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「遺体ホテル」への反対運動 経営者が語った〝至極まっとうな反論〟

死体を歓迎しないという「究極の自己否定」

都市部で増える「遺体ホテル」。ソファやテーブル、空気清浄機がある
都市部で増える「遺体ホテル」。ソファやテーブル、空気清浄機がある
出典: 朝日新聞

目次

もし、自分の家の隣に「遺体ホテル」が作られると聞いたらどうしますか? 各地で起きる反対運動の根底には何があるのか。評論家で著述家の真鍋厚さんは、死体を嫌がることは「究極の自己否定」だと説きます。日常から見えなくなった死体の存在。そんな中で進むいびつな多様性の実態について、真鍋さんにつづってもらいました。

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地元民への〝至極まっとうな反論〟

死体、遺体、亡骸(なきがら)……様々な言葉によって表される「亡くなった人」たち。わたしたちと同様、身体はあるが、生きてはいない。具体的には、呼吸がなく、心臓が動いておらず、瞳孔が光に反応しない状態を指す。

医師が判定するまでは「死亡」とはならないが、便宜上はそれが「亡くなった」ことを物語る。言うまでもなくわたしたちも遅かれ早かれそこへ仲間入りを果たすことが確実なわけだが、その事実から極力目を背けてあたかも死のない世界を築こうとするかに見える人々もいる。

つまり死体を積極的に差別することによってである。日常生活から死体そのものを排除して、死を想起させる物的な証拠を消し去るのだ。

近年、遺体安置施設の建設をめぐって各地で反対運動が起こっている。

例えば、神奈川県川崎市のある遺体ホテルでは、建設前に開いた地元民への説明会で、「こういう施設が近所に存在すること自体、気持ち悪い」などという意見が飛び出した。

皮肉な話ではあるが、それに対する経営者の反論は至極まっとうであった。「法的には何の問題もありません。よく考えてください。人はみんな死ぬんですよ。みなさんもこういう施設を必要とする時が来るかもしれない」(「死者のホテル」が繁盛する時代/2016年11月2日/日経ビジネス)。

一般のホテルのような「遺体ホテル」のフロント
一般のホテルのような「遺体ホテル」のフロント
出典: 朝日新聞

少ない火葬場の待機期間を支える役割

遺体ホテルとは、遺体安置を専用とする施設のことで、葬式や火葬までの間預けておくことが主な目的だ。

日本における年間の死亡者数は現在約137万人(人口動態統計/厚生労働省)ほどだが、今後右肩上がりとなり2030年には年間160万人を超える「多死社会」が訪れるとされる。

そのような状況下で遺体ホテルは、ただでさえ少ない火葬場の待機期間や簡便な葬送を支える役割を担いつつあるが、少なくない人々は〝NIMBY〟(ニンビー、Not In My Back Yardの略語で「施設の必要性は理解できるが、家の近くでは止めてくれ」)という立場を隠さない。

けれども、そもそもの根本的な問題は、ニンビーという感覚以前に、死体がグロテスクな存在として観念されていることにある。そう、死体を「人」だとは思っていないのだ。

<死体はこの国では、もっとも差別された存在である。それを救っていたのは、宗教儀礼である。だから、ホトケなのである。聖と賤とは、まさに裏腹である。だから、時代が変われば、死体ほど差別されるものはない。(略)死者が変に重要視されるのは、それを特殊なものとして、タブーを置くからである。いまや必要なのは、ほかでもない、死体の「人間」宣言である。それを、ふつうの人として、扱ってあげればいいではないか。(略)死者に必要なことは、ふつうの人としての単純な取り扱いである。>
養老孟司『日本人の身体観の歴史』法藏館

これは解剖学者の養老孟司がかつて述べた日本における死体の取り扱いに対する異議申し立てである(以上『日本人の身体観の歴史』法藏館)。

養老は「死体は歴然とした身体である。しかし、多くの人は、それを身体とは見なさない」と指摘する。

「それは死体であって、『生きている身体』とははっきり別物なのである。『生きている身体』が、死という瞬間を境にして、突然異次元に移動する。そんな馬鹿な話はないが、世の中がしばしば、その種の馬鹿な話でできていることは、よくご存じのとおりである」(同上)……。

亡くなった途端、よそよそしくなる家族

葬儀会社の人からよく聞く話だが、身内の遺体に触れたがらない人々が増えている。衛生観念云々ではなく、単純にどう扱ってよいかが分からないのだそうだ。

臨終までは手を握って嗚咽していたのに、亡くなった途端、妙によそよそしくなることも多いという。ある葬儀会社の重役は、「生きている人が動かなくなった時点で『ご遺体』という別のものになる、と感じているようだ」と推察した。

