“乾癬(かんせん)”という皮膚の病気があります。この病気は発音(カンセン)が感染をイメージせるためうつる病気と誤解されやすく、「決してうつらない病気である」ことがこれまでも繰り返し、啓発されてきました。
では、そもそもなぜ、このように誤解を招く“乾癬”という病名になったのでしょうか。医療現場で使われている病名は、どのように決まっていくものなのか、専門家の協力を得てその由来を追いました。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
皮膚が白い大型のフケのようなカサブタをつけたり、赤く平坦に盛り上がったりする症状が出る乾癬という病気。
“乾癬”という日本語の病名が登場する文献は、土肥慶蔵さんによる明治後期の『皮膚病黴毒(ばいどく)圖譜(ずふ)』および大正初期の『皮膚科学』までさかのぼるとされます。これらの医学書には、“尋常性鱗屑疹(じんじょうせいりんせつしん)”という病名が先に、その後に“乾癬”も併記されていました。
しかし、この“尋常性鱗屑疹”という病名は現在は使用されていません。なぜ“乾癬”の方が残ったのか――。
そこで、大阪大学名誉教授・元大阪大学皮膚科学講座教授で医師の吉川邦彦さんに話を聞きました。吉川さんは乾癬をライフワークとして研究し、現在も大阪乾癬患者友の会(患者会)の顧問として、乾癬の患者さんに寄り添っています。
「土肥慶蔵先生は我が国の皮膚科学の創始者とされていて、オーストリアのウィーンで皮膚科学を学び、それを日本に輸入されました」「その際に多くの日本語病名を作成されましたが、当然ドイツ語の病名がベースになったと思われます」と吉川さん。
「乾癬のことをドイツ語では“Sghuppenflechte”といいます。“Schuppe”はフケ・鱗屑、“Flechte”は地衣類・苔癬の意味ですから、鱗屑疹はおそらくドイツ語を訳して作成されたのでしょう」と分析します。
ドイツ語由来だった可能性の高い鱗屑疹。しかし、由来する“Sghuppenflechte”自体はドイツ語圏のみで通用する病名だということです。では、他の地域ではどうかというと、英独仏ラテン語圏では“Psoriasis(ソライアシス、プソリアーシスなど)”と呼ばれます※ドイツでは現在でもこの両方が通用します。
なお、日本でも明治初期の『対症辮明(たいしょうべんめい)』という医学書で、“Psoriasis”に“布曽里亜失(ぷそりあしす)”という漢字が充てられています。
おそらく『圖譜』や『皮膚科学』をまとめる際、土肥さんがこのPsoriasisに対応する日本語病名をつけたのではないか、と吉川さん。
「通用する地域を見るに、多勢に無勢で“Psoriasis”に対応する乾癬の方が徐々に優勢となっていったのではないでしょうか。日本の医学界では戦前にはドイツ語が学術用語としてよく使用されていましたが、戦後は一気に英語化が進みました。これも“Psoriasis”=“乾癬”の一般化に拍車を掛けたのではないでしょうか」
考えてみれば、世界的に共通する人間の皮膚のある状態をその土地ごとに病気として定義し、それに名前をつけた以上、言語によって呼び名が違うのは当たり前です。
ドイツ語圏ローカルの呼び名が“Sghuppenflechte”、日本語圏では“乾癬”ということになります。ちなみに吉川さんは中国語圏では“銀屑病”と呼ばれると教えてくれました。逆に言えば、今こうして概念としての乾癬が世界中で同じ病気を指すことがすごいことでもあります。
残る疑問はなぜ、“Psoriasis”に“乾癬”という呼び名が充てられたのか、ということになります。吉川さんも「“Psoriasis”の語源に乾燥の意味はない」としており、これは土肥さんの命名と考えられます。
ここで、“乾癬”の“癬”という漢字は、皮膚科の病名でよく使用される漢字です。訓読みでは“たむし”と読みます。たむしとは白癬菌の寄生による感染症で、“股部白癬”、いわゆる“いんきんたむし”のことです。
もう一つ、“癬”の訓読みが“ひぜん”。これは現在もヒゼンダニという病原体の名前に残っています。このヒゼンダニが引き起こすのが「疥癬(かいせん)」です。前述したダニの寄生による感染症です。
他に“魚鱗癬”などもあり、日本語では皮膚の病気には“癬”という漢字が使われやすく、“X癬”の形で病名ができることがあるとわかります。しかし、これだけ見ても一文字の漢字に複数の病気の意味があったり、しかもそれぞれが別物だったりと、混乱が。吉川さんはこう説明します。
「これらのネーミングがなされた時代には、病気の原因やメカニズムがまだキッチリと解明、整理されておらず、さまざまなカテゴリーの疾患が混沌と混じり合い、外見だけで整理されていた部分が多分に存在したと思います。したがって現在のよく整理された疾患体系と病名とをきっちりと対応させて考えるのは困難です」
その上で、吉川さんは土肥さんが“乾”を充てた理由を、乾癬の病気の特徴からこう推測します。
「乾燥した皮疹(病気の状態の皮膚)の印象から乾癬の名をつけられたのではないかというのが私の想像です。典型的な乾癬皮疹は銀白色の分厚い鱗屑(フケ状になってはがれやすくなった皮膚の表面)を付着させた乾燥した病変で、乾癬という名称のニュアンスは私の感覚にも合致します」
“乾癬”という病名は、こうした複雑な経緯により、日本に生まれたことがわかります。では、いつごろに乾癬が“乾癬”として定まったのでしょうか。
「私が所有する古い皮膚科の教科書を見ると、『小皮膚科学』第7版(1959年発行)では“乾癬 - 鱗屑疹 Psoriasis”と記されており、『小皮膚科書』(1971年発行)では“乾癬 Psoriasis”とのみ記されています」
こうして話を聞いていくと、病名の背景にある、見た目や原因、メカニズムにより病気を分類し、同定していく研究者たちの膨大な努力を重く感じます。
結果的に“カンセン”という発音が感染と一致してしまい、患者さんも苦労しているこの状態を、この病気を長く診続けてきた吉川さんはどう受け止めているのでしょうか。
「皮膚科医は日々多くの感染症と向き合っておりますので、“感染”という言葉に特にネガティブな感覚は持っていません。そのため乾癬という病名の響きを特に気にすることなく今日まで使ってきたのだと思います。
しかしQOL意識の向上とともに多くの患者さんが乾癬という病名の響きを気にしておられるなら、このままでいいのかどうかは検討する必要があるのではないでしょうか」
そして吉川さんは「私案ですが」と丁寧に断った上で、こう提案します。
「国際化時代に即して、“Psoriasis”の英語読み“ソライアシス”と“乾癬”を併存させ、前者の使用を徐々に増やしていくのが解決策ではないかと思います。横文字のカタカナ表記を病名に使用している例はたくさんありますから」