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「お笑い路線」に乗れなかったジャニー喜多川〝解禁〟決断させた事情
「SMAPを平成のクレージーキャッツに」
ジャニーズのタレントがバラエティーで活躍して久しい。しかし、そもそもジャニーズとお笑いは水と油の関係だった。亡くなって丸2年が経つ創業者の故・ジャニー喜多川氏が“ショーアップ”という理念を持っていたからだ。この流れは国民的アイドルグループ・SMAP(2016年12月に解散)によって崩れる。以降、お笑いとアイドルは同じ課題を抱えながらバラエティーを盛り上げていくことになった――。(ライター・鈴木旭)※以下、敬称略
昨今、ジャニーズは多くのバラエティーに引っ張りだこだ。ウッチャンナンチャン・内村光良がMCを務める『スクール革命』(日本テレビ系)には、アンタッチャブル・山崎弘也やオードリーの2人とともにHey! Say! JUMPのメンバーとSixTONES・髙地優吾が出演している。
また、2019年から「第七世代」が盛り上がりを見せると、四千頭身、さや香、さすらいラビーら若手芸人とSnow Manが特番『7G〜SEVENTH GENERATION〜』(フジテレビ系)で共演。「若い世代」「仲がいい」という共通のイメージもあってか、これまでに第3弾まで放送され好評を博している。
単発での出演も多い。『ネタパレ』でウッチャンナンチャン・南原清隆、陣内智則と共演するNEWS・増田貴久、『タイプライターズ〜物書きの世界〜』(ともに前同)でピース・又吉直樹と進行をともにするNEWS・加藤シゲアキはすっかり番組の顔になっている。
直近では、木村拓哉や嵐・松本潤などの“ジャニーズものまね”で知られるA.B.C-Z・河合郁人の活躍が目覚ましい。もはやジャニーズのタレントは、バラエティーに欠かせない存在になったと言えるだろう。
1980年代にシブがき隊、少年隊、光GENJIといった人気アイドルグループを輩出し、ジャニーズは確固たるポジションを築いた。ただその一方で、本格的にお笑いの分野に踏み込むことはなかった。
たとえば1980年代前半に活躍した「たのきんトリオ」(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)らがバラエティーに露出することはあっても、“体を張って笑わせること”に意欲的だったかと言えば疑問が残る。当時、一人の視聴者としてテレビを見ていた私の記憶でも、彼らはあくまでもアイドルという領域の中でお笑いらしいことをやっていた。
日本経済が右肩上がりだった背景も多分に含まれるだろうが、そこに「バラエティーで生き残る」というような本気度は感じられなかった。その大きな要因として考えられるのが、ジャニー喜多川に“ショーアップ”という理念があったことだ。
2015年元日に放送された『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』(NHKラジオ第1)の中で喜多川は、「僕はアメリカから見ているから。アメリカの劇場を貸して芸能人の人に出てもらうという発想からきている」と語っている。彼が求める笑いとは、フレッド・アステアやジーン・ケリーらが演じたような、古きよきアメリカの華やかなミュージカルコメディーだったといえる。
喜多川はカリフォルニア州のロサンジェルス生まれであり、高校・大学という多感な時期も同じロスで過ごしている。つまり、ルーツはアメリカのショービジネスであり、舞台芸術にあるのだ。(矢野利裕著「ジャニーズと日本」(講談社現代新書)より)
“お茶の間”で受け入れられる漫才やコントと、ショーアップされたミュージカルショーとでは、水と油ほどの違いがある。1962年の創立から1980年代まで、ジャニーズがお笑い路線に乗れなかったのはこのためだろう。
そんなジャニーズの流れを崩したのがSMAPだった。デビューは1988年。スタート当初は、順調な滑り出しとは言い難かった。
1991年に発表した初のシングル曲『Can't Stop!! -LOVING-』のセールスは15万枚に留まり、当時のジャニーズ史上もっとも低い記録となってしまう。ちょうど『ザ・ベストテン』(TBS系)といった歌番組が続々と終了し、アイドルの面々はプロモーションの場を失っていた。タイミングも悪かったのだ。
また、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)から誕生した女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」が象徴するように、ダンスパフォーマンスや歌唱力を必要としない“素人感漂うアイドル”が爆発的に支持された直後というタイミングだった。きらびやかな衣装で歌って踊るアイドル路線を突き進むのであれば、少年隊のようにそれ相応の実力を伴う必要があっただろう。
