MENU CLOSE

エンタメ

予備知識ゼロで渡米、数万人オーディション勝ち抜いた「いったれ娘」

ニューヨークのアポロシアターを揺さぶった歌声

予備知識ほぼゼロの状態から、数万人のオーディションを勝ち抜いた女性ボーカリスト、TAEKOさん=山本倫子撮影
予備知識ほぼゼロの状態から、数万人のオーディションを勝ち抜いた女性ボーカリスト、TAEKOさん=山本倫子撮影

目次

譲り合いや気遣いは大切なことですが、そればっかりだと息が詰まる時も。女性ボーカリスト、TAEKOさんは、予備知識ほぼゼロの状態から「ググって」調べた世界最難関のオーディションに挑戦。本選まで勝ち抜くと、次は数万人が挑むアメリカの公開オーディションのリアリティ番組で審査員の度肝を抜くパフォーマンスを披露します。どんな時も「いったれ」精神で道を切り開いてきたTAEKOさん。何かに挑戦したいけど攻めあぐねている人に「何でも口に出して、出たい、やりたい、と言っていたら、そうなると思っています」と語りかけます。(朝日新聞・坂本真子)

【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?

「周りのレベルが高すぎて、うわ、やば」

米NYにあるエンターテインメントの殿堂「アポロシアター」。世界中のアーティストたちの憧れであり、非常に狭き門であるそのオーディションに、2017年秋、TAEKOさんは挑戦しました。

「ネットで調べたら、朝5時に並んだ方がいいとか、いろんなことが書かれていて、どれを信じていいかわからなくて、とりあえず朝5時に行ってみたら、69番目だったんです」

午前10時の受け付け開始時には、見たことのないような長蛇の列。予選はオーディション室に30人ずつ入り、審査員の前で1人が90秒間、全力で歌う形で行われました。

「周りのレベルが高すぎて、うわ、やば、って思ったんですけど、ここまで来たら『いったれ』と。ビヨンセの『リッスン』を90秒歌ったら、『受かった人にだけ連絡します』と言われて、それで終わりでした」

翌2018年1月、観光で訪ねた韓国の仁川空港でキムチチゲを食べていたとき、インスタグラムにメッセージが届きました。

「『HEY! あなた、2月18日にステージ決まってるよ』みたいな内容で、黒人女性の審査員の方からコメントが来て、受かっていると知って。実はその前にメールで合格通知が来ていたんですけど、英語の迷惑メールかな、と勘違いしていたんです。返信がないのでインスタに連絡してくれたみたいで、びっくりして、すぐに『行きます』と伝えました」

2月18日にアポロシアターでの本選に呼ばれたのは、わずか8名でした。リハーサルも本番も、憧れのステージ上で生演奏に乗せて3分間。TAEKOさんは予選と同じ「リッスン」を超満員の観客の前で歌いました。

「YouTubeで見ていたステージに立っているなんて奇跡だと思いました。優勝したのはボイスパーカッションの黒人の方だったんですけど、みなさん、もちろん歌がうまいですし、楽屋とかでもすごく高め合うんですよ。闘いなのに、すごい文化だな、と感動しました。最後のジャッジは声援と拍手の数で決まるので、ブーイングが出たら退場しないといけないんです。私は最初緊張しすぎて震えていたら、ちょっとブーって聞こえたんですけど、サビは『いったれ』精神で挽回しました。お客さんも『うわーお』と盛り上がって、ヨッシャー!と思いました」

「リッスン」は、日本では2007年に公開された映画「ドリームガールズ」で、主演のビヨンセが歌った曲。当時、この映画を見て衝撃を受けたTAEKOさんは、「ビヨンセみたいに歌いたい」と、カラオケなどでひたすら練習したそうです。その思い入れのある曲を、大舞台で歌いました。