それもこれも死を生活空間から遠ざけ過ぎた結果といえる。この場合、消費者意識は、市場に「汚れ仕事」と称されるものを請け負わせる性格上、進んで死にまつわる物事を素早くクレンジングする行為に加担する。

近代化に伴う産業化は、良くも悪くもわたしたちが「ただの生物」であることを目撃する機会を限りなくゼロにする方向に仕向けるのだ。これは先進各国で顕著な傾向といえる。

葬送のアウトソーシング

アメリカで話題書となった『ある葬儀屋の告白』(鈴木晶訳、飛鳥新社)を著した祖父の代から続く葬儀屋の後継ぎであるキャレブ・ワイルドは、日本と同じく地域社会が行っていた葬送が市場にすべてアウトソーシングされるとともに、人々ができれば関わりたくない他者の死(それは自分にとっても死が人生の終着点であることを突き付けるからだが)から距離を置く傾向に拍車を掛けたとした。

だが、以前は「亡くなった人」の世話を通じて自分自身の死を受容する気構えが形作られていったとする。

「死者の世話をすればするほど、死そのものが怖くなくなる。死者に近づけば近づくほど、自分が死ぬという運命を受け入れやすくなる。ごく最近まで、人々はいまよりもずっと死に近いところにいた。現在、死のネガティブな物語があまりに強くなっているために、私たちはそれを克服することはできない」(同書)と述べた。

その上でワイルドは、ごく稀ではあるがと前置きしつつ、葬儀のプロセスに積極的に関わった家族の例を挙げ、多少なりとも克服できる可能性に含みを残した。

「自分たちが死ぬとは夢にも思っていない」

しかしながら、ワイルドの事例は死者とその周囲の人々の絆、要するにどのような関係性であったかに大きく依存している面がある。

今や専門家以外が他者の死の現場に立ち会うことは親密性の指標であるともいえ、それらの経験による実存的な危機を経た人格の陶冶はさらなる高みにある。

言い換えれば、社会を構成する人々の多くが他者の死に接する機会がほとんどない場合、当然ながら死者のための空間の重要性は軽んじられ、死者は実質的にその居場所を与えられることはない。死者は単に余所者となる。

一般論としての死は知識として屈託なく語られ、相続や医療費などお金の問題としても耳目を集めるが、「自分たちが死ぬとは夢にも思っていない」からだ。

先の遺体安置施設の反対運動に戻れば、自分は死なないと思っているからこそ遺体ホテルが「気持ち悪い」ものに映るのであり、養老的に言えば、死体が「別物」に見えるからこそホラー映画に出てくるグロテスクな物体のようにしか思えないのだ。

「あってはならないもの」になる死体

美術評論家の布施英利は、1990年代に『死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体』(法蔵館)という挑発的なタイトルの本を書いたが、それは「自然の産物」であるはずの人間の死が見えなくなることへの焦燥感からであった。

当時も現在も誤解されやすいのだが、布施の主張は、死体を「公衆の面前にさらせ」という意味ではない。死んだ人間を「異常なものとして取り扱うな」ということだ。

死んだ人間は「グロ」でも「猟奇」でもない。さっきまで生きていた普通の人間である。しかし、わたしたちの社会は、往々にして死ぬと同時に「人間ではないもの」にカテゴライズしてしまうのである。

しかも、そのような認識上の操作について無自覚であることが事態を余計にややこしくする。今や「亡くなった人」は誰かの目に触れることが過剰に忌避される以上に、ますますわたしたちの生活空間において「あってはならないもの」になっている。

「亡くなった人」を歓迎しない世界

多様性やダイバーシティが叫ばれて久しいが、わたしたちが承認している多様性の実態とは、不吉な兆候として忌避される対象をあらかじめ消し去った上での多様性であるのが実態だ。共存することへの嫌悪感などといった感情の絶対化に基づき環境を美化した上での多様性に過ぎない。

ホームレスが休憩しにくいよう設計されたベンチのようなものを「敵対的アーキテクチャ」と呼ぶが、経済学者のノリーナ・ハーツは、「それは、コミュニティーが生まれることを妨げ、誰が歓迎され、誰が歓迎されていないかを明確に物語る都市計画を反映している」(『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』藤原朝子訳、ダイヤモンド社)とする。

誰もが死を迎えるにもかかわらず「亡くなった人」を歓迎しない世界というわけであり、この場合、多様性という概念は、すでにそこから除外されたものが何であるかを意識させない、制限された枠組みであることに気付かせない目隠しとして機能するのだ。

だが、わたしたちが死者となったとき、気味悪がられ、追い出される側になるのはわたしたち自身なのである。これは生物としての自分自身を徹底的に冒涜して安堵する究極の自己否定といえるかもしれない。

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