連載
#47 「見た目問題」どう向き合う?
「見た目いじめ」と少女の死 顔にアザ、外見差別受けた男性の後悔
生死の境にいる若者へ「助け求めろ」
2019年、外見に症状がある女子中学生が、命を絶ちました。「ニュースを知り、無力さに打ちひしがれた」。そう語るのは、生まれつき顔にアザがあり、周囲から注がれる奇異のまなざしに向き合ってきた、石井政之さん(56)です。「ふつう」ではない見た目に苦しむ人々に寄り添い、自身の体験について発信する。一連の活動を通じ、「外見差別」の問題を啓発してきた石井さんは、同じ境遇に置かれている若者に、訴えたいことがあるといいます。中学生の命日にあたる31日、胸の内に渦巻く思いについて、つづってもらいました。
福岡県久留米市で2019年7月31日、女子中学生(当時14)が、マンションから飛び降り亡くなった。
このニュースに私は涙した。他人事とは思えなかったからだ。
彼女は生まれつき、顔の右ほおが病気で膨れていた。中学校で、「気持ち悪い」と言われるなどしていたそうだ。
私の顔には生まれつき赤いアザがある。先天的に、皮膚の表面に血管が浮き出る症状で、単純性血管腫という。
彼女の疾患はリンパ管腫だ。私の病状とは違う。しかし、外見が「ふつう」と違うことへの悩み、そして周囲からの蔑視やいじめにあう苦しみは容易に想像ができた。
私は、これまで数え切れないほど、外見に目立つ症状のある人たちと出会ってきた。そのうち何人かが自死した。遺族から「身内に自死した人間がいる」という苦悩をつづった手紙をもらったこともある。
ただ、私は当事者の自死について、公の場で語ったことはなかった。その自死の原因は多岐にわたる。外見差別が理由で命を絶ったのかどうか、分からない。慎重にならねばらない。だが、今回のニュースを知って、こう自問し続けていた。
「私は慎重になっているのではなく、当事者の自死問題と向き合うことから逃げていたのではないか」と。
私は名古屋で生まれ育った。小学校、中学校ではいじめられた経験がある。
小学3年のとき、友人に、ここでは書けないような差別用語を言い放たれた。私は怒りのあまり体が震えて、言葉が出なかった。
高校生の頃、道を歩いていると、正面から女の子が自転車で向かってきた。小学校高学年くらいの年齢だろうか。すれ違いざま、大きな声で「その顔でよく生きていられるな。私なら自殺しちゃうわ」と言われた。言葉でぶん殴られたような衝撃を受けた。
学校の中でも外でも、気を抜くと、差別の言葉が投げつけられる。ジロジロ見られる。私は、いじめと差別から身を守るため、学業と格闘技に集中した。少なくとも私は自分ひとりを差別から守ることができた。
顔のアザは、生死に関わる病気ではない。外見が目立つけれども、五体満足な私という存在。「ふつう」の顔ではないが、自分のことを健常者とは思えない。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま、私は社会人となった。
その鬱積(うっせき)した思いをぶつけたのが、1999年に発表した書籍『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)だ。
33年間の半生を書いた。同時に、自分と同じように、顔にアザのある当事者を取材した。国内だけでは取材は終わらなかった。アメリカにわたり、顔に疾患・外傷のある当事者を支援するNPOや専門家に取材して回った。
本の最後のページに、自分と同じ境遇にある当事者からの問い合わせに備え、私の連絡先を記した。すると、段ボール2箱分の手紙が届いた。
この問題に本気で取り組もうと、私は当事者組織を立ち上げる。「ユニークフェイス」と名付けた。その後、NPO法人に。いつしか、私たち当事者のことを、マスメディアは「ユニークフェイスな人たち」と呼ぶようになっていった。
私は当事者の仲間とともに、差別と闘う運動をしたいと考えていた。だが、現実は闘いどころではなかった。差別やいじめによって心の傷を負った当事者が多かった。差別と偏見にさらされ弱り切っていた。
私は無数の当事者と出会って、自分がたまたま幸運に恵まれた人間なのだと気づいた。いじめは受けたが、好きなように学び、好きな仕事に就いた。友人、知人たちの支えがあって、それなりに幸福な人生を送ってきた。それがかなわない当事者が少なくないのが現実だった。
私が書籍を発表してから20年以上の月日が経った。この間、中学生からの苦悩の声が、私のもとに届くことはなかった。
それでも、私は分かっていた。未成年の当事者が、孤独の中で、たったひとり、差別といじめに立ち向かっていることを。小さなNPO法人、そして個人でできることは限られている。できることさえやっていればよい、そう自分に言い聞かせてきたのだ。
久留米の女子中学生が飛び降りて亡くなったというニュースは、そんな私に自身の無能さと無力さを突きつけた。
報道によると、彼女の遺書には「何で普通じゃないんだろう。人の目が怖い」「生きるのがつらかった」といった苦悩がつづられていたという。
久留米市教委の調査委員会は、見た目によるいじめがあったことは認定している。だが報道によれば、いじめが自死に「影響を与えた」としつつも、「直接の因果関係はなかった」と結論づけた。
記者会見で、調査委員会の委員長は「3年生当時にはいじめはなくなっていた」と指摘した上で、「いじめがなくなった後も心理的葛藤を抱え、将来の不安や自分の価値を否定する感情が大きくなり、命を絶った」と語ったそうだ。
私は、こう思った。「久留米の学校教育の敗北である」と。学校は、外見に疾患のある中学生をいじめから守る力がなかったのだ。調査委員会の委員長は、学校の対応をめぐり「いじめ防止対策は適切だったが、生徒の葛藤への配慮は十分ではなかった」とも述べている。