山本倫子撮影
山本倫子撮影

数万人が挑戦のリアリティ番組で異彩

TAEKOさんが次に挑んだのは、米NBCネットワークで放送されている公開オーディションのリアリティ番組「アメリカズ・ゴッド・タレント」。彼女の存在は、数万人の挑戦者の中でも異彩を放ちました。

「最初の予選は、カメラ1台と審査員1人の前で歌うんです。それで落ちたと思って帰ろうとしたら、『NO!NO!NO!NO!Wait!』と止められて、本選のオーディション会場に呼ばれました」

「アメリカズ・ゴット・タレント」と書かれた派手な照明の部屋で、プロデューサーやカメラがずらりと並ぶ中、TAEKOさんは強力なライバルたちと対峙しました。

「日本を強調するために、着物のようなものを着ました。中はスポーツ用の黒のビキニで、ミュージカルの『シカゴ』みたいな格好をして。真っ黒のこけしみたいなおかっぱのかつらをかぶって、ビヨンセの『ラブ・オン・トップ』を歌ったんです。途中のダンスで全部パーッと脱いだら、みんな『うわーお』と盛り上がって。かつらも脱ぐと、中はパッキンキン(金髪)。そういうのが好きな番組というイメージがあったんで、練って練って考えました。プロデューサーたちはめっちゃ受けてましたよ」

しかし、まもなくコロナ禍に突入したことで、彼女の挑戦は打ち切りに。それでも、本選に進めたことは大きな自信につながりました。

「人種差別はもちろんあるけど、闘うのは実力。私にとってはすごくいい経験でしたね」

山本倫子撮影
山本倫子撮影

「踊れなくても1番前」衝撃の経験

TAEKOさんは大阪出身。ダンスが好きで、小学3年の頃「モーニング娘。」に憧れて地元のダンススクールに通い始めました。ジャズダンス専門のスタジオで踊るうちに、すっかり洋楽にハマったそうです。

「自分は洋楽を聴きながら踊る方が好きだな、とダンスを習ってわかったんですね。親は最初、私が本気だと思わなかったのでダンスシューズを買ってくれなくて、学校の白い上履きで踊っていました。1年ぐらいして初めてシューズを買ってもらったときはうれしかったです」

19歳で初めてNYへ。ブロードウェイでたくさんのミュージカルを見たほか、ダンススタジオを予約なしで訪ねて、片言の英語で「レッスンを受けたい」と頼み込んで参加。そこで衝撃を受けたと言います。

「日本と真逆だったんです。日本は、ダンスのレッスンでは前に出ないで譲り合い。でもアメリカは踊れなくても1番前。できなくてもとにかく自己表現の国だから、全然恥ずかしくないし、みんなが思いっきり表現しているのを見て、自分も負けずに『前に出るぞ』と思いました。それまでは日本人のダンスしか見たことがなかったので、リズム感も何もかも全てが素晴らしくて、こんなに違うんだと。すごくいい経験でした」

山本倫子撮影
山本倫子撮影

YouTubeをきっかけにデビュー

そして、本格的なダンス留学をする前に、まずは語学を身につけようと、フィリピンのセブ島で3カ月、英語を学びました。実はこのときの経験が、それまではカラオケで歌う程度だったTAEKOさんを変えたのだと言います。

「2カ月ぐらいは先生が言っていることがわからなくて、治安も悪くて1人で歩けなくて、やばいところに来たな、と。でも学校の寮で、中国人、韓国人、日本人で組んだのはすごく楽しかった。食堂ではよくアカペラで歌いました。それまで歌の練習は全然したことがなかったんですけど、英語の先生の歌がうますぎて、先生に負けたくないから、私もみんなの前で歌う集まりにエントリーして、歌うようになったんです」

セブ島から帰国して、応募したのが、アポロシアターのオーディションでした。そして、NYでの2度の挑戦の傍ら、大阪のライブハウスで歌う模様をYouTubeに上げたことで、TAEKOさんはデビューのチャンスをつかみました。

