MENU CLOSE

話題

「ホームレス」排除が招く〝間接的殺人〟やさしくなくなった宮下公園

「消費欲」で選別される私たちの命

高級ファッションブランドなどの店舗が入り、一体型の公園でスポーツも楽しめる、東京・渋谷の「MIYASHITA-PARK」。その成立経緯を振り返ることで、公共空間の意義について考えてみました。
高級ファッションブランドなどの店舗が入り、一体型の公園でスポーツも楽しめる、東京・渋谷の「MIYASHITA-PARK」。その成立経緯を振り返ることで、公共空間の意義について考えてみました。 出典: PIXTA

目次

7月28日でオープンから一周年となる、東京・渋谷の複合商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」。おしゃれな建築物が並ぶ土地は元々、渋谷区立宮下公園として、地域住民らに親しまれていました。再開発にあたり、域内で暮らす「ホームレス」の人々が一斉に追放された、負の歴史の現場でもあります。「公園は避難所。そこが使えなくなる状況は、誰にとっても逃げ場がない、今の社会そのものだ」。現地で困窮者支援に携わってきた社会学者に、公共空間が失われる危うさについて聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)

プレモルと絶品プリン。withnewsチームが見つけた共通点とは(PR)

公園が資本化されてきた歴史

宮下公園は1953年の開園以来、憩いの場として、区内外の人々が利用してきました。様々な事情で住まいを追われ、路上生活を余儀なくされた人々が集い、居を構えた時期も。立ち退きをめぐり、当事者・支援者と行政との間で、議論が続いてきた経緯があります。

2009年、スポーツ用品メーカー・ナイキジャパンに、渋谷区が公園の命名権を売却します。区は「公園の環境改善」「違法な状態の是正」を目的として、翌年に「行政代執行」を実施。敷地内のテントや小屋を撤去しました。

園内で暮らしていた人々や支援者は11年、「生活者らの弁明を聞いておらず、居住の自由が侵害された」などとして区を提訴。15年には、強制退去を違法とする東京高裁判決が確定しました。

一方、区は公園の再整備計画を立案し、ナイキとの命名権協定を中途解約します。そして三井不動産に土地を貸与した上で、公園と一体型の商業施設を建設しました。これが昨年7月28日に開業した、ミヤシタパークです。

ミヤシタパーク内の芝生広場。多くの人々が、体を動かしたり、休んだりしている
ミヤシタパーク内の芝生広場。多くの人々が、体を動かしたり、休んだりしている 出典: PIXTA

区は現在、路上で生活する人々への救済策として、「ハウジングファースト事業」を行っています。当事者に対し、借り上げアパートの一室を提供するなどし、経済的な自立を支えるとの趣旨です。

公園を資本化することについて、私たちはどう捉えればいいのか。宮下公園で長年、炊き出しなどの路上生活者支援に取り組んできた、東洋大の木村正人教授(社会学)を取材しました。


木村正人:1976年北海道生まれ。上智大文学部卒、早稲田大大学院文学研究科博士後期課程満期退学。早稲田大文化構想学部助教、高千穂大人間科学部教授などを経て、2021年より東洋大社会学部社会学科教授。1996年から路上生活者の当事者運動・支援に携わる】
 

社会的に弱い人にも優しい空間

――木村さんは90年代半ばに、宮下公園での支援活動に参加されています。現地ではどんな活動をしていたのでしょうか

当時の渋谷区の路上生活者は、建物の軒先などに段ボールを敷き、ひっそり暮らす人がほとんどでした。隣接する新宿区で、大きな集住地域が形成されていたのとは対照的に、当事者同士で言葉を交わさず、人となりも知らないという状態でした。

公園も同じで、最初はお茶やパックに詰めた弁当を、一人ひとりの寝場所に配って歩いたんです。ただ、それだと当事者の間に、横の結びつきができない。そのため、途中から炊き出しを始めました。

何十人分ものご飯を鍋で炊くのですが、当時学生だった私たちに、そんな経験はありません。四苦八苦していると、元調理師の当事者が手伝ってくれた。毛布や布団を保管するテント作りも、大工やとび職経験者の当事者たちの力を借りました。
――助けるはずが、助けられている。そんな環境で、信頼関係を築いていったんですね

はい。ともに食べ、作業するうちに、悩みを打ち明け合う雰囲気も出てきます。当時は、若者たちが公園居住者を襲撃する事件が頻発していました。交替で寝泊りをし、集団で野営する場所を確保してから、当事者自身による取り組みが生まれていったんです。

公園内にポストやシャワーを置き、当事者だけで炊き出しを運営したり、日雇い仕事を回したりしていた時期もありました。

テント小屋の共同体には、心身に障害を抱える人や、稼ぎがない人もいました。周囲にシケモク(たばこの吸い殻)をせびったり、社会の中で弱い立場に置かれたりしがちな面々も、共同体の中に自然に受け入れられていました。

みんなそれぞれに、困ったり苦しかったりする経験を経ているから、人の弱い部分に対して優しい。もちろん、四六時中生活をともにしているわけだから、トラブルもたくさんありました。

