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妊婦も遭遇した「#わざとぶつかる人」 “弱い人”狙いとの指摘も
駅の構内で男性とすれ違う際、右手首に殴られたような衝撃が走りました。故意にぶつかってきた感触でした。スマートフォンなどを操作する「ながら歩き」ではなく、むしろ身構えていたのに――。
見知らぬ人が意図的にぶつかってきたという被害報告がSNS上で上がっているとして、自営業の30代女性の体験を記事にしたところ、読者から30通ほどの反響メールが寄せられました。
SNS分析ツール「ブランドウォッチ」で、「わざとぶつかる人」「ぶつかりおじさん」などを含むツイートを調べると、定期的に大きな「山」ができています。
2018年5月には、新宿駅ですれ違いざまにわざとぶつかる動きをする男性の動画が拡散。3万件を超えるツイートがありました。その後も、数カ月おきに万単位のツイートの「山」ができています。「女性だけに向かってドーンってやってる」「都市伝説扱いだが、悪質な奴がいる」といった投稿がありました。きっかけとなる投稿があり、別の人が過去の体験談や意見をツイートしていく様子がうかがえます。
寄せられたメールにも体験談がつづられていました。
「駅のホームで電車を待っていると、後ろから思い切り当たられました」
「駅の階段を下りたところ、鉢合わせになりそうだったので避けようとした瞬間、思い切り体当たりされました」
記事で紹介した女性と同じように駅で被害に遭ったというもののほか、歩道やスーパーなど、別の公共空間での被害体験もありました。
ぶつかってきたのは男性で、ぶつけられたのは女性という投稿が目立ちましたが、女性が「加害者」だったというケースも、男性が「被害者」という報告もありました。
パートの女性(39)は、妊娠8カ月の時に歩道で「わざとぶつかる人」に遭遇したと話します。
およそ5年ほど前、妊婦健診のため産婦人科に歩いて向かっていた時のことです。平日の午前中でした。
女性は歩道を進んでいました。片側2車線の道路とガードレールで隔てられ、人がすれ違うには十分なスペースがあったそうです。
前方から中年の男性が向かってくるのが見えました。ランニングウェアのようなものを着ていて、走っているように見えました。帽子もかぶっていました。
「車道側によけました。おなかの子も心配でしたし、車の運転もそうですが、日ごろからトラブルを避けるために、こうした場面では譲るようにしています」
ところが、次の瞬間。女性の左肩に、ドンッ、という衝撃が走りました。そのままよろけてしまいましたが、ガードレールが支えになって転ばずに済みました。
「『ちょっと』と呼び止める声が出かかりましたが、すぐにのみ込みました。激高されておなかの子に被害が遭ってはいけないと思いました。こっちがやり過ごすしかないのは、やりきれない思いです」
男性は、そのまま走り去っていったそうです。
「電車から降りる時は、胸の前で腕を組み、スマホを手に持っています」。別の会社員の女性(41)はそう話します。ぶつかり被害の中でも、「痴漢」目的ではなかったかと感じています。
都心の勤務先へ転職したのが5年ほど前。自宅へ戻るため、都内の乗換駅で降りる際、乗ってくる側の男性が腕を胸に押しつけてくるケースが週に1、2回あったと話します。
「こちらが避けても、さらに方向をかえて当たってくるので意図的だと思いました。そうした行為をする人は複数いたと思います」
数カ月被害が続く中、自然とスマホを持ち、腕を組むようになったと話します。
それでも、電車内で男性が近づくと呼吸が苦しくなりました。医療機関を受診したところ、「パニック障害」と診断されたそうです。
「自分の中で耐性もついてしまい、あえて周囲に被害を訴えるほどのことではないと思ってしまいました。こうした被害をなくすために、声をあげたいと思いました」
こうした被害についてどう考えればいいのか。「これからの男の子たちへ」(大月書店)の著者で、弁護士の太田啓子さんは「うっぷん晴らしだったり、性的な接触が目的だったり、理由はさまざまと思います。年齢も性別も、いろいろな組み合わせで、被害者と加害者がいるのだと思います。ただ、女性の方が被害の対象になりやすいと感じます」と話します。
「自分よりも弱いとみなした人をターゲットにする。そういう意味でも、男性の方が比較的に体格的に有利なこともあって、女性は、弱いとみなされがちなのだと思います」
太田さんは、「『お手軽』に加害に及んでしまう現実もあるのではないでしょうか」と指摘します。
例えば、暴行罪を立証するには目撃者や防犯カメラ映像などの具体的な証拠が有効ですが、そのようなものがないことも多いだろうと話します。
こうした被害をめぐっては、「都市伝説」「自意識過剰」「そんな人いるの?」という反応もあります。
太田さんは「被害経験を、第三者が否認するケースはSNS上で散見されます。そうした否認の背景には、被害経験がなかった、あるいは少なかったという事実も関係しているのでしょう。常にマジョリティーの側にいると思っていることで、マイノリティーの側の訴えに気づきにくくなり、場合によっては否定することにつながるのだと思います」
「ただ、考えてみれば、誰にでも、マイノリティーの部分があるのだと思います。そこに気づいて痛みを感じるならば、別の誰かの被害体験にも耳を傾けてほしいと願います」
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