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「有吉さんが真剣に怒った日」ぐりんぴーす〝谷間世代〟の生き抜き方
「第七世代って言葉が出た瞬間はチッ」
デビュー間もなくネット番組『電波少年2010』(第2日本テレビ)に出演し、一躍時の人となったぐりんぴーすの牧野太祐さん(35)と落合隆治さん(36)。以降、ネタ番組ブームは影を潜め、しばらくお笑いシーンは停滞する。「第七世代」までの“谷間の世代”である彼らは、何を糧に活動してきたのか。コンビ結成の経緯や第七世代の若手に対する意識、そして、恩人・有吉弘行さんへの思いを聞いた。(ライター・鈴木旭)
――ここ最近、『お笑い実力刃』(テレビ朝日系)のYouTube動画で紹介されたり、『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)でネクストブレーク芸人に選ばれたりと、ちょっと風が吹いてきてる感じがしますね。
牧野:本当に波があって、これでいい感じとか言ってピタッとやむのが芸人の世界。今までもそういうのが何回もありましたから。一番最初は、芸歴2、3年目で出させてもらった『電波少年2010』ですよ。その時に、これはもう売れると。
落合:有吉(弘行)さんと同じ太田プロにいて電波少年に出る。しかもドッキリ企画。もう売れる方程式としては完璧ですから。
牧野:それを崩したのが我々ですよ(笑)。その後も紆余曲折を経てきてるから、もう簡単には調子に乗れない。まとまったお金が入ってから、ようやくガッツポーズできるんじゃないですかね。
落合:もうテレビに出たからって「よし、行けいけ」なんて感じにはなれないんですよね。
――“厚み”を感じるお話ですね……。直近で露出が増えているのは、牧野さんがパスタを鼻ですする“鼻パスタ”の影響なんでしょうか?
牧野:僕らはもともと漫才をやっていて、本来なら漫才だけで注目されるっていうのが理想だったんです。ただ、10年目過ぎたあたりから「それだけじゃ難しいな」と感じまして。とにかく興味を持ってもらおうと、『有吉ベース』(フジテレビONE)で考案したのが鼻パスタなんです。
落合:最初は罰ゲーム的に牧野がやらされたんですけど、「これは特技にできるんじゃないか」って話になって自主的にやり始めたんですよ。
牧野:なんとか芸に昇華できないかと、「鼻パスタおみくじ」「鼻パスタレース」「連続鼻パスタ」って感じでいろんなパターンをつくっていって。そしたら、ちょっとずつ関心を持ってもらえるようになったんです。僕らってもう若手じゃないですから(苦笑)。どんな方法でもいいから笑ってもらえるものがほしかったんです。
――お二人とも茨城出身で同じ高校の同級生だったんですよね。牧野さんは高校卒業後に日本映画学校(現:日本映画大学)に入学しています。なぜスッとお笑いの世界に行かなかったんですか?
牧野:現実的に考えて無理だと思っちゃったんですよ。やりたいことはやりたいけど、お笑いの世界はあまりにもヤクザ過ぎると。それで日本映画学校に入ったんですけど、ほかの生徒は映画を学ぼうと真剣だから、おちゃらけが1個もない。その空気に耐えられなくて、半年で学校を辞めました。
ただ、そこから受験勉強し直すのは大変じゃないですか。それで前年のセンター試験を利用した入試っていうのを使って帝京大学に入りました。その4年間の猶予で、お笑いをやろうと思ったんです。
――落合さんは武蔵大学だったんですよね。その時期に交流はあったんですか?