こうした状況を受けて、SMAPはバラエティー路線へと切り替えた。漫才ブームの起点となった『THE MANZAI』(フジテレビ系)を企画するなど、様々なバラエティー番組を手掛けた故・佐藤義和は「1990年にジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長から『SMAPを平成のクレージーキャッツにしたいので、笑いを教えてほしい』という依頼を受けた」と回想している。(佐藤義和著『バラエティ番組がなくなる日―カリスマプロデューサーのお笑い「革命」論』(主婦の友社)より)
その佐藤がプロデューサーを務める『夢がMORI MORI』(1992年4月~1995年10月終了)を皮切りに、SMAPは新たなファンを獲得していく。そして、『SMAP×SMAP』(ともに前同・1996年4月~2016年12月終了)の放送がスタートすると、彼らの人気は不動のものとなった。
一方で、1990年前後は芸人のアイドル化も進んだ時期だった。
1988年10月にスタートした『夢で逢えたら』(フジテレビ系)のオープニングは、清水ミチコがピアノを演奏し、その周りで出演者が正装をしてコーラスを担うというものだ。この演出について、先述の『バラエティ番組がなくなる日~』の中で佐藤義和は「ダウンタウンの2人の『関西の匂い』を消すには十分だった」と書いている。
つまり、関西芸人のスタイルは、シャレた演出を施さなければ関東(のちに全国区)では受け入れられないと判断される時代だった。1991年に吉本興業の若手芸人で結成された「吉本印天然素材」を考えても、アイドル性を意識しているのは明らかだった。同名の番組が日本テレビで放送され、お笑いにダンスを取り入れたユニットとして主に若い女性から支持された。
世間では、“渋谷系”という言葉が流行(はや)った時代でもある。ドレスコードのあったディスコから、ラフな服装で楽しめるクラブへと主流が移っていった。こうした時流の中で、「自我を感じさせるアイドル」「ショーアップする芸人」が現れても何ら不思議ではない。
それぞれの持ち味が交錯し、実際に『とぶくすり』(前同・のちの『めちゃ×2イケてるッ!』)のメンバーが『夢がMORI MORI』のキックベース企画に出演したり、中居正広が『めちゃイケ』の企画に挑戦したりと、ジャンルを超えてバラエティーを盛り上げる流れが生まれていった。
SMAPの成功は、後輩たちの方向性を決定づけた。TOKIOは『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)や『ガチンコ!』(TBS系)、V6は『学校へ行こう!』(前同)といった番組で人気を博している。関西を売りにしたアイドルKinKi Kidsが支持を集めたのも、SMAP以降でなければ考えにくいだろう。
そして、2000年前後から芸人とアイドルの課題は同化を始める。女性アイドルグループ「モーニング娘。」を生んだ『ASAYAN』(テレビ東京系)のアイドルオーディション企画が象徴するように、どちらも“リアルさ”が求められるようになっていく。
芸人の世界であれば『M-1グランプリ』がこれに当たる。『ガチンコ!』の「ファイトクラブ」「ラーメン道」といったコーナーは出演者たちの激しい言い争いが肝だった。ライバルとしのぎを削って、挫折を味わったり、栄光を勝ち取ったりする。こうしたドラマ性こそが、新たなエンタメとして視聴者に受け入れられた。
多様性が求められるようになった2010年代。その起点は『アメトーーク!』(テレビ朝日系)にあると考えられる。芸人が雑学、特技や資格、マニアックな趣味など、“本業ではない部分”で注目を浴びると、俳優やアイドルの世界でもこのスタイルが取り入れられていった。
資格を取得するアイドル、小説の執筆や音楽活動をする芸人も珍しくなくなった。スマホが普及したことで、インスタグラムやYouTubeを通して発信する場も増えている。当面、この傾向は続くだろう。
一方、ここ最近で本業の実力も改めて見直されている。お笑いなら、独自の世界観を持つシソンヌや空気階段といったコント師にスポットが当たり始めた。ジャニーズなら、世界基準を意識するKing&PrinceやSixTONESといったグループも現れてきている。
メインを深掘りしながら、柔軟にサブもこなしていく。プレーヤーの負担は大きいだろうが、ファンにとってはたまらない時代が到来しているのかもしれない。
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