他の選手と同じように動きボールを追うスタイルが、性に合っていると思えた。「私、思ったよりも、できる」。自信を深めた欠端さんは、競技にのめり込んでいく。美術大に進学後の2011年、国際ユース大会に出るため、米国・コロラドの地を踏んだ。

「ただ、このときの成績は最下位。悔しかったし、もっと勝ちたいと思いました。そんなとき、(2012年の)ロンドンパラリンピックを目指すことになったんです」

そしてロンドン、2016年のリオデジャネイロ大会への出場を果たした。今夏の東京大会でも屈指の活躍を見せ、チームの銅メダル獲得に大きく貢献したのは、周知の事実だ。

柔和な笑顔でオンライン取材に応じる欠端さん
柔和な笑顔でオンライン取材に応じる欠端さん

むやみに行動を制限しなかった大人たち

ここまで話を聞き、改めて疑問に思った。私が記事で読んだように、「スポーツが嫌いだった」過去と、今の欠端さんの姿が、なかなか結びつかない。どうして、ゴールボールに打ち込めたのだろうか。

返ってきた答えは「スポーツは嫌いだけれど、遊びなどで体を動かすことは、嫌じゃなかったんです」。更に周囲の人々から、運動を止められた記憶もないという。ゴールボールについて言えば、むしろ高校の同級生や教師から、「一回やってみよう」と積極的に声をかけられた。

もちろん、アルビノ当事者ならではの配慮も受けていた。学生時代は日焼けのしやすさから、炎天下の屋外で行われるプールの授業を見学することがあったそうだ。私も似たような経験をしてきたので、事情は理解できる。

それでも欠端さんいわく、大人からむやみに行動を制限されることはなかった。

例えば元プロ野球選手の父・光則さんとは、兄と3人で近所の公園を散歩がてら、よくキャッチボールをした。幼少期、くもりの日に海を訪れ、欠端さんの体に日焼け止めを塗り直し忘れてしまい、全身に水ぶくれができ病院に運ばれるハプニングも。しかし都度、アルビノについて学び、わが子の意思を最大限尊重してくれたと感じている。

「これはできる、できないと、その場で判断していたのでしょう。一口にアルビノと言っても、人によって見え方などは違います。こなせること、やりたいことも同じ。全て当人次第です」

一方で、私が経てきた環境は、欠端さんと対照的だった。中学時代、体育の授業で球技をしたときのこと。弱視の影響で、迫り来るボールを避けきれず、眼鏡を壊してしまった。教師からは試合時の見学を勧められ、従った。

高校まで通っていたスキー教室でも、前がよく見えなくて、しょっちゅう転んだ。最終的には、私の身を案じた指導者から、ジュニア検定を受けないよう促された経緯がある。

いずれの判断も、安全確保を優先した結果と分かってはいる。それでも欠端さんのように、運動したい気持ちを肯定してくれる人々に囲まれていたら、スポーツとの距離がもっと縮んだかもしれない。そう思った。

東京パラリンピック・ゴールボール女子3位決定戦の後半、相手ボールを止める高橋利恵子(左)・欠端瑛子の両選手=2021年9月3日、幕張メッセCホール、川村直子撮影
東京パラリンピック・ゴールボール女子3位決定戦の後半、相手ボールを止める高橋利恵子(左)・欠端瑛子の両選手=2021年9月3日、幕張メッセCホール、川村直子撮影 出典: 朝日新聞

「周囲が肩代わりせず、当事者にやってみてもらう」

アルビノ当事者や障害者にとって、周囲の計らいにより、かえって将来の選択肢が狭まってしまう事態は悩ましい。私が経験した、運動を巡る一件は、その最たる例と言えるだろう。

欠端さんが自らの道を歩むことができたのは、親御さんを始めとした大人の協力があってこそと感じる。

疾患や障害がない人たちに対し、伝えたいメッセージはありますか――。インタビュー終盤、欠端選手に尋ねてみた。

「当事者に何でもやらせてあげてほしいです。例えばアルビノに関してなら、『見えていない』という周囲の先入観が根強い。疾患や障害がある本人も、(まずは色々取り組み)『これができる、これはできない』と自覚できれば、工夫が可能になるように思います」

「『できないならやってあげる』という風に、何でも肩代わりするんじゃなくて、まずは本人にやってみてもらう。それが大切ではないでしょうか」

欠端さんは「まずはアルビノ当事者に、何でもやらせてあげてほしい」と、周囲で見守る非当事者や大人に呼びかける。
欠端さんは「まずはアルビノ当事者に、何でもやらせてあげてほしい」と、周囲で見守る非当事者や大人に呼びかける。 出典: 朝日新聞

疾患や障害があっても、手探りで挑戦できる社会に

欠端選手は、現在28歳。26歳の私と、ほぼ同世代と言っていいだろう。しかし、生育環境は大きく異なる。

私と違い、欠端さんは障害を理由に、スポーツへの参加を制限された経験が、ほとんどない。親や学校が手探りだったのは、私も欠端選手もそう変わらないはずだが、その差はどこで生まれたのだろうか。

私自身、プロスポーツ選手になりたかったわけではない。障害があるから、アルビノだから、そのような選択肢が元々ないと、小さい頃から思っていた。そこに本質があると思う。私は、スポーツで負けても、欠端選手のように悔しがることができなかった。障害があるから、負けて当然と思っていたからだ。

そう考えるようになったのは、私自身の性格の影響もあるし、「見えていないからできなくても仕方ない」と思って私に接していた、周囲の大人の態度を感じ取ってしまったことも、大いに関係しているだろう。

もちろん、積極的に運動をさせないという判断が、私を思っての配慮だったと承知しているし、感謝もしている。しかし、その配慮がいくつかの機会を私から奪ったことも、また事実だ。一方で今回のインタビューを通じ、欠端さんのように、高い熱量で極めたいと思えるものがある人の強さも知った。

幸い、私には、欠端さんがゴールボールについて感じるのと同様、「悔しい」「もっとできるようになりたい」と思えることがある。それは、文章を書くことだ。私にも、熱意をもって極めたいと思うことがあるのだ。

そうした対象と出会うためには、色々なことを試してみる必要がある。疾患や障害を理由に、物事に取り組む機会や選択肢を絞るのではなく、その人の状態や希望に合わせて、周囲も一緒に手探りし、できること・やりたいことを見つけていくのがいいだろう。

そのような姿勢が社会に広がっていくことが、アルビノ当事者や障害者だけでなく、皆が機会を得られ、活かしていける社会の実現につながっていくと、私は考えている。

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