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「選択に人の感情入れたくない」 Z世代「にしな」さんが貫いたこと
音楽未経験で挑んだオーディション
東京五輪・パラリンピックでも大きく打ち出され、「多様性」が特に注目された2021年。
でも「これから」を生きていく世代に「多様性が叫ばれる社会」はどんな風に映っているのでしょうか。
2021年にメジャーデビューし、天性の歌声で注目された「にしな」さん。多様性を歌った「U+(ユーアンド)」や、多様な愛をテーマにした「夜になって」などの楽曲を次々と発表しました。
自ら歌を作り、曲に乗せて発信するにしなさんと、これからの「多様性」について話しました。2回に分けて、インタビューを配信します。
――にしなさんの曲には、誰もが共感できるような、さらりとした多様性へのメッセージが込められているように感じます。これまであまりインタビューが出ていませんが、まず、どんな人生を送ってきたのか教えてください。
東京のちょっと外れの親しみが持てる町で育ちました。3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいます。
――「多様性」について、幼い頃に感じる経験はありましたか?
小学校の頃の親友は、いわゆる「ハーフ」の子でした。途中で海外に行ってしまいました。
祖母の兄弟も海外の方と結婚していて、大叔父さんというか、親戚には海外の方がいたりします。
でも、自分では「特殊な環境」だとは思っていなくて、そういう子も私の世代には割と多いんじゃないかな。
「多様性」について、特に教えられたこともなくて、ただ、自然と海外の文化や人に触れる機会はあったのかなと思います。
――音楽を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
小学生ぐらいのときに、音楽のテレビ番組をよく見ていたんですが、「歌う人」が格好いいなと思って、憧れを抱きました。
なんていうんですかね……。感情が、もちろん声もですけど、動きや顔から出ているのが、魅力的だなと思っていました。
――魅力のとらえ方が、独特ですね。すぐに「歌う人」を目指したんですか?
歌うことは小さい頃から好きだったんですけど、なかなか、まわりには言えなかったです。心底やりたいことは、あまり見せない子でした。
「えー?」みたいに言われたら嫌だなという気持ちと、それで自分が折れちゃうのも嫌だなという気持ちがあって。
――「折られたくない」とあたためてきた音楽への憧れ。その世界へ飛び込もうとやっていたことはありましたか?
高校の時にオーディションを受けるまで、ほぼ何もやっていなかったです。
習い事もやりたかったんですけど、機会がなくて。
中学のとき、カラオケで歌ったのが、初めて人前で歌った経験です。その時も、特に絶賛されたわけでもなく、「良い曲だねぇ」って。
いまも、家族の前では歌ったことがないです。親戚も知らない人がいると思います。
――え!
高校時代には、軽音部がなかったので、作ろうと思って行動したんです。でも、校長先生に反対されてしまって。「軽音部は不良の始まりだ!」って(笑)
――でも、そこで夢は折られなかったんですね。
その後に、小学校からの友人のツイートを見たんです。
その子は小学生のころから「歌手になりたい」と言って、音楽をしていました。高校生になって、レコード会社のレッスンを受けている情報をツイートしていて。
あまり覚えていないんですけど、自分は何も変わっていないけど、着実に進んで行っているその子の姿をみて、「今やってみなきゃいけないな」と思ったのかもしれないです。
――ということは、オーディションには、音楽経験がないまま?
皆無です。
――オーディションには、音源の提出や実技がありますが、小学校の時に抱いていた「なりたいな」だけで挑戦できるものですか?
その時も思ったのは、「内緒にして受けて、別に落ちたら落ちたで、恥ずかしくないからいいや」って。内緒だからできるっていう部分がありました。
友達にも「オーディション受ける」というのは言わないで、こっそりクリックして応募しました。
合格した後も、誰にも言わなかったです。
――学校という「小さな社会」で一度夢を折られた後に、学校の外という、ある意味守ってくれない世界へ飛び出した勇気がすごい。
オーディションに受かって、3カ月という短い間のレッスンでしたが、同世代の子たちが、「歌手になりたい」って言って行動している姿を間近で見て。自分もやりたいってすごく思って。ライブをするようになって、ギターを背負って学校に行くようになりました。それでもまわりには言わなかったですね。
家族も、「ギター持って、なんか頑張っているな」ぐらいには見守ってくれていたんですけど。ちゃんと「音楽をやりたい」と言ったのは、マネージャーさんと出会って、契約するときです。
――そんな直前だったんですか! それまでにもライブして、YouTubeで動画配信もしていましたよね。
すごい現実主義っぽいところがあって。その段階では「まだ言える段階ではないな」という気持ちの方が多かったです。
――「YouTubeで再生回数伸びているよ」とか、言わないんですね。一方で、活動自体は動画で全世界に配信されている。「修行期間」みたいなことなんでしょうか?
言う必要がないかな、という部分もあったと思います。就職をするわけでもないし。
自分自身があやふやなタイミングで伝えたら、その先の選択に人の感情が入ってくる。心配もかけるし、というのがありました。
――契約の時に伝えて、家族はどんな反応でしたか?
直接言うことはなくても、なんとなく頑張ってる姿はずっと見ていてくれたので、「心配がないと言ったらうそになるけど、応援しているよ」と言ってくれました。
おばあちゃんは、「好きにやんなさい。ごはん食べていけるんだったら、なんでもいいよ」って言ってくれて。直接言ってくれたことがすごく力強くて、背中を押されました。
今までは秘密にしていたかったんですけど。自分の頑張っている姿を見せるのも親孝行だなぁと。
――歌を自分で書き、歌う。いまのにしなさんのスタイルはどんな風に固まっていったんでしょうか。
最初は本当に、歌いたいがためにギターを持って、ライブしたいがためにただ曲を作って。
考えることなく、自然にシンガーソングライターという形になっていきました。
学生のころにバンドを組んでいたこともあります。メンバーの留学とか、それぞれの事情でしようがなく解散したんですけど、バンドもすごく楽しかった。
でも、曲を作ることって、言語化する難しさがすごくある。誰かと作る喜びもすごくあるんですけど、それが得意な訳ではないので。
自分の中にあるものを、自分でちゃんと完成させていくというのが、私には合っているから、こういう形になっているのかと思います。
――歌詞作りはどうしていますか。
書きながら、「これ、今は書けない」って置いておいて、何年も経って書くこともありますし、本を読んでイメージが湧いてすぐ書くこともあります。
「これが言いたい」というフレーズが浮かんで、そこから広げていくこともあります。音の響きだけを大切にして書くこともあります。
曲によってさまざまかもしれません。
――実体験が多いですか?
曲の持っている根本の感情みたいなものは自分の中から取りだしてきているような感じがするんですけど、そのまわりの装飾とか世界観は、想像して書く物も多いです。
でも、自分の感情を大切に書いていると思います。
――「感情」が歌だけでなく動きや顔からもあふれている「歌う人」に憧れていた、子どものころからキーワードが「感情」なんですね。
そうですね。
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