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お笑い世代論から見えた「第七世代」の特異さ 先輩批判も笑いに転化

YouTube時代、テレビはもういらない?

霜降り明星のせいやさん(左)と粗品さん=2018年2月25日、大阪市中央区
霜降り明星のせいやさん(左)と粗品さん=2018年2月25日、大阪市中央区
出典: 朝日新聞

目次

「第七世代」の登場で注目されるようになったのがお笑い芸人の世代論です。第二世代と重なる「団塊世代」、第三世代は「新人類世代」。時代とともに芸を磨いてきた芸人たちは、YouTubeが当たり前になった今、どこへ向かっているのでしょうか? 第七世代が壊そうとしているもの、それでもなくならないテレビの存在意義について、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)を書いたお笑い評論家のラリー遠田さんと、『志村けん論』(朝日新聞出版)を書いたライターの鈴木旭さんが語り合いました。

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曖昧だった芸人の世代論

対談したのは、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)を書いたお笑い評論家のラリー遠田さんと、『志村けん論』(朝日新聞出版)を書いたライターの鈴木旭さんです。

鈴木:『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』を書くに至った経緯を教えていただけますか?

ラリー:知り合いの紹介で光文社新書の編集の方とお会いする機会があって、そこで「本を書きませんか」と声をかけていただいたんです。そのときにいくつか提案された企画案の中に「お笑い世代論」というのがあって。書くとしたらこれが一番面白そうだし読まれそうですよね、という話になりました。

当時、第七世代がブームになっていて、芸人の世代論がテレビでも雑誌でもやたらと取り上げられていたんですけど、その定義が曖昧なのが気になっていたんですよね。芸人の世代分けをするときには「生まれ年」「デビュー年」「売れた年」っていう三つの基準が考えられるんですけど、だいたいはこの三つがごちゃまぜになっている。それがなんか気持ち悪かったので、自分なりに定義してそれをはっきりさせようと思ったんです。

鈴木:僕にはその勇気がないですね。いくら厳密に定義しても、「第一世代に三波伸介さんが入ってない」とか「ぺこぱって第七世代なの?」とか「いやいや、世代と関係ないだろ」みたいな意見が必ず出てくるじゃないですか。そこを背負う気概みたいなものがあるんだろうなと思うんですけど。

ラリー:いや、気概はないです。別に自分の説が絶対に正しいとも思っていないので。一つの案としてこういう整理の仕方はどうでしょうか、っていうくらいの気持ちでやっています。

自分では芸人の「生まれ年」を基準にして世代分けをしようと考えたんですけど、そうすることで一般的な世代論と組み合わせることができるな、と思ったんですね。

例えば、第二世代は「団塊世代」と重なっているし、第三世代は「新人類世代」と重なっている。そうやって芸人の世代論を一般的な世代論に重ね合わせると、それぞれの特徴が浮き彫りになって上手くいく感じがしたから、このやり方でやってみようと思ったんです。

鈴木:「お笑い」というジャンルでわかりやすい物差しを作ってみたと。

鈴木旭『志村けん論』(朝日新聞出版)
 

『進め!電波少年』のリアリティー

鈴木:『お笑い世代論』を読んでいて面白いと思ったのは、90年代にテレビ制作の技術革新があって、カメラが小型化して手軽にロケができるようになったり、テロップを入れる手段も紙焼きからデジタルに変わったりしたことで、テレビ制作者が番組を制御できる領域が大きくなった、という話です。

ちょうど1998年には庵野秀明監督の映画『ラブ&ポップ』があって、全編にわたって家庭用のビデオカメラで撮った映像が使われていたじゃないですか。ジャンプカットにしろ、テロップにしろ、今のYouTube動画でよくある定番の手法ってけっこうこの作品でやってるんですよ。そういうのとも重なりますよね。 

ラリー:『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)とかもその頃でしたよね。それで言うと、私が『進め!電波少年』を初めて見て衝撃的だったのが、画(え)が汚いことだったんです。テレビなのにきれいな映像を使わないで、ザラザラした粗い映像をそのまま使っていたじゃないですか。鮮明に映ってはいないんだけど、何かがそこで起こっている、というリアリティーがありました。

私は2002年から2005年までテレビの制作会社で働いていたんですけど、その時期がちょうどアナログからデジタルへの過渡期だったんですよね。入社した頃はまだテープ編集が主流だったんですけど、それがだんだんデジタル化されて、パソコンの編集ソフトを使うノンリニア編集に変わっていくんです。

鈴木:テープを切って貼ってという作業をする方が、なんか職人的な感じはありますね。

ラリー:そうなんですけど、デジタルの時代になるとより細かく編集ができるようになるから、そこでこだわりたい人はどこまでもこだわれるようになるんです。

現場ではとにかくカメラをずっと回し続けて、素材を撮れるだけ撮って、あとから編集で何とかすればいい、という感覚になる。今のテレビ制作者は、昔に比べると「現場よりも編集で面白くする」というタイプの人が多いのではないかと思います。

鈴木:ディレクターがテロップとかもすべて考えているんですよね。

ラリー:そう、私も自分がテレビの仕事をするようになって初めて知ったんですけど、ディレクターって本当に何でもやるんだな、って。もっと分業しているのかと思っていたんですよ。でも意外と分業していなくて、このテロップをこの書体でこの色でこの大きさでこのタイミングで入れる、みたいなところまで全部やるんですよね。作業するスタッフはいるけど、指示を出すのは全部ディレクターなんです。

ラリー遠田『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)
 

第四世代から変わったテレビの作り方

ラリー:萩本欽一さん、いかりや長介さんの第一世代や、ビートたけしさん、明石家さんまさんの第二世代の時代にはまだ出る側も強かったんですよね。萩本さんやたけしさんが自分で仕切って番組を作っているような感覚があったんですよ。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』だったら、ディレクターのテリー伊藤さんと出演するたけしさんの勝負みたいなところがあった。たけしさんが「面白くない」と言ったらVTRが全部ボツになる、とか。

