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お金と仕事

メインスポンサーは元選手 コロナ禍、アメフトXリーグに投資の理由

「捨てるものは捨てる」貫いたセカンドキャリア

アメフトXリーグ所属「福岡SUNS」でプレーをしていた安田錦之助さん(右)=松林健 撮影
アメフトXリーグ所属「福岡SUNS」でプレーをしていた安田錦之助さん(右)=松林健 撮影

目次

10代で「経営者になる」と決めた安田錦之助さん(33)。高校時代、3教科に絞り私大に合格するなど、目標達成のため「捨てるものは捨てる」という姿勢を貫いてきました。27歳で起業。そのかたわら、アメフト選手としても活動し、2021年6月、アメフトXリーグ1部所属「福岡SUNS」のメインスポンサーに就任します。コロナ禍で業績が厳しい中でも、投資を決断した背景を聞きました(ライター・小野ヒデコ)

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安田錦之助(やすだ・きんのすけ)
1988年福岡市生まれ。小学校から高校までバスケットボールをする。福翔高校卒業後、明治大学経営学部会計学科に進学。アメフト部に入部。卒業後、2011年に野村證券に入社。営業として、なんば支店に配属。13年にプルデンシャル生命保険に転職。15年に資産運用コンサルティング会社のイコールワンを起業し、現在は人材会社、英会話スクールも運営。21年、同社はアメフトリーグ「Xリーグ」1部の福岡SUNSのメインスポンサーに就任。
 
米国出張先でオンライン取材に応じてくれたイコールワン社長の安田錦之助さん
米国出張先でオンライン取材に応じてくれたイコールワン社長の安田錦之助さん

高3の夏、偏差値37からスタート

<数カ月後に控えた大学受験。受験教科を絞り、1日20時間勉強した結果、合格>

小、中、高校とバスケに打ち込み、高校はバスケ推薦で進学しました。卒業後の進路を決める高3の夏、将来「経営者」になりたいと思ったんです。当時、テレビで見ていた、孫正義さんや堀江貴文さんに強く影響を受けていました。

「経営者になるには頭が良くなくては」と思い、大学進学を決意。それまで勉強を全くしてこなかったのもあり、偏差値37からのスタートでした。

普通に努力しても間に合わない。そこで、受験校は私立文系大学に絞り、勉強する教科は英語、国語、政治・経済以外捨てました。1日20時間勉強を続けた結果、明治大学に合格しました。

大学ではアメリカンフットボール部に入部したのですが、その理由は二つあります。一つは、得意だったバスケを続けるのが難しいと思ったこと。これまでバスケ強豪校でプレーしてきましたが、大学の体育会系は皆「特待生」。レベルの違いを感じました。

もう一つは、たまたま声をかけられて体験したアメフトが、「自分に向いている」と思ったこと。アメフトのボールはアーモンド型で、パスの受け渡しが難しいのが特徴です。同じく体験に来た新入生が悪戦苦闘している中、私は最初から「キャッチ」ができました。さらに、私は185センチと高身長で、バスケ上がりというのもあり、足が速くて俊敏性を備えていました。

体験に行った日、同じく新入生で、高校時代からアメフト界で大注目されていた名クォーターバックの田中蔵馬さんがいました。その田中さんから「絶対アメフト部に入って欲しい」と言われたのも後押しとなりました。

明治大学のアメフト部「グリフィンズ」ではワイドレシーバーのポジションだった安田さん(左)=松林健 撮影
明治大学のアメフト部「グリフィンズ」ではワイドレシーバーのポジションだった安田さん(左)=松林健 撮影

米国でピストルを突きつけられた

<大学を留年して渡米。バックパッカーの旅では命の危険を幾度となく感じた>

私のポジションはワイドレシーバーと言って、クォーターバックからのパスの受け手となる「相方」的存在です。練習は自分のポジションのスキルアップに特化。逆を言うと、それ以外のことは捨てました。

芝生の上で速く走れるように走り方を変え、クォーターバックからのロングパス「ロングターゲット」の成功率を高めることに絞ったところ、2年生の春にスタメンの座を獲得しました。未経験者が約1年でレギュラーになるのは異例なのですが、大学4年間でいかに実績を出すかに集中した結果だと思っています。

就職活動が近づいてきた頃、経営者になる気持ちは変わっていませんでした。あとは、何の事業をするか。最初は「人を幸せにしたい」と思っていましたが、その考えは、4年次に留年して行った米国でのバックパッカーの旅を通して変わりました。

貧乏旅行だったので、1カ月ほどホテルに泊まらない期間もありました。ロサンゼルスでは野宿したのですが、ピストルをつきつけられたことも……。夜通し逃げ回った後、朝日を見た際には涙が溢れたことを鮮明に覚えています。

命の危険を感じた経験を幾度となくしましたが、その中でも、旅の中で仲良くなった人の家に泊めてもらうこともしていました。

カルチャーショックを感じ、資本主義社会の貧困の格差を目の当たりにした2カ月間ですが、その後、社会人になって生きる経験を積むことができたと感じています。

アメリカの移動手段にグレイハウンド(Grayhound)というバスを利用した安田さん。危険が伴うため“悪名高い”が、格安で移動できる手段に勝るものはなかったと言う=本人提供
アメリカの移動手段にグレイハウンド(Grayhound)というバスを利用した安田さん。危険が伴うため“悪名高い”が、格安で移動できる手段に勝るものはなかったと言う=本人提供