「心理的葛藤」とは、他者との関係性から生じるものだ。見た目をからかわれなかったなら、女子生徒が苦悩することもなかっただろう。いじめを防ぐことができれば、「心理的葛藤」は小さくなり、命を絶つことを避けられたかもしれない。
調査委員会と、久留米の学校関係者を責めているわけではない。日本では、外見に目立つ疾患のある子どもを守るためのノウハウや知識が、まだ広まってないと私は思っている。英国では支援団体「チェンジング・フェイス」が中心になって、若い当事者や家族のためのアドバイスを行っている。そうした取り組みが、日本では十分とは言えない。
敗北したのは、教育現場だけでない。当事者の先輩である私、そしてユニークフェイス活動も同様である。
更に言えば、この20年間、ユニークフェイス当事者たちが、様々なメディアに語ってきた体験談が、一人ひとりの言葉が、女子中学生に届かなかった。自死に追い込まれていく彼女を孤立と絶望から、生きる希望のもとに連れ戻すことができなかった。
では、外見に疾患のある子どもたちを守ることができない、と絶望して終わりなのだろうか。
いや、違う。教育の力を私は信じたい。
私が結婚して間もないとき、北陸地方の小学校から依頼を受けて、ユニークフェイスに関する授業をさせてもらったことがある。
全生徒数が約60人の小さな学校だった。学校に到着すると、5人くらいの子どもたちが、私を見つけた。
「あー、気持ち悪い!! お化けだああ!!」と騒ぎ出した。
「すみません」と先生は恐縮していた。私は「元気ですねえ、授業が楽しみですよ」と応じた。
大教室で、約60人の児童たちが青いジャージを着て、体操座りで待っていた。私は子どもたちに自分自身の体験を語った。
わが子がもうすぐ生まれることを伝えたら、子どもたちはうれしそうに騒ぎ出した。「男の子? 女の子? どっち?」。目をやると、さっき私のアザをはやしたてた子である。「男の子だよ」。笑い返してくれた。
授業の最後、私は子どもたちにこう伝えた。
「この授業を受けた君たちが、これからの人生で、顔を理由にいじめをしなくなることを願っています。それがかっこいい大人だからです。そして、顔にアザのある子どもがいたら、守ってあげられる人間に育ってほしい」
子どもたちは真剣な顔で耳を傾けながら、うなずいていた。
授業の最後に、教室から出ていく生徒一人ひとりに、私の右顔面の血管腫をタッチしてもらった。「わああ、あったかい」「フワフワする」と喜んでくれている。最後に握手を交わす。「ありがとう」。私はそう言って、笑顔で別れた。
授業から10年以上の歳月が流れた。あの授業を全国の小学校で展開していたら、外見差別を減らせたのではないか。忙しさにかまけ、活動しなかった自分を情けなく思う。
20年前、学校やメディアなど公の場で語れる当事者は数人しかいなかった。
今は、様々な若い当事者が、外見の症状にまつわる体験を語るようになっている。時代は変わってきた。
彼ら、彼女らの存在は希望だ。
もし、この若い当事者たちが、全国の学校で、その体験を語り、外見によるいじめや差別をなくすためのメッセージを子どもたちに伝えることができれば、見た目に悩むことによる自殺を防げるのではないだろうか。
久留米の中学生は、平穏な学校生活を求めたが、それができない、この先も幸せはこない、と思ってしまった。私は、そう推測している。
「教育が敗北した」と、私は前述した。しかし、その敗北から学び、再発を防止するために、私たち当事者、教育者、そして父兄が力を合わせる必要があると思う。
学校や教師にできることは多い。まずは外見差別について知ることだ。外見差別の知識がゼロの状態では、差別と闘えないからだ。そして「外見差別は許さない」という姿勢で、教育にあたってほしい。家族も同様だ。どうしてよいのか分からない、と嘆く前に、学校とともに学び、連携をとることが重要だ。
日本中に、現在進行形で、外見を理由に差別やいじめにあって苦悩している子どもたちがいる。いまも外見に悩んで生死の境界にいる若者がいる。それはまぎれもない現実なのだ。
その若い当事者に、伝えたい。
死ぬな、生きろ。助けを求めろ。
その苦悩を理解する大人が、あなたの近くにいる。共感する同級生がいる。絶望すると、理解者が見えなくなる。
スマホで「ユニークフェイス」と検索してほしい。その液晶画面には、外見の苦悩について、馬鹿の一つ覚えみたいに、書いたり語ったりしている私の顔が出ている。
「見た目問題」と検索すれば、若い当事者たちが自らの半生について語った記事を、たくさん読むことができる。先輩当事者の体験や言葉から、生きるためのヒントが見つかるかもしれない。
あなたはひとりではない。
外見を理由とした差別といじめのない学校で、ふつうに過ごしたかった。
それが彼女の望んでいたことだったと思う。
学校が安全地帯だったならば、あなたは死ななかった。
あなたの遺志は受け取った。
最後に、自死した女子生徒の冥福を心から祈ります。
石井政之(いしい・まさゆき)
1965年生まれ。ライター、ユニークフェイス研究所代表。1999年にユニークフェイス(後にNPO法人化)を設立。2007年、結婚を機に東京を離れたこともあり、ユニークフェイス活動は停滞し、2015年にはNPO法人解散を公表。その3年後、「もう一度苦しんでいる当事者に寄り添いたい」と活動を再開。現在は神奈川県を拠点に、ユニークフェイスの情報を発信したり、交流会を開いたりしている。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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