しかし、大の大人が本気で意見をぶつけ合う、人間的なふれあいができることが、単純に楽しかったですね。
 
再開発前の宮下公園。緑豊かで、都心にありながら、のんびりした時間が流れていた(2008年撮影)
再開発前の宮下公園。緑豊かで、都心にありながら、のんびりした時間が流れていた(2008年撮影) 出典: 朝日新聞

「自立支援」に隠れた行政の本音

――そうした状況が変わっていったのは、いつのことだったのでしょう

2003年頃でしょうか。その前年、「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)」が施行されました。それまで法的に定義さえされていなかった、路上の困窮者の存在を可視化するため、当初私たち支援者も法の制定を求めていました。

しかし、この法律の中には、当事者の意に沿わない強制的な措置を正当化する「公園の適正化」条項が含まれています。「自立支援」の名目のもと、実質的に、路上生活者を排除する趣旨ではないか。そう警戒しました。
都市公園その他の公共の用に供する施設を管理する者は、当該施設をホームレスが起居の場所とすることによりその適正な利用が妨げられているときは、ホームレスの自立の支援等に関する施策との連携を図りつつ、法令の規定に基づき、当該施設の適正な利用を確保するために必要な措置をとるものとする。
「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」第十一条

この頃から、都内の大規模公園で、行政側の「ホームレス」への接触が増えていきます。

例えば都が23区と行った、「ホームレス地域生活移行支援事業」(通称「3千円アパート事業」)。当事者に、家賃3千円のアパートを2年間提供し、テントをたたませるものです。

実施後、より困窮状態にある移動層(小屋を持たない人)は放置されつつ、公園などの目立つテントは激減しました。

似た取り組みは、今も行われています。渋谷区が進めるハウジングファースト事業もそうです。職より住を優先する理念には賛成しますが、実際には、五輪の関連施設付近など、行政が重要視している場所に住む人しか、支援員は訪問しません。

逆に、事業の利用を望む当事者と窓口に行き、「アパートを使わせて欲しい」と申請すると、断られてしまう。「人目に付きやすい、ブルーシートのテントをなくしたい」というのが、行政の本音なのではないでしょうか。

行政側の意図はどうあれ、居宅保護を実現する取り組みのはずなのに、排除の手段のように使われてしまっているのです。

宮下公園の脇に並ぶ、路上生活者たちがつくった小屋。かつては、このような光景が、公園内外に広がっていた(2015年撮影)
宮下公園の脇に並ぶ、路上生活者たちがつくった小屋。かつては、このような光景が、公園内外に広がっていた(2015年撮影) 出典: 朝日新聞

公園内にカフェをつくる理由

――宮下公園の事例では、行政が民間企業と共に、再開発を推進しました。こうした構図が生まれる背景には、どんな事情があるのでしょうか

宮下公園に限らず、民間資本を取り入れた公共地の再整備は、近年、都内各地で行われています。「公募設置管理制度(Park-PFI)」という枠組みで、公園内にカフェなどをつくり、収益を関連施設の整備に充てる方法が主流です。

これにより「税金を使わずともうまくやれるんですよ」と、住民にアピールしている。ミヤシタパークのように、公共地が「デパート化」すれば、便益を受ける人が見えやすくもなる。「『ホームレス』がいる環境より出入りしやすい」という層を取り込めます。
ミヤシタパークには、「渋谷横丁」と呼ばれる飲み屋街が設置されている。
ミヤシタパークには、「渋谷横丁」と呼ばれる飲み屋街が設置されている。 出典: PIXTA

都市公園が持つ本来の役割

――つまり「公共」のとらえ方が、ずれてしまっている?

そうです。行政は基本的に、選挙権がある住民を重視します。公園「浄化」は、貧困問題の解決にはならないけれども、住民には受ける。

一方で都市公園には、多くの人が集まります。遊びに来ていたり、仕事をしていたり、移動中だったり。特に災害が起きたときは、そうした多様な人々を、地域の利害を超えて受け入れねばなりません。

2年前の台風19号襲来時、台東区が設置した避難所を路上生活者の男性が訪問し、「住所がない」として受け入れを断られました。これは公園や避難所を、地域の人のためだけのものととらえ、その機能の本質を見誤ってしまったケースだと思います。
東京都台東区の浅草寺では、台風19号に備え、大提灯(中央)がたたまれた(2019年10月12日撮影)
東京都台東区の浅草寺では、台風19号に備え、大提灯(中央)がたたまれた(2019年10月12日撮影) 出典: 朝日新聞

「マーケット」が歪める公共性の意味

――本来の公共性の意味が歪(ゆが)められてしまうのは、なぜなのでしょう

「マーケットの公共性」を優先するからだと思います。

公園内の商業施設はにぎわっているので、一見色々な人が集まっているように感じられますよね。でも実際には、「お金を支払う能力がある」という条件を満たす層を、施設の開場時間中に受け入れているだけです。

