ネット炎上する「空間除菌」。その一例が医療機関などへの寄贈です。代表的な空間除菌用品であるクレベリンは今年2月にネットで炎上。しかし、経緯を追ってみると、「病院側が要望したのか」という別の論点が見えてきました。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
2021年2月16日、大幸薬品は製造・販売する二酸化塩素を使用した空間除菌用品「クレベリン」シリーズの一部商品約12万個を全国の医療機関に無償で提供すると発表しました。
しかし、ネット上では医師など専門家のアカウントを中心に、これに猛反発の声が上がります。
Twitterで「日本のトレンド」に入るも、ほとんどは批判的な意見でした。主な理由は、そもそも空間除菌はWHOや厚生労働省など公的機関が非推奨の立場を明確にしているものだから。
空間除菌用品は人への有効性や安全性が未確立で、医薬品や医療機器として承認されていないため、新型コロナウイルスへの効果をうたえない商品です。
これを感染拡大の最中に医療機関への「支援」と銘打ち提供しようとしたことがメーカーの宣伝目的とみられ、医療関係者の反発を招きました。
一方、大幸薬品は寄贈の理由について、宣伝目的ではないと否定。「社会貢献活動の一環」と主張します。
「今回の寄贈はあくまで医療機関からのご要望を受け、法的に許容される範囲で、社会貢献活動の一環として取り組ませていただいております」(同社広報担当者)
クレベリンは医療機関側が要望したのであり、その供給態勢が十分でなく要望に応えられなかったが、2020年11月末に新工場が立ち上がり供給可能になったため寄贈した、という主張です。
ただし、「ご批判につきましては承知しており、貴重なご意見として承りたいと考えております」と同社広報担当者。
今回の寄贈について「社会貢献活動の一環としての取り組みであるということを十分お伝えしきれていなかったと考えております」としました。
しかし、医薬品・医療機器ではなく、WHOや厚生労働省など公的機関が非推奨とする空間除菌用品を、医療機関が「要望」したというのはどういうことなのでしょうか。
大幸薬品は2020年5月にも『大幸薬品、大学関連病院へ衛生管理製品「クレベリン」を寄贈~大阪大学医学部附属病院、九州大学病院、順天堂大学関連病院へ~』と題したプレスリリースを発表しています。
同社によれば、これまでの寄贈はすべて医療機関からの「要望」に基づいて行ったとのこと。前述した炎上時には一部で「勝手に送りつけた」かのような批判がありましたが、それは事実ではないとします。
では、上記の大学関連病院も「要望」したのでしょうか。確認のために大阪大学医学部附属病院を取材してみると、同病院の広報担当者からは「要望していない」との回答がありました。
どういうことなのか、再び大幸薬品を取材すると、同社広報担当者は「阪大病院様には当社『クレベリン』の寄贈が可能な旨、お申し出をさせていただき、お引き受け可能とのことでご寄贈させていただきました」と説明しました。
同社としてはこのように「寄贈の申し出をして、引き受け可能だった」というケースも、「要望があった」と見なしているとのこと。
ここで、大阪大学医学部附属病院に寄贈された約1000個のクレベリンはどうなったのでしょうか。
同病院広報担当者によれば「本院内では患者さんの出入りするエリアでは使っていません。希望する職員に配布して個人的に使用していると思われます」ということでした。
さらに、大幸薬品によれば、2020年7月に、今度は大阪大学医学部附属病院側からの「追加のお申し出」があり、2回目の寄贈をしているとのこと。
これについて同病院を再度、取材しました。2回目の寄贈は事実でしたが、逆に大幸薬品側から再度「追加の申し出」があり、それを「受け入れた」というのが同病院の見解。要望の有無については「要望していない」と、両者の認識はすれ違ったままです。
「一方的に送りつけた」わけではないが、「寄贈の申し出をして、引き受け可能だった」。「追加の申し出」についての見解は食い違うものの、実際に2回目の寄贈は行われた――。
そんな大幸薬品と大阪大学の関係はどのようなものなのでしょうか。
大阪大学大学院医学系研究科は2020年5月31日まで大幸薬品と共同研究講座を開講していました。この講座は「大幸薬品が開発した低濃度二酸化塩素ガスによる空間除菌システム」を中心とした研究をするものでした。
このように、大幸薬品と大阪大学は「空間除菌」について以前から関係がありました。
大幸薬品は寄贈にあたって、大阪大学医学部附属病院から病院長名義の「お礼状」が渡ったことを明かしており、同病院もこれを認めています。ただし、同病院は「共同研究講座や研究とお礼状は関係ございません」と否定しています。
クレベリンの寄贈は「一方的に送りつけた」わけではないからこそ、企業とアカデミアの微妙な「距離感」について考えるきっかけになったと言えそうです。