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「ルール?展」若者に大盛況でも…「さすがZ世代!」にならない現実
〝大人の理想〟押しつけないで
「ここまで若い人が多く来るとは……」。東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」で開催中の「ルール?展」が、週末のオンライン予約が満杯になるほど人気です。これは、社会問題に積極的とされる「Z世代」ならではの現象なのか。実は、そう簡単な話でもないようです。展覧会ディレクターとして企画に携わった、法律家・弁護士の水野祐さんと一緒に考えてみました。(FUKKO DESIGN 木村充慶)
企画展「ルール?展」は、法律家・弁護士の水野祐さん、コグニティブデザイナーの菅俊一さん、キュレーターの田中みゆきさんの3名が展覧会ディレクターチームとなり、法律、規則、習慣、自然法則まで幅広く「ルール」をテーマに、新しいルールの見方・つくり方・使い方などを考えるための作品が展示されています。
法律家がディレクターを務めるということで、異色の展覧会として開催前から注目されていました。
ディレクターの1人である法律家の水野祐さんは、「若い人たちにも観てもらえたらいいなとは思っていましたが、ここまで若い人が多く来るとは想定していなかったです」と驚きを隠しません。
水野さんが理由として挙げたのが「ルール」というテーマと「余白」です。例えば、ダニエル・ヴェッツェルらの「あなたでなければ、誰が?」は舞台に立ってスクリーンに出てくる質問に次々答えていく作品。自らの意見をデータの一つとして会場に残すことができます。
また、会場には大小様々な木の箱が置かれています。自由に持ち運ぶことができ、作品の前において椅子の代わりに使ったり、写真撮影の時の台に使ったり、様々な形で利用できます。
それ以外にも様々な体験型の作品があり、通常の展覧会とは違う工夫が随所に見られます。
「ルールというテーマが小難しいと思われると思ったのですが、逆にルールという身近なテーマだからこそ、普段入りづらい美術館でも行きたいと思った、という声を聞きます。ルールというテーマとの性質上、肩肘張らずに鑑賞や体験しやすく、ある種自由に体験できる作品が多く、その気軽さが若者にアピールしたのかもしれません」
一方で、これまでにない若い層が展覧会に来場することで問題も起きているといいます。
「混雑時に写真撮影をするために作品の前に長時間居座ったり、作品を損壊してしまったり、美術館や展覧会でこれまで当たり前とされてきたルールやマナーが今回の『ルール?展』では守られておらず、一部から不評をかっている、ということも起こっています。今回、ディレクターチームとしては展示空間をある種の『自治区』のようなイメージで可能な限りルールが少ない形でスタートしたので、このようなことが起こるのはある意味で当然のことで、それぞれが自由に展示を楽しんでくれるのは悪いことではないのですが、このような状況が続けば、どんどんルールが増えていって、閉鎖的な展示空間とならざるを得ないということを、来場者がどれだけ認識しているのか」
水野さんが大事にしたのは、「マイルール」や習慣といった身近な決まりから校則や規則、法律といった大きなルールまで、ルールは自分で変えられるという意識が芽生えるような展示でした。
しかし、会場では様々なルールを体感できるようになっていますが、ルールに囲まれて生活する〝不自由さ〟に対しての反応はほとんどありませんでした。そこには、様々な制約をそのまま受け取っている状況がありました。
「ルールに限らず、自らの意見を表明することは公共性の観点でとても大切です。閉じられた狭い世界で愚痴を言い合うなど、内輪で意見を消化するだけだと、情報が多様化・豊富化せず、社会の前進にもつながりません」
「ルールの中で良くないと感じるものはしっかり意見を表明してほしいです。そうすることで、ルールが改善されていって、それがある種の公共性を支えることになります」
さらに、水野さんはここまでの展覧会の来場者の反応を見て、たとえ〝不自由な〟ルールを認識しても、「主体的に変えていく」意識に変化することの難しさを感じていました。
「オープンなやりとりができるはずのSNSでもすぐに炎上してしまったり、閉塞感のある世の中で、昔より声を発しづらくなってしまったりする現状があります。若い人がより、保守的になっているという指摘もあります」