ミヤシタパークの件にも、行政が訪問者を選んでいるだけでなく、市場による選別という側面があると言えます。「消費できるかどうか」を基準に、あらかじめ人間をより分ける。それにより、ジェントリフィケーション(都市の高級化)が促されるのです。

他方で、本来の公園の特徴に「公開性」(非排除性)があります。例えば炊き出しをすると、困窮者はもちろん、地域に住む親子などもやって来ます。住所や職業に関係なく、全ての人々に開かれている。

その状況自体が、包摂的な社会のあり方を示しているのでしょう。
路上で暮らす人たちのため、宮下公園脇で行われた炊き出しの様子(2015年撮影)
路上で暮らす人たちのため、宮下公園脇で行われた炊き出しの様子(2015年撮影) 出典: 朝日新聞

「助けて」と言わせない、間接的殺人

――ホームレスの人々が滞在できないようにする構造物は、一般に「排除アート」と呼ばれます。ミヤシタパークも、それに類する施設と言えそうです。
 当事者たちを「生活圏から見えなくしたい」という私たちの欲求も、これらを成立させる一因になっている気がします


それはあると思います。私たちが住むのは、分業と外部化が進んだ社会です。様々な物事が分割され、見たくない物・嫌な物は、共同体の外に押しつけられる状況が生まれています。

一人の人間が、生まれてから死ぬまで同じ共同体にいる場合、人生をトータルで考えなければなりません。赤ん坊のオムツ交換から、高齢者の介護まで、構成員全員で対応しないといけない。そんな面倒事を、今は別の人や国に任せてしまえるんです。

市場と同じく、リスクが高いものを生活圏から排除すれば、確かに効率が良い暮らしを送れるでしょう。でも「雑多な人がいる」という、生の多様性はぶつ切りにされかねません。便利かもしれませんが、人間的ではないですよね。
宮下公園で行われた「行政代執行」の様子。公園内に残された生活用品などを、作業員らが撤去している(2010年9月24日撮影)
宮下公園で行われた「行政代執行」の様子。公園内に残された生活用品などを、作業員らが撤去している(2010年9月24日撮影) 出典: 朝日新聞

「どこかに消えてくれ」と言い続ける社会

――公園がなくなると、そうした現実に気付く機会も失われてしまいそうです

そうですね。宮下公園は、そうした外部化した社会の中で、居場所を失った人々が互いに助け合い、命を守る場所でした。

公園での生活は、憲法で保障された「文化的な最低限度」のものとは言えない。でもセーフティーネットが機能していないから、仕方なく住む。そこからも排除されたら、行き場がなくなってしまいます。

ホームレス状態にある当事者には、高齢だったり、障害があったりする人々もいます。生活保護を受けても、賃貸アパートの審査には通りにくく、しかし公営住宅の数も足りていないのです。

入居できるのは、生活費のほとんどを、市場価格より高い食費や管理費名目で取り立てる「貧困ビジネス」のような施設が多い。生活保護の申請にも、ちゅうちょする当事者が少なくありません。

昨年11月、渋谷区内で路上生活をしていた女性が、頭を殴られて亡くなる事件が起きました。私も現場のバス停に足を運びましたが、突起が付けられ、寝転べもしない幅のベンチがあるだけでした。

被疑者の男は、女性に対し、「お金をあげるのでバス停からどいてほしい」と頼んだものの受け入れられず、殴打したと報じられています。被害者は、彼女だけではなく、加害者もその男だけではないと思っています。

困ったとき、公園という避難所が使えない状況は、逃げ場がない今の社会そのものです。「助けて」とも言わせず、ただ「どこかに消えてくれ」と、視界の外に追いやる。それは、間接的な殺人と同じでしょう。
女性が倒れていたバス停。ベンチに座っていたところを殴られたという(2020年11月21日撮影)
女性が倒れていたバス停。ベンチに座っていたところを殴られたという(2020年11月21日撮影) 出典: 朝日新聞

炊き出しに通い続ける当事者の言葉

――より包摂的な社会をつくるため、私たちは何を意識すれば良いでしょうか

当事者と関わり続け、私たちの社会が、視界から追いやっているものを直視すること。困窮している人々が、自分と同じ人間だという当たり前の事実を感じられれば、捉え方は変わると思います。

以前ともに活動していた、社会活動家の湯浅誠さんに「ホームレス状態になりやすいのは、木村君みたいな人だ」と言われたことがあります。困ったとき、助けを求めるのが下手で、自分で解決しようとしていたからです。

確かに「助けて」と言えないまま、人間関係を失い、路上に出たという当事者は少なくないかもしれません。

公園を追い出され、アパートに入居後、なお炊き出しに通う当事者たちもいます。彼らの一人に理由を聞くと「一人暮らしは寂しい、タバコやコーヒーを譲り合う仲間がいないから……」と言う。食べ物ではなく、人間関係を求めて人が集まってくるんです。

困窮者支援は、人間関係をつなぐものでもあります。社会が失ったつながりを、いかに取り戻すか。公園をめぐる問題の先にある、大切なテーマです。

そしてそれは、ただ困窮者にとっての問題であるだけではなく、私たちの社会の問題なのです。
CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます