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「最高」を「最幸」と書く心理とは?行政も用いる〝お仕着せの感動〟
「やってる感」を演出する言葉の呪力
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「やってる感」を演出する言葉の呪力
「最高です」ではなく、「最幸です」と書いた文章を、目にするときがありませんか? 「幸せであること」を、本来の字面を変えてまで、ことさら強調する――。その態度は、ビジネスの現場から、行政が掲げる施政方針に至るまで、あらゆるシーンに浸透しています。背景に、どのような事情があるのか。調べてみると、すぐには解決困難な課題と向き合うための突破口として、言葉の力を利用したいという、使い手側の心理が見えてきました。(withnews編集部・神戸郁人)
今から10年ほど前のことです。当時流行していたSNS「mixi」に、日々の出来事をつづる「日記」というブログ機能がありました。ある日、知人が投稿した文章に、「最幸」の二文字が含まれていたのです。
「今日は最幸の一日だった」「最幸の出会いに感謝」。おおよそ、そのような内容だったと記憶しています。仲間内での会食などについて報告する日記に、幸福ぶりを誇示するように、「最高」ではなく「最幸」を多用していたのが印象的でした。
未知の表記を目にした時、かすかな違和感とともに、心に様々な疑問が浮かびました。わざわざ、字句を書き換えるのは何故なのだろう。「最高」ではいけないのだろうか――。
この頃、「最幸」は、ごく一部でしか流通していない言葉だと思っていました。しかし注意深く観察してみると、スポーツ選手のコメントを始めとして、津々浦々で語られていることに気付いたのです。
こうした当て字を含む語句を「啓発ことば」と名付け、その起源を探求してきた筆者。社会の中でどう受け入れられてきたのか、がぜん知りたいという欲求が湧いてきます。そこで、メディア上での取り扱いについて、調べてみることにしました。
昨年度は春の選抜、夏の7人制と合わせて全国高校3冠を達成した。当時のレギュラーが3人残り、昨年度と比較して指揮官は「去年は頭のキレがずばぬけていた。今年は明るくて勢いがある」と評する。チームスローガンは昨年度の「一勝懸命」から「一笑懸命」に変更。山田が「笑顔が絶えない」と言うように「“最幸”の笑顔の輪を広げる」をテーマにしている。
――2016年11月14日付け スポーツ報知
(前略)長時間労働の解消など即座に実現できないことが多い点を指摘した上で、「人、お金、設備は用意できなくても、言葉の力による改革にはすぐに取り組める」と説く。
相手を否定してやる気をそぐのではなく、励まし積極的にさせる言葉掛けによって、仕事がしやすい環境をつくり、生産性の向上にもつなげられるという。
――2018年11月16日付け 中日新聞朝刊(豊田版)
・「-の体育祭になった」
・「-の笑顔の輪を広げる」
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