落合:高校卒業後、大学に入ってから2年生ぐらいまでは何の音さたもなかったんです。当時、牧野は高校の学祭で一緒にものまねとかショートコントとかを披露した4人組のうちの1人と自主ラジオ(Podcast)をやっていて。懐かしい人をゲストで呼ぼうとなったみたいで、同じく学祭のメンバーだった僕が呼ばれたんです。そこから改めて連絡を取り合うようになりました。
牧野:一緒にPodcastをやってた中山くんは、僕が学生時代に一番面白いと思ってた友だちで。もう初舞台を踏むライブも押さえてたんですよ。そしたら、ライブ直前になって飛んじゃった(笑)。千原ジュニアさんが出演した『情熱大陸』(MBS/TBS系)を見て、「芸人ってこんなに大変なんだ」って怖くなったみたいで。それで落合くんに一緒にライブに出てくれと声を掛けたんですよ。
落合:2007年ぐらいの話です。もともと僕はお笑いにほとんど興味がなくて、高校時代も率先して笑いをとるタイプじゃなかった。だから、補欠合格みたいな感じだと思います。当たり前ですけど、ライブのウケはさっぱりで。ろれつが回らなくて喉がカラカラになるって感覚を初めて味わいました。
――その後、2009年に現在の事務所に所属。デビューしてすぐに『電波少年2010』に出演していますが、どういう経緯でお話がきたんですか?
落合:ネタをやってから質疑応答があるって内容のオーディションがあったんです。ただ、ネタの時にスタッフがこっちをぜんぜん見てなくて(苦笑)。質疑応答にしても、特技とかを聞かれるんじゃなくて「運転の技術ってどうなの?」とか「雪山とかで運転したことある?」みたいなことばっかりだから、変なオーディションだなと思ってはいました。その後、企画の趣旨を知って「そういうことか!」って気付いた感じですね。
――この時ってまだツイッター黎明期ですよね? スマホが普及し始めたくらいだと思いますが……。
落合:僕らも「なにツイッターって?」と思いながらやってましたよ。当時のツイッターフォロワーってすごい人でも1万フォロワーとかで。企画が終わって帰ってきてから、「あと3年ぐらい遅かったらなぁ」と思った覚えがありますね。
牧野:3年とは言わず、1年とかでも違っただろうね。土屋(敏男)プロデューサーが考えた企画なんですけど、あの方は何をやるにもとにかく早いんです。
落合:ツイッターを使って、指令を与えられながら日本中を旅するって企画で。車しか与えられなくて、ガソリンとか衣食住も全部ツイッターでまかなわなきゃいけない。たぶん、けっこう僕らが苦労することを想定した旅企画だったと思うんですよ。ただ、ツイッターを使ってる人たちがまぁ優しくて。あんまり辛い旅にならなかった(笑)。帰ってくる時、軽く太ってるぐらいの感じでしたから。
牧野:その頃ツイッターやってるのって富裕層が多かったんですよ。自ら苦労しに行ったもんね(笑)、盛り上げなきゃと思って。
落合:無理やり現在地から離れた場所でつぶやいてる人のところ行ったりしてね(笑)。この企画ってもっと大きくなることを想定してたんじゃないかと思うんですよ。それが少し前にリーマンショックが起こったりして、あんまり派手な演出ができなくなっちゃった。
牧野:最初は100人ぐらいの記者に囲まれて、“ザ・電波少年”って感じのスタートだったんですよ。目隠しでどこかに連れて行かれて、パッてアイマスクを取ったら大勢の記者がいるって状態。夕方のニュースで大々的に流れたりもしたんです。それがゴールでは、記者がポツポツッといる寂しい光景でした。
――2010年代はちょうどネタ番組ブームが終わって、YouTubeや第七世代が盛り上がるまでの過渡期だったという感じがします。お二人の実感としてはいかがですか?
落合:たしかに僕らがお笑いを始めた頃って『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)とか『エンタの神様』(日本テレビ系)とかっていうネタ番組の全盛期。そこで出ちゃえば波に乗れた感じがあったのかもしれないけど、その後にグーッと冷え込むんですよね。あとは賞レースぐらいっていう。
牧野:お笑いゼロ時代ね。ただ、僕はそういうのも考えてなかったのかもしれない(笑)。ずっと「お笑いで生きてて楽しい」って感じでしたから。
――それが一番ですよね(笑)。タイミングよく「第七世代」でブレークした後輩への嫉妬みたいなものはないですか?