そういうせめぎ合いがあった時代を経て、第四・第五世代(ロンドンブーツ1号2号、バナナマン、有吉弘行、タカアンドトシ)ぐらいからだんだん作り手の方が強くなり始めるんですよね。そこでテレビの作り方も変わるし、テレビのお笑いのあり方も変わっていったんでしょうね。

鈴木:そこから(元テレビ東京プロデューサーの)佐久間宣行さんがラジオをやっちゃったりする、ということも出てくるようになったと。テレビはドキュメンタリー性が求められるから、刺激を求めると「面白いものは裏にある」というふうになっていって、裏方の人が表に出たりするようになるんでしょうね。

ラリー:そこがテレビの面白いところでもありますよね。面白そうなことがあったら、節操なく何でも取り込んでものにしてしまうっていう。第七世代が急に脚光を浴びたのもそういうことですよね。

新しい世代を意図的にアピール

ラリー:鈴木さんは第七世代の芸人のことはどう思います?

鈴木:僕は割と早い段階で追いかけてはいたんですよね。かが屋とかカミナリとかを取材したりしていて。僕は今の若手ってネタの精度も高いし多様性もあって面白いと思うんです。だから、結構ウェルカムというか、どんどんやってくれ、という感じですけどね。ラリーさんはどうですか?

ラリー:そうですね、若いからダメだということは全くないですよね。世代ということで言うと、みんなたまたまその芸歴、その年齢だから第七世代とくくられているだけだと思うんですけど、一部の人は自分たちが新しい世代であるということを意図的にアピールしているような気もしますね。

鈴木:芸人自身が、ですか?

ラリー:少なくとも、霜降り明星、EXIT、フワちゃんとかはそれをやっていると思うんですよ。「もうオジさんたちの感性は古いですよ」「若者はこう思っていますよ」というニュアンスのことを彼らは言うじゃないですか。もちろんそんなストレートな言い方はしないけど、もっと角が立たないスマートな言い方で、そういう趣旨のことを言ったりする。

霜降り明星のせいやさんは「第七世代」という言葉を最初に言い出した人なんですけど、ここまで広まるとは思わなかったと語っているんですね。でも、最初に第七世代という言葉を使ったときには、明らかに「同世代で一丸となってやっていこう」という趣旨のことを言っているんです。

だから、彼らは自分たちの世代にしか伝わらないようなポケモンのたとえ話をしたりするし、EXITの兼近(大樹)さんも「上の世代の芸人が昔の芸能人やプロレスの話でたとえたりしていると意味がわからない」と言っていたりした。そういう感じは面白いなと思います。

鈴木旭さん(左)とラリー遠田さん
鈴木旭さん(左)とラリー遠田さん

もう、テレビを主戦場にしなくていい?

鈴木:本当にしたたかですよね。せいやさんは、自分たちの世代と上の世代との距離を上手くつかんでいて感心しますよ。レトロ趣味があって昭和のアイドルやお笑いにも精通してますしね。彼じゃなければ「第七世代」というキャッチーな言葉は思いつかなかっただろうなと思います。

ラリー:それで言うと、霜降り明星は名実ともに第七世代のリーダーという風格がありますよね。『M-1』『R-1』を両方取ったという実績もあるし、テレビもめちゃくちゃ出ていて、ラジオもYouTubeも精力的にやっている。

あと、何よりも、彼らは本気で上の世代を刺そうとしていると思うんですよ。別に敵視しているということではなくて、そこに立ち向かっていく気概がある。粗品さんは「第七世代は人気あってええなあ」と彼らをフリに使う先輩芸人を批判していたり、とがっている部分をどんどん隠さなくなってきたりしているんですよね。

ただ生意気なのではなくて、実績があった上でそういうことを言っているから説得力がある。霜降り明星は2人とも面白いのはもちろん、圧倒的な意識の高さがありますよね。

鈴木:意識は高いでしょうね。霜降り明星の世代は高校生の頃から『ハイスクールマンザイ』に出たりしてるじゃないですか。10代の頃からそういう大会に出ていて、お笑いを純粋な競技として見ているようなところがあると思うんですよね。だからこそ、上の世代の影響を受けすぎず、のびのびやっているように見えます。

ラリー:たしかに、先輩芸人に直接影響を受けている世代と、少し間が空いている世代の違いは大きいですよね。

鈴木:若手時代のナインティナインがダウンタウンと共演するときとか、ものすごく萎縮していたじゃないですか(笑)。ああいうのって視聴者としてはヒヤヒヤして面白かったけど、そのせいでナイナイが過小評価されてしまうのはかわいそうなところもありました。

ラリー:今はYouTubeもあるから、これから出てくる芸人はテレビを主戦場にする必要がなくなる可能性もありますよね。

鈴木:どうなんでしょうね。テレビはネットに比べて早さでは劣る部分もあるけど、やっぱり最大出力は持っていると思うんです。ネットよりも多くの人が見ているだろうし、年配の方も見るじゃないですか。そういう意味ではずっと残り続けるとは思うんですよね。

ラリー:私自身は、テレビ全般がそこまで好きなわけでもないけど、お笑い番組だけは好きなんですよね。お笑いに関しては、テレビが今までやってきた歴史があって、人材や技術の蓄積とかもあるから、すごくレベルが高いと思っているんですよ。お笑いに関してはテレビは今も時代の最先端だと思うし、だからこそ追いかけているという部分はあります。そういう意味ではテレビの笑いには今後も期待できるんじゃないでしょうか。

(構成・ラリー遠田)

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