マンガ
『ちはやふる』作者が明かす、冒頭シーンの意味「私、1枚取るし」
0-25で負けるはずだったけれど…

競技かるたをめぐる高校生たちの青春を描いたマンガ『ちはやふる』。ストーリーは名人・クイーン戦という最終決戦の局面を迎えています。2007年に連載が始まりましたが、当初は恋愛マンガになるのかスポーツマンガになるのか分からなかったといいます。作者の末次由紀さんは「自ら動くキャラクターと出会えた。それが作品の命になった」と振り返ります。『ちはやふる』の物語に命が吹き込まれた「シーン」や、百人一首の世界について聞きました。
ちはやふる:競技かるたに情熱をかける高校生たちの青春を描いたマンガ作品。2007年から「BE・LOVE」で連載開始。主人公の綾瀬千早は高校で「競技かるた」部をつくり、高校選手権大会に出場。個人戦ではクイーンを目指す物語。既刊46巻、47巻は8月発売。「このマンガがすごい!2010」(宝島社)オンナ編第1位、2011年第35回講談社漫画賞少女部門を受賞。アニメ化された『ちはやふる』は50ヵ国以上で配信され、「競技かるた」を世界に伝える
末次由紀:漫画家。福岡県生まれ。1992年「太陽のロマンス」で第14回なかよし新人まんが賞佳作を受賞、この作品が「なかよし増刊」(講談社)に掲載されデビュー。2007年から「BE・LOVE」(講談社)で「ちはやふる」の連載を開始

千早が「せをはやみ」を取った瞬間…
いえいえ……「1年ぐらいは続くかな」と思ってました(笑)
描き始めた頃は、主人公の綾瀬千早たちの夏の高校選手権大会ぐらいまでのお話は見えていたので、そこを目標にしていました。
なんせ人気が無いと続かない世界です。その中で「競技かるた」の世界がどこまで受け入れてもらえるのか……というのは手探りでしたね。
#ちはやふる またまた重版いたしました!いつも応援ありがとうございます😊42巻は2刷!2刷はいっとう嬉しいです!
— ちはやふる公式 (@chihaya_koshiki) July 2, 2021
47巻は8月12日発売💕よろしくお願いいたします! pic.twitter.com/Gt3S5usCFL
そうですね、私はこの点ではすごく幸せでした。
第1話で、かるたがすごく上手な綿谷新という男の子と、ど素人の千早が対戦するんです。当たり前だけれど、全然とれない。
私としては0-25で負けることを想定していたんですね。でも描いている途中で千早が「私、1枚取るし」と、「せをはやみ」を取ってくれた。
われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ <崇徳院(77番)>
連載誌が「BE LOVE」なので、恋愛方向で物語が進んでもおかしくない。でも、その瞬間から『競技かるたで身も心も強くなっていくマンガになるんだ』という気持ちになりました。
ガチで競技かるたを描いて、どれくらい読んでもらえるか分からないけれど、自ら動くキャラクターと出会えた。それが作品の命になったという気がします。

競技かるたの世界とキャラクターたちの相性がすごくよかったと思います。
もし千早が恋愛体質だったら、かるたをしていても「恋がしたい」と言うかもしれない。そっちの道だってあったけれど、競技かるたを必死でやっている世界に放り込んだら、一本気なキャラクターたちは「競技かるたしか見えません」という道に走り出していきました。
原田先生は府中白妙会の前田先生がモデル
あんまりいませんね。ただ一人だけ、作中で千早たちが所属するかるた会「白波会」の原田秀雄先生には確実にモデルがいます。かるたをやっている人なら「あの人だな」と分かるくらいそっくりだと思います。
かるたの面白さと、かるたをやっている人の面白さも教えてくれた、府中白妙会の前田秀彦先生です。前田先生が、ちはやふるの情熱と良心を支えてくれています。
はっとする言葉が味わえる和泉式部の歌
一緒にやってくれる人が周りにいなくて、でも覚えることが好きだったので覚えるだけ覚えていました。
「上の句を聞いて下の句をとるという難易度の高い遊びをいつかやってみたい」と思っていました。
高校で百人一首クラブに入って初めて源平戦をやりましたが、「下の句が読まれるまで誰もとれない」みたいな状況でした。それでも十分楽しかったので満足していたんです。
競技かるたを知ったときは、全く違う新しいスポーツだなと目から鱗がぼろぼろ落ちる思いでした。ただ、「決まり字」しか知らないということもあるようなので、『ちはやふる』の中では歌の説明もできたらなと思っています。

「歌の天才」といわれている和泉式部ですね。小倉百人一首でいうと56番目の「あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな」の作者です。
女流歌人がたくさんいた時代の女御の方ですが、たくさんの名歌が残っています。ツイッターの「和泉式部bot」をフォローすると、タイムラインにときどき和泉式部の歌が流れてきて、はっとする言葉が味わえるのでとてもおすすめです。
知る前と後では、世界ががらっと変わる歌
――では「歌」に絞ると、どの歌が一番好きですか?
周防久志名人も好きと言っている「逢ひ見ての」でしょうか。
昔は物を 思はざりけり <権中納言敦忠(43番)>
すごく難しい瞬間を言語化してくれた歌として、特別な歌です。
――末次さんが『ちはやふる』という作品に出会ったことも、その前後ではがらっと世界が変わっていますよね。
スポーツをテーマにしたマンガは好きで読んでいましたが、私にスポ根が描けるとは思っていなかったんです。千早のようなコメディエンヌっぽい主人公も描いたことがなくて。
――少女マンガで主人公が白目をむいて寝ることはあまりありませんもんね(笑)
とっぴな行動をとるキャラを描くのも楽しいんだと気づいたのは、『ちはやふる』を始めたおかげですね。
そして編集者さん、応援してくれているファンの皆さんのおかげなんですが、キャラが生き生きと動いているなって思います。
「やる気スイッチ」もマンガ
でも、ネームは毎回死にそうになっています(笑)。
そんなときは面白いマンガを読んでやる気を出すこともあります。マンガで困ったら、マンガに頼っているんです。
新作に飛び込んだり、読んでいなかった作品を読んだり。「こんなに面白い漫画があるなら私が描かなくてもよかった」という落ち込み方をして逆効果になることもあるんですけど(笑)。
「これを読んだらやる気が出る」という作品は、サッカーマンガ『DAYS』(安田剛士著)の27巻です。私にとって、これが「やる気スイッチ」です。

いったん「こうすればいいんでしょ」というラインで描いてみても、全然面白くないんです。「私はみんなに年表を見せたいのか?予定通りに進むストーリーの何が面白いの?」と悩みます。
そういう時って、やっぱりキャラクターを無理やり動かしているんです。「これだけの要素が詰まっていれば面白いでしょう」と私の想定している予定を入れているだけなので、キャラクターが自ら動いているのとはわけが違うんです。
そんなとき、「ごめんね、ほんとのところはどうなの?あなたは何がしたかったの?」って取材しにいくと、「本当はこう言いたかった」と本音がぽろっと出てくる。それを描かなきゃいけなかったんですね。

話が全然進まないということも起きますが、キャラクターの本音が読んでいる人に届いて、やっと「意味のあるマンガになる」という手応えみたいなものがあるんです。
急がせたくもなりますが、そこで立ち止まって、大事なことを取りこぼさずに描けているかどうか。ここまで丁寧に描かせてもらった漫画を、駆け足に描いてどうするんだ、と言い聞かせています。