国内で「IFA」を先駆けて展開

<就職先は野村證券にプルデンシャル生命保険。金融業界で働こうと決めた理由>

旅を通し、仕事をする上で「人を幸せにしたい」から「不幸な人を救いたい」との考えに変わりました。痛感したのは、何事においてもお金は大動脈となること。経営者になるためにはお金の知識は必要だと思い、就職先を金融業界に決めました。

1社目の野村證券は、基本、飛び込み営業の世界。厳しい仕事環境でしたが、バックパッカー時代にしていた、相手の懐に入り、信頼関係を築いた経験が大いに役立ちました。

さらに営業スキルを身につけたいと思い、2年後にプルデンシャル生命保険に転職しました。転機が訪れたのは入社2年目の時。年に1度、アメリカの保険会社の人間が集まるカンファレンスに、日本からの代表の1人として出席するチャンスを得たんです。

外国人の参加者に積極的に話かけに行った中で、保険業界では著名なアメリカ人男性と話すことができました。日本の保険の欠点や、今後のビジョンについて話を聞いてもらったところ「あなたのビジョンは、まさに今アメリカで主流になっている」と言われたんです。

その「ビジョン」とはIFA(資産アドバイザー)のことでした。男性の言葉によって自分のコミュニケーション力、そしてビジョンを「強み」だと認識できたことで、27歳の時に独立。1人の担当者が保険、証券、不動産全てをカバーし、お客様の資産アドバイザーとなる事業を展開する「イコールワン」という会社を立ち上げました。

2021年6月、イコールワンはアメフトチーム「福岡SUNS」のメインスポンサーに就任。記者会見に臨んだ安田さん(右)とエースのドニー(Donnie Jr King)選手=イコールワン福岡SUNS提供
2021年6月、イコールワンはアメフトチーム「福岡SUNS」のメインスポンサーに就任。記者会見に臨んだ安田さん(右)とエースのドニー(Donnie Jr King)選手=イコールワン福岡SUNS提供

補充要員としてXリーグに出場

<やむを得ず、10年ぶりにアメフトの試合に出場。その年の得点王を獲得した>

今年で7期目となりましたが、これまでを振り返ると「1勝9敗」。立ち上げ当初は順調でしたが、社員が1.5倍に増えたあたりで、営業の質を保つのが困難になってきました。

クライアントの多くは若い世代なのですが、運用するだけの収入がまだないという現実も目の当たりにし、行き詰まってしまったんです。2018年に事業の方向性の修正を図り、ようやく軌道に乗ったところです。

そして今年、大きな決断をしました。それは、福岡初のアメフトチーム「福岡SUNS」のメインスポンサーになったことです。

福岡SUNSは私にとって特別なチームでした。創設者は私の知人で、私自身も立ち上げに関わりました。2017年の設立当初、アメフトリーグ「Xリーグ」3部からスタートし、個人ではプロデューサーという立場で外国人選手の獲得などのフロント業務を手伝い、会社としてもスポンサーをしていました。

創部した当初、選手の人員確保が難しかったため、私自身が「補充要員」として試合に出ていたんです。やむを得ず10年以上ぶりにアメフトをすることになった試合で、私はタッチダウンを決めました。それ以来、ほぼ毎回レギュラーとして試合に動員され、初年度はリーグの得点王にもなったほどです(笑)。

アメフトも、地元の福岡も好きなので、以前から福岡SUNSのメインスポンサーになりたい思いはありました。でも、コロナ禍で業績が低下し、会社として決して余裕がある状況ではなく、二の足を踏んでいました。

2019年には福岡SUNSはXリーグ1部に昇格。そして昨年、福岡SUNSの社長から「メインスポンサーになってほしい」と直々に依頼を受けました。お互い仕事の合間をぬって、駅近のカフェで15分だけ面会。その直後、スポンサーを受けるにあたっての事業計画を練り直し、社内を説得。翌日に「引き受けます」と返事をしました。

安田さん(左)とタレントのコージ・トクダ選手(右)。2020年にトクダ選手、21年に元プロ野球選手の田村丈選手が加入。=松林健 撮影
安田さん(左)とタレントのコージ・トクダ選手(右)。2020年にトクダ選手、21年に元プロ野球選手の田村丈選手が加入。=松林健 撮影

「捨てるものは捨てる」

<30歳で選手引退を決意。「チームのために何ができるか」を考えた>

今シーズンの最後の試合は、11月21日のホームゲームです。チームの調子は良く、来季は1部リーグの中でも最上位のチーム「XI SUPER」の枠に入る可能性が出てきています。

スポンサーへの投資は、結果的に、挑戦してよかったと思っています。ただ、予想に反して会社の利益には直結していないため、その理由は精査しないといけないと思っています。

振り返ると、受験をはじめ、大学時代のアメフト部、そして会社経営において「捨てるものは捨てる」そして「即断即決」のやり方で進めてきました。

何かをやめること、撤退することは勇気がいりますが、時間や資源は有限です。目標達成のために、無用なエネルギー消費は避けるべきだと考えています。

アメフト選手としては、3年前の30歳の時に引退しました。今一度、「福岡SUNSのために何ができるか」を考えた時、選手として高みを目指すのは一区切りをつけ、フロント業務を通してチームを強くしたいと思ったからでした。 

もう選手ではないですが、アメフトに携わる“手札”が増えた感じで、自分の中ではポジションが変わった感覚。今でも「現役」だと感じています。今もチームのグラウンドに気軽に行きますし、チームのグループLINEにも入っています(笑)。そういった、新しい形のスポンサーとして、国内のアメフトを支えていきたいと思っています。

そして、将来、若い世代がアメフトリーグの運営に関わったり、ビジネス部門のポストにつきたいと思ってもらえたりする雰囲気を作っていきたいと思っています。

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