連載
#92 イーハトーブの空を見上げて
イタコが続けるオシラサマ〝アソバセ〟 口寄せで聞いた妻の呼びかけ

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#92 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者白装束に身を包んだイタコが、神棚に並ぶ15本のロウソクに火をともす。
歌うようにお経を唱え、両手に持った一対のオシラサマを、頭上で大きく振ったり、互いに軽くぶつけたりする。
踊りを舞っているようにも、人形を遊ばせているようにも見える。
かつて北東北の多くの家々で行われていた、オシラサマをまつる「アソバセ」。
人々は毎年、自宅や集会場などにイタコを招き、オシラサマに1枚ずつ布を着せたり、子どもに背負わせたりしてアソバセてきた。
青森県八戸市のイタコ・松田広子さん(52)は、現在もオシラサマのアソバセを続けている数少ない一人だ。
かつては頻繁に行われた信仰行事も、イタコが減り、オシラサマを置く家も少なくなったため、「年に10件ほどになってしまった」と言う。
それでも、「人々がオシラサマに思いを寄せ続けている限り、私もイタコとしてアソバセを続けていくつもりです」。
92歳のイタコ・中村タケさんは「最後の盲目イタコ」と呼ばれる。
3歳ではしかにかかり両目の視力をほぼ失った。
13歳でイタコの修行に入り、約3年後に独立。
光があるところでは色も識別できたが、28歳の時に完全に失明した。
「口寄せやオシラサマのアソバセを通じて、これまで一生懸命、人々の思いを受け止めてきました」
地元の郷土史家・江刺家均さん(75)によると、八戸地方ではかつて、目が不自由な人は、男性ははりやきゅうの仕事に就き、女性はイタコになって口寄せやオシラサマの行事に携わってきた。
「そもそもイタコは弱者救済の社会システムの一環だったのです」
北東北では今も、多くの人がイタコのもとを訪れる。
岩手県宮古市の民宿。
60代の男性は、夕食の食堂で新鮮な海産物が並ぶテーブルの隅に妻の遺影を飾り、グラスにビールを注いだ。
「普段は飲まないんですが、今日だけは……」
数年前に最愛の妻を病気で亡くした。
死後、悲しくて寂しくて何度も自死を考えた。
休みの度に墓参りに行くが、ある日、宮古市の民宿でイタコの口寄せが行われていると聞き、訪れた。
「『パパ、つらい思いをさせてごめんね』。その呼び方が妻とそっくりだったんです。それがうれしくて、うれしくて……」
同民宿がイタコの口寄せを始めたのは、2000年ごろ。
春と秋に計2回、それぞれ4日間実施され、1日25人前後が訪れる。料金は1人3千円。
民宿の経営者(65)は「みなさん、口寄せに来る前と後では明らかに表情が違う。心を穏やかにされて帰っていかれます」
震災で多くの犠牲者が出た北東北では一時、亡くなった家族との口寄せを求める依頼者が急増し、高額な謝礼を要求する悪質なイタコによる被害も報告されているという。
イタコの文化を長年見続けてきた江刺家さんは「彼女たちは高額な謝礼を求めたり、物品を売りつけたりは決してしない。だまされないよう、気をつけてほしい」と呼びかけている。
「イタコは悪霊を取り除いたり、何かを預言したりするものではなく、故人との対話を通じて、心を安らかにする存在なのです」
(2024年4月、2025年1月取材)
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