「出たい、やりたい」言っていたらそうなる

今年9月に発表したデビュー曲「Queen Bee」は、彼女をよく知る作家チームによる作品。夢を抱き、前向きに闘う彼女の決意表明でもあります。

「夢を諦めずに、走り続ければ必ずかなう。ポジティブに生き抜く、強い女性像を歌っていて、まさに自分なんです。『見せつけるわ』という歌詞がめっちゃ好き。いわゆる『いったれ』です」

NYでオーディションに挑戦した際も、「いったれ」精神で闘いました。

「緊張はするけど、勝負事になると、スイッチが入るんです。自分にできないことはないと思っている。やればできると思い込む。諦めない、チャレンジ精神ですね。ポジティブなんです」

彼女の前向きな「いったれ」精神を支えるのは、ハードなトレーニング。インタビューした日も、朝から標高3千メートルと同じ環境で30分間走り、体幹トレーニングをした後でした。

「高地トレーニングは血中濃度を測りながらで、意外と楽です。体力がないといけないので、もちろん仕事のためもあるんですけど、体を動かすのが好きなんです。とにかく動いていたい。たとえば水泳に行って25メートルを全力で泳ぐと、しんどくて、嫌なことも忘れます。走る、泳ぐ、ヨガ、ピラティス……。運動はリフレッシュになりますよ」

TAEKOさんは玉置浩二さんの大ファンで、「田園」を聴きながらランニングするのが好きだと言います。コロナ禍で気分が落ち込みがちな日々にあって、彼女の明るさと前向きさには励まされます。

「人生には悲しいことや苦しいこともあると思うんですけど、どんなときも、勇気づける音楽が好きなんです。何があっても、つらいときも明るいときも一緒にいるよ、みたいな。今コロナで世界が暗いですけど、マジ負けずにがんばろうと。口に出していけば、できないことはない、かなうんじゃないかな、と思って生きています。何でも口に出して、出たい、やりたい、と言っていたら、そうなると思っています」

そして最後に、自分の夢を言葉にしました。

「歌って踊りたいし、バラードも歌いたい。ビヨンセはダンスもできて、アップテンポの曲もバラードも異次元のレベルで、衣装もめっちゃかっこいいですよね。かっこよさも女性らしさも見せられるアーティストに、私もなりたいですね」

山本倫子撮影
山本倫子撮影

久々に生まれた歌って踊れるボーカリスト

TAEKOさんに会う前、私は「Queen Bee」のビデオを見ました。挑みかかるような表情、特にその鋭い眼力に、「Survivor」(Destiny's Child)など若い頃のビヨンセを思い出しました。

実際に会って、まずはその抜群のスタイルの良さと、人混みにいてもパッと目を引く華やかな存在感に驚かされました。当初は堅かった表情もインタビューが進むうちにほぐれて、身ぶり手ぶりや関西弁を交えた軽やかなトークを展開。取材の後半は周りのスタッフも引き込まれて、笑いが絶えませんでした。

「いったれ」精神で自分の道を切り開いてきたTAEKOさんですが、その背景には、小学生の頃から鍛錬を積んできた、確かなダンスの技術があります。歌については、本格的に取り組み始めてまだ数年ですが、今は毎日数時間歌って表現力を磨いています。日々努力を重ね、でもそれを表立って見せることなく、前向きで有言実行。インタビューを終えて、かっこいいなぁ、と素直に思いました。

宇多田ヒカルさんやMISIAさん、AIさんなど、R&Bを基調に活躍する女性シンガーは日本に何人もいますが、歌って踊れるソロボーカリストは、安室奈美恵さんの引退後、特に目立つ人が出てきていません。そんな中で、聴く人を力強く牽引(けんいん)し、さらに歌って踊れるTAEKOさんは、貴重な存在といえます。

コロナ禍で先の見えない状況にあっても、「口に出していけば、できないことはない」と語り、自ら体現するTAEKOさんの強さは、今の時代に求められているものではないでしょうか。

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます