連載
#2 名前のない鍋、きょうの鍋
我が家の〝名前のない鍋〟 「まともに食事できてる!」と思える料理
自炊で「ホッとできる時間を作りたい」
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、アナウンサーからネットニュースのディレクターに転身した男性のもとを訪ねました。
五十嵐圭さん:1976年生まれ。東京都在住、ひとり暮らし。前職はアナウンサー、現在は東京のメディア系IT企業でネットニュースのディレクターを務める。趣味は旅行。
今年45歳になる五十嵐圭さん。大学を卒業し、ひとり暮らしを始めたときに買った土鍋が今も現役だ。その年季が信じがたいほど、つるんときれいな様を保っている。
「新潟のホームセンターで買ったんですよ、たしか1500円ぐらいだったかな。友達が遊びに来てくれることになって、鍋ならみんなで食べやすいだろうと」
五十嵐さんは千葉県の市川市育ち。マスコミを志望し、大学卒業後に新潟のラジオ局で1年勤めたのち高知のテレビ局へ転職。4年を過ごした後、愛媛県のテレビ局に転職し、アナウンサー兼記者として12年勤めた。
「子どもの頃からニュース番組が好きで。逸見政孝さんと幸田シャーミンさんの『スーパータイム』をよく見ていて。ニュースを柔らかく伝えるというか、キャスターが立って気楽に伝えるというスタイルを新しく感じて、カッコいいな、自分も出たいなと思うようになったんです」
そう語る声がスッと耳の奥まで届く。アナウンス技術を身に着けた人独特の発声だ。
四国のアナウンサー時代には、夕方ニュースのキャスターを14年もつとめた五十嵐さん。県内外のニュースを自身で取材し、伝える生活は時間に追われる毎日だったろうが、自身の食はどうまかなってきたのだろう。
「最初はほぼ自炊しませんでした。就職して半年ぐらい、店屋ものやレトルト、スーパーのおそうざいに頼りきりです。とにかく忙しくて」
入社式が終わってすぐ、「室戸で竜巻発生、すぐ現場へ」と指示が飛ぶ。なんの経験もないまま取材に駆り出され、驚く暇もなかった。そんな調子で日々が過ぎる。
「若かったのに、疲れやすくなってしまって。もっと食事に気をつけなくてはと思い、自炊を始めました。24歳のときですね。だんだん旬のものを食べる楽しさを知って、料理が好きになって。でも、ただ焼くとか煮るぐらい。僕はカレー作りも面倒くさいんですよ」と笑う。
あれこれ野菜の皮をむくのが面倒で、カレーは作らないのだそう。そんな彼にとって、鍋はありがたい存在だった。
「鍋って、『まともに食事できてる!』って感じがしていいですよね。普通の家みたいなことしてるなぁ……って気持ちになれる。ごはんを炊くぐらいの時間で準備できるのもいい。冬だったら週に2~3回、具はそのとき安いもので」
五十嵐さんの母親は、その日の手頃な食材で料理するのが基本だったそう。こういうところも、親子は似たりする。
五十嵐さんが10歳のとき、父親は病気で倒れ、数年して亡くなる。母親は洋服店を開いて3人の子を育てあげた。そんな話を聞かせてくれつつ、鍋の支度が始まる。
水菜、エノキを慣れた手つきで刻んでいく。味つけはいわゆる「鍋のもと」で、豆乳ゴマ味がお気に入りだ。きょうの具は他に豚バラ、ミニトマト、イカしゅうまい、アルゼンチン赤エビ。ミニトマトはひとつずつ水洗いしてから入れている。うーん、マメだなあ。
「トマトって煮てもおいしいですよね。イカしゅうまいと赤エビは初めて入れます。あの……正直に言いますと取材というんで、ちょっと豪華にしようかと思って。普段は豚肉と水菜とキノコぐらいです!」
そう言って、大笑い。
いつもの内容をちょっとグレードアップしやすいのも鍋のいいところ、便利なところ。ちなみに「普段は全部煮てからテーブルに鍋置いて、食べてます。コンロを出すのは余裕のあるとき」とのことだ。
慌ただしい仕事生活の中で「一通りの料理は経験した」という。いろいろやってみて、ごく簡単な食事のみ作るというところに落ち着いた。
「食は大事にしたいけど、実際作る手間は最小限にしたい。それなら鍋は最適解じゃないかと。就職で地方に行って、友達もいない環境で仕事してるとわびしくて。なので、せめても食生活は豊かに、ホッとできる時間を作りたいという気持ちは人一倍強かったです」
自炊力をつけるのは、将来を考えてのことでもあった。
「リタイアしたとき、自炊できないとつらいだろうな、と。できあいのものしか食べない生活は避けたい。簡単なものでいいから自炊をして、旬のものを食卓に並べたいんです。おいしくさと健康も考えつつ、生活を調えられたら」
ここで鍋が少々煮詰まってきたので、水を足す。
ご相伴にあずかったところ、赤エビの殻とイカシュウマイからいいダシが出て、鍋つゆがコク深い。うま味をたっぷり吸ったエノキが実においしい。おいしさを感じたとき、人間ってホッとするものだと思う。ぐつぐつと鍋が煮える音は、ときに穏やかなBGMにもなる。
現在五十嵐さんは四国を離れ、父親の出身地である東京・中野区で暮らしている。自身がキャスターの番組が終了し、「アナウンサーの仕事は全うした」という思いになったのだそう。かねてより関心のあった、ネットニュース業界へ転職した。
「新人時代から30代にかけて、報道の現場で本当によく働いたと自分でも思えます」と、スッキリした表情で言われた。40代半ばになった今、ワークライフバランスも考えつつ、新たなやりがいを感じている。
「やっぱりニュースが好きなんですね。何十というメディアの何百という記事を毎日読めること、それらをキュレーションして読者と各メディアの記事を繋げていく点にやりがいを感じています」
社会に出てからの五十嵐さんを、この鍋はずっと見つめてきたのだなと、あらためて眺めてしまった。新潟、四国、東京と、長い長いお供である。そして、これからも。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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