コラム
開成高校で倫理を教えたドラァグクイーンの正体は?議員の前で堂々と
その人に出会ったのは昨秋、自治体のアンテナショップのオープニングセレモニーだった。市長や国会議員らが集まるフォーマルな場で、青いラメ入りのリップグロスに真っ黒なアイライナー、色鮮やかなヘッドドレスは歩くたびにふわりと揺れる。にこやかに、堂々と関係者とあいさつを交わしていくその姿が、目に焼き付いて離れなかった。なぜ、こんな場所でドラァグクイーンの格好なのだろう。知り合いのつてをたどって、取材をお願いすることにした。
ドラァグクイーンの格好をしていたのは、八戸都市圏8市町村の交流プラザ「8base」(東京・内幸町)の店内で、郷土芸能「八戸えんぶり」のディスプレーを手がけたヴィヴィアン佐藤さん。
待ち合わせ場所の新宿の喫茶店に現れたヴィヴィアンさんは、この日もカラフルでまぶしくなるような衣装をまとっていた。
「この格好?内面のエネルギーがちょっとせり出しただけ。内面の方がもっと激しいですよ。人の目なんて、関係ない」。
カラリと笑った。
「歩く展覧会」と自称するヴィヴィアンさん。美術家として米国の高級百貨店「バーニーズ・ニューヨーク」の国内店舗のディスプレーを手がけたり、展覧会に作品を出品したり。映画評論家として「キネマ旬報」に映画のレビューを書いたり、大正大学で都市工学の客員教授を務めたり……肩書は実にマルチだ。
仙台市出身。6歳の時に買ってもらった水彩道具セットを、お風呂以外はずっと肩にかけて過ごすくらい美術が好きだった。
男らしく育てられることに違和感があった。でも、女になりたいわけでもなかった。次第に水彩道具が化粧ポーチに、画用紙が顔になっていった。
金沢工業大で建築を学んでいた20代の頃、「ドラァグクイーンという生き方」に出合った。アルバイト先のゲイバーのママが、「男でも女でもなく、異様なものになることを教えてくれた」。
パーティーなどのイベントをかき回す意味もあるという、ドラァグクイーン。既存の価値観にとらわれない、名付けられない存在に、自分がなりたかったのはこれだと思った。
共鳴し、吸い寄せられるように出会った服を身にまとった。化粧をすればするほど、心は裸になっていった。着飾るのは、変身ではなく自分に戻る行為なのだと気づいた。
大学卒業後、建築家・磯崎新氏の事務所模型部署で2年ほど働いた後、新宿を拠点にフリーで活動を始めた。
青森県で携わった街おこしでは、その街の歴史を調べ、現地に家を借り、住民よりも街に詳しくなった。映画、歴史、芝居……あらゆるジャンルの本を読み、仕事の縁を大切にしながら、分野を横断的に仕事の幅を広げていった。
アンテナショップの運営会社を通じて依頼されたディスプレーについてヴィヴィアンさんは「季節などによってどんどん変化していく、生きた空間になるよう心がけた。祭りの道具や衣装から、実際に使われている感じや人の体温が感じられるよう意識した」と話す。
ヴィヴィアンさんが「頭上建築」とも呼んでいるヘッドドレスは手作りだ。針と糸で縫ったチュールと造花を飾り付ける。「見えないものを絡め取るアンテナのようなもの」だという。
知人から依頼され数年前に始めたヘッドドレス作りのワークショップは、愛媛や富山、宮城など全国各地から依頼がくる。
「狭い世界で生きていく窮屈さを取っ払ってくれる。自由な心を、ヴィヴィアンさんそのものが教えてくれるんです」と、青森県八戸市でワークショップを一緒に開いたアートコーディネーターの今川和佳子さん(44)は魅力を語る。
ワークショップに参加したことがある八戸市在住の女性は、ヴィヴィアンさんの「合わない組み合わせの色はないから、自由にやっていいんだよ」という言葉が印象に残ったと話す。地元では、大好きなゴスロリファッションの服を着ると、白い目を向けられた。仕事が安定しないと、陰口をたたかれた。
「ちょっとでも人と違うとうわさされて、人の目を気にして生きていかないといけない。でも、ワークショップに参加してみて、もっと自分らしくあっていいんだと思えた」
ヴィヴィアンさんは昨年、私立開成高校(東京)の倫理の授業にも招かれ、映画や街おこしの仕事、自分探しをしていた中高生の頃の葛藤などを語った。授業を企画した安食英理子教諭(社会科)は、画一化されたものが『良し』とされる風潮に一石を投じるのが狙いだったという。
「ヴィヴィアンさんは肩書をつけるのが難しいほど多才で、『何にも属していない』ということを体現している。その空気感を生徒に触れさせたくて。いますぐ何かに生きる知識ではない、五感に響くものを……」
数年前、大家にドラァグクイーンであることが知られて、家の賃貸契約を更新してもらえなかったことがあった。1回しか会ったことがない人に結婚式への参加を頼まれることはあるのに、親戚の結婚式には呼ばれたことがない。
「他人だったら応援したいけど親戚やご近所だったら嫌だなという、ダブルスタンダードを感じますよね。ネタですよ、ネタ」。淡々と語った。
「人間はいびつな多面体。世の中にはありとあらゆるマイノリティーがあって、いろんな価値観があることを伝えていきたい。自分は、自分」と言い切った。
それでも、やっぱり、装いから嫌なことを言われることはないですか――。ヴィヴィアンさんは少し間を置いて、こう答えた。
「私は、いじめは認めないんです。『いじめられた』と自分の中で思ったら、本当に『いじめられたこと』になる。だから、認めない」。
一つ一つの言葉の強さに圧倒された取材だった。
私自身、日々、生活する中で、「こうでなければ、ああでなければ」と窮屈さを感じることが多い。それは社会から求められる理想像に収まりきれない苦しさでもあるし、勝手に自分を押し込めている面もあるのだと感じていた。
ヴィヴィアンさんに多くの人が共感を寄せるのは、自由を自ら創造して生きていこうとしているからではないだろうか。
様々な企業や団体から依頼が絶えないのは、伸びやかな発想を社会が求めているからだろう。
その生き方には、既存の価値観や固定観念に縛られず、他者も尊重できる社会へのヒントが詰まっていると感じた。
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