牧野:嫉妬みたいなものはないかなぁ……人によるんですよね。いいヤツだったらまったく嫉妬しないですけど、やっぱりイケすかないヤツだと「何だよ」って思いますし。
落合:正直、第七世代って言葉が出た瞬間はチッて(笑)。ただ結果的には、お笑い界全体が盛り上がってよかったと思います。最高にうらやましいですよ、今の若手って本当に何にもとらわれてないじゃないですか。僕らってちょっと上の世代が「賞レースで結果を出す」「YouTubeに手は出さない」って感じだったから、同じような精神ができあがってる。お笑い子ども時代に、親の厳しい教育を受けて学んじゃってるんですよ。
牧野:そういうお笑い文化をずっと学んで生きてきたから、第七世代の感覚って僕らは欠如してるのかもしれない。ただ、ぺこぱは僕らの同期ぐらいだから、第七世代になれた可能性はゼロじゃないんです(笑)。そこは言い訳が通用しないなって。
――ぺこぱさんは例外的に第七世代の扱いになりましたからね(笑)。ただ、30代の芸人さんに共通するのは、上と下に挟まれた“谷間の世代”ってところだと思います。
落合:オレらは「テレビに出よう」ってやってるけど、ここまでYouTubeやTikTokが流行(はや)ってる現状があって、「絶対に手を出さない」ってほどおじさんでもないし、みたいな。でも、手を出し始めるころには遅くなる。そういう後手後手な感じはありますね。
牧野:やっぱり悩むんですよ、そのへんは。僕らが若い時に教えられたお笑い論って「芸を安売りせず、テレビで披露するべきもの」みたいな考えで。簡単にYouTubeで放出するっていうのには何か抵抗があったんです。ただ、今ってそういう時代でもないから、自分たちなりにやっていこうとは思いますけどね。
――ラジオアプリGERAの番組『ぐりんぴーすのラジオは踊る。されど進まず。』の中で、「有吉さんがいなかったら(芸人を)辞めてる」とおっしゃっていましたが、やっぱり有吉さんの影響は大きいですか。
落合:電波少年2010で共演した時は、チョロッとお話するぐらい。番組が終わって、後々にインスタントジョンソンのスギ。さんから「有吉さんが『大学生みたいな見た目のノリのヤツらだったけど面白かった』って言ってたぞ」と聞いて、芸人を続けてもいいんじゃないかと思ったのはありますね。
牧野:有吉さんと仕事していた岡本麻里ちゃんからも、「『ぐりんぴーすさんと久々に会いたい』みたなこと言ってましたよ」って聞きました。電波少年2010以降、有吉さんはどんどん人気になっていって「うわー、頂点極めた」みたいな。僕ら的にはちょっと寂しかったんですけど、そういうの聞くと自信になるじゃないですか。その言葉が妙に心に残って辞めなかったのはあると思います。そこは本当に恩人ですよね。
――落合さんは、有吉さんが結婚を発表した直後のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)に出演しています。注目度の高い回に呼ばれたのは偶然ですか?