来場者に質問を投げかけ回答してもらう、前述の体験型作品「あなたでなければ、誰が?」。その中で、水野さんが気になったのが、「政治的な怒りをどうするか」という質問です。
「『投票で表す』『デモに参加する』『ネットに書く』『家族や友達に話す』という選択肢があります。我々、おっさんは『投票で表す』が正解だと思っています。ところが、『家族や友達に話す』を選ぶ若い人が目立っていました。〝表明する〟のではなく、〝吐露する〟というのが政治的な行動になっている印象を持ちました。あまり変えることに期待していないのかなと」
民主主義についての意見も印象的だったと言います。
「作品のなかで『生活が良くなれば民主主義である必要はない?』という質問も用意しました。ある種、現代的な質問だと思うのですが、これも『はい』と回答する若い人が多数でした。『便利になりさえすれば、民主主義じゃなくてもいいじゃん』という。これは〝諦め〟とも少し違っていて、『そういうもんなんでしょ?』と疑いなく受け入れているところが根深いかもしれません。中国のような国のことを考えても今日的なテーマといえます。」
社会の閉塞感によって行動を起こせない状況になっているのか。それとも、ルールに主体的に関わろうという考えがないのか。水野さんにとって、その問題が今回の展覧会の根底でもありました。
「今回の『ルール?展』でやりたかったことは、リテラシー(知識、啓蒙)からコンピテンシー(行動する力)へ、ということです。教育的に何か正しいことを伝えるとか、意識高い系の方にしか通用しないようなアプローチをするのではなく、『ルールって楽しい』、『触ってみるのって楽しい』、『(いい意味で)巻き込まれていく』、そういう感覚が自然と湧き立ってルールに対する意識が変わってくれたら嬉しいと思っていました」
「ですが、さきほどお伝えしたマナーの話にしても、展覧会を楽しむ『余白・自由』が、自分たちがどうふるまうかに支えられていること、つまり自由にふるまうだけではどんどんその自由が奪われる方向に働くというある種の『公共性』についてまで、現状、来場者がどれだけ意識してくれるかは疑問をもたざるを得ない状況です。展覧会は11月後半まで開催されていますので、わたしたちも来場者と一緒に考える機会を持ちたいと考えています」
「ルールに対する意識を変える」という当初の狙いについて、水野さんは「難しいゴールだとわかっていました」と打ち明けます。
来場者への聞き取りや水野さんへの取材を通して考えたのは、大人が思う「若者像」のずれです。
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのように、「Z世代」と呼ばれる若い人たちは、環境など社会問題に積極的にかかわることを〝クール〟ととらえていると言われてきました。
実際、商品を選ぶ際に「サステナビリティに寄与しているのか」など社会に貢献しているかどうかで判断する動きも加速しています。
しかし、「ルール?展」に来た若者が全員、そこまでアクティブに行動しているかというと、必ずしもそれだけではないことが見えてきました。
「新しい感覚を持った『Z世代』と呼ばれる人たちが一定数いるのは理解します。でも、そういうことに無関心な人たちも一定数いるんだという、ある意味当たり前のことを理解できたという意味では、いい発見だったと思います」(水野さん)
私自身、「ルール?展」に若者が殺到していると聞いて、〝意識高い〟「Z世代」の広がりを期待した人間の一人です。でも、来場者に話を聞くと、ルールに関心を示しつつも、みんながみんな、積極的にコミットしたいと思っているわけではないことが伝わってきました。
SDGs、気候変動、ジェンダーなど様々な社会課題に対して、若い人たちの活躍が目立ちます。それは素晴らしいことですが、それを変えるのは「Z世代」だけの仕事ではありません。もしかしたら〝Z世代〟は私たちおっさんの願望だったのかもしれません。
若い人の中にある多様性を見せてもらった「ルール?展」。これからも若い世代に任せたり、巻き込んでいくことはもちろん大事です。でも、他の世代に頼るだけにせず、上の世代である私たちも目の前の課題やルールに向き合い、アップデートしていく気持ちが大事なのだと気づかせてもらった気がします。
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