落合:結婚で注目されるだろうから僕を呼んだってことは絶対にないと思います(笑)。ただ、あの場にいたことはすごい嬉しかったし、そこについては長年の関係性があったからこそでしょうね。あのタイミングで、僕向きの企画もやらせてもらいましたし。そういうのは本当にありがたかったです。
牧野:僕は有吉さんから怒られたことがあるんです。番組の本番中、僕が何かのミスをした時に有吉さんから、「ミスをして、“できる風”に見せるのはよくない」と真剣な顔で言われて。そこから半年ぐらい“お笑いイップス”みたいになりました。でも少し経ってから『有吉ベース』に呼んでもらえて、また有吉さんに笑ってもらえたから治ったんです。だから、凹んだのも復活できたのも有吉さんなんですよね。
落合:フラットに見て違うと感じたら厳しいことも言うけど、次に会った時に面白ければめちゃくちゃ笑ってくれる。普段から余計な忖度がないからこそ、笑ってくれると「本心で笑ってるな」って思えるんですよね。ただ、怖いは怖いです(笑)。そこはしっかり言っておきます。ちゃんとした目線があるってことだけど。
――その目線に説得力があるんでしょうね。そのほか、アルコ&ピースの酒井健太さんとも交流があるとか。
落合:2人ともですけど、とくに僕は酒井さんには頭が上がらないぐらいお世話になってます。何かの飲み会があって番組のスタッフがいるとなれば呼んでくれますし、自分たちの番組に引っ張って出すってことはないですけど、「人柄が伝わるんじゃない?」って時はオーディションにも呼んでくれて実際に出たりとか。ラジオで何かあればちゃんと名前とかエピソードも言ってくれますしね。
牧野:それによって名前が広まるんですよね。漫才は見たことないけど名前は知ってるよって人がけっこういるんです。太田プロ歴が長い分、アイデンティティの田島(直弥)さん、マシンガンズさんとか、ありがたいことに気に掛けてくれる先輩がいて本当に助かってます。
――昨年、鼻パスタでM-1に出たっていうのは本当ですか?
牧野:はい、本当です。コロナ禍でライブがまったくなくてネタが試せないし、「じゃあオレらは何をやればいいんだ?」とグッと考えまして。ちょうど1年前は鼻パスタをやって『うちのガヤ』とかいろんな現場で大爆笑をとった時期。それで、「オレらがやってたのは鼻パスタだ!」ってことになったんです。実際にM-1の予選で披露したら、審査員が僕らをにらんでましたけどね(苦笑)。
落合:1回戦の会場にはお客さんがいないんですよ。
牧野:凍り付いた現場を体感して、「そりゃそうだ」と気付きまして。今年はパスタを持ち込まずに、しっかりとした漫才をやろうと決意を固めました。
――毎年1回ぐらいのペースでスポットが当たっている気もしますが、当面の目標や今後のビジョンがあれば伺えますか?
牧野:とりあえずの目標は、なるべく東京に引っ越したいなと(笑)。
落合:何でだよ(笑)、千葉の一軒家買ったばっかりなのに。
牧野:何とか一山当てて、千葉の住まいを売却し、東京に移り住みたい(笑)。とはいえ、やっぱり家庭もあるんで、お笑いと両立できればいいなと思ってます。今年もM-1があるので、とりあえずそこで結果を出したいなと。第1回目の『有吉の壁』(日本テレビ系)に出たっきりなので、まずは戦う資格を得たいと思います!
落合:もちろん売れるっていうのが最大ですけど、最大値ばっかりじゃないってことですよね。ゆるやかなカーブでもいいっていうか、急上昇じゃなくても別にいい。しっかりとお笑いで生きていけるのが一番って感じですかね。ただ、僕もやっぱり『有吉の壁』には出たい。そのために、まずは賞レースとかで結果を出さないと。
ぐりんぴーすの2人とは、過去に同じ職場で働いていたことがある。2人のトークを目の当たりにして、「息が合うってこういうことを言うんだな」と感心させられたものだ。当時、私は取材経験の乏しいライターだったが、いつか必ず取材しようと胸に秘めていたのである。
今回念願叶ったわけだが、2人の掛け合いは変わっていない。牧野さんの小気味よいボケに、落合さんが楽しそうにツッコミを入れていく。取材の中で話していた「お笑いで生きてて楽しい」という言葉は噓偽りない言葉なのだと思う。
谷間の世代であろうが、鼻パスタの芸で審査員からにらまれようが、楽しいのが一番に決まっている。もちろん2人には売れてほしいが、それよりも今のスタンスを大事にしてほしい。その延長線上で、東京に“鼻パスタ御殿”が建つとしたら最高だ。
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