連載
#3 コウエツさんのことばなし
出番が減る「ご苦労様」 上司も部下も〝同じあいさつ〟に
ビジネスお作法の変化、きっかけは70年代のマナー本
新聞紙面やデジタル記事の点検を担当している校閲記者、通称「コウエツさん」。編集部門の「最終関門」に陣取って日々、より良いコンテンツを世に送り出そうと、誤字脱字やデータの間違いに目を光らせています。ことばに敏感なコウエツさんには、人々の何げない言い回しから、流行語、SNSでのコミュニケーションまで「気になって仕方ないことば」がたくさんあります。そんなちょっとした疑問に答え、なるほど!と思える「ことばのはなし」をお届けします。今回は毎年、新人を悩ます「ご苦労様」と「お疲れ様」問題です。(加藤順子、加勢健一)
この春に就職、あるいは転職されたかたもいらっしゃることでしょう。職場の雰囲気にはもう慣れましたか。新型コロナウイルスの影響で、在宅勤務が続く人も多いはず。パソコンの画面越しのコミュニケーションには、不便さやぎこちなさを感じる場面もあるかもしれません。
さて、一日の始業と終業時にはあいさつが欠かせません。「おはようございます」「よろしくお願いします」「お世話になりました」などなど様々な表現がありますが、なかでも「お疲れ様です」と「ご苦労様です」という言いかたについて「上司に対してどっちを使えばいいの?」「何となく使いにくいんですが」といった質問や意見が、私たちのもとにはたびたび寄せられます。実際のところ、どうなのでしょうか。
疑問に迫ろうと、朝日新聞校閲センターのツイッターアカウントで6月1~2日の2日間、「目上の人や上司をねぎらう際、皆さんはどちらを使っていますか?」とネットユーザーの方々にアンケートしてみました。その結果、952件の反応が寄せられ、「お疲れ様です」を使うという人が実に88.2%を占めて圧倒的多数に。一方で「ご苦労様です」を使うと答えたのはわずか2.7%、「他の言い方をしている」が3.9%でした(このほか「結果だけ見たい」が5.1%)。
《ことばアンケート》
— 朝日新聞 校閲センター (@asahi_kotoba) June 1, 2021
目上の人や上司をねぎらう際、皆さんはどちらを使っていますか?
ご意見やエピソード、他の言い方の例なども、コメントや引用リツイートでお寄せください。
アンケート結果やコメントは、校閲センター発の記事で使わせていただく場合があります。#校閲 #ことば #日本語
この結果をもとに、あいさつ言葉の変遷などを研究している社会言語学者の倉持益子さん(中央学院大学非常勤講師)に詳しい話を聞いてみました。
倉持さんによると、古く江戸時代にまでさかのぼれば、人々は立場の上下に関係なく、たがいに「ご苦労」という言葉をかけ合っていたのだとか。なるほど、いかにも時代がかった響きですね。
倉持さんは、昭和初期から2010年までのマナー本など200冊を材料に、使われ方の移り変わりを調べてきました。研究によると、1970年代のマナー本には「ご苦労様は部下へのねぎらい」という記述が現れ、80年代に増加。その後、90年代には「上司にはご苦労様よりも、お疲れ様がふさわしい」となり、00年代には完全に「ご苦労様は目上には失礼だ」と変わってきた、といいます。
実際、人々の意識にも変化が見てとれます。文化庁が定期的におこなっている「国語に関する世論調査」によると、上司に「お疲れ様(でした)」と言うと答えた人は、2005年の69.2%から15年には76.0%に増えたのに対して、「ご苦労様(でした)」と言うと答えた人は、05年の15.1%から15年には8.8%にまで減りました。「お疲れ様」が席巻し、「ご苦労様」はどんどん肩身が狭くなってきている、と言えそうですね。
もともと「ご苦労様」も「お疲れ様」も、相手の働きぶりをねぎらう似通った意味合いをもつはず。ただ、現代ではとりわけ「ご苦労様」は「上から目線」の態度だと捉えられやすいためか、上司に対して「ご苦労様(でした)」と声をかけるのは、ちょっとためらわれるようです。
ちなみに上の世論調査では、上司が目下の人に向かって「ご苦労様(でした)」と言うと答えた割合も、減少傾向にあります。つまり、上の世代でも「お疲れ様」が広まり、「ご苦労様」と声をかける機会は減ってきているのです。
倉持さんは「上の世代は若者世代の『流行』に乗って、はやり言葉をあえて使う傾向がある。それと同じで、若者が『お疲れ様』をよく使うのが上の世代にも影響して、『お疲れ様』が『ご苦労様』を圧倒してしまったのかも」と考えています。
「正しい」とされる言葉づかいやニュアンスは、時代によって変わっていきます。少し話は変わりますが、たとえば「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが<いました>」で始まる昔話の冒頭は、戦前の小学読本などでは「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんとが<ありました>」となっていました。人物を指して、「いる」ではなく「ある」と表現する古来の用法が、まだ生きていたのです。
また、誰かをはげます場面で、昔は「<せいぜい>頑張ってください」と言えば「<できるだけ、精いっぱい>頑張ってください」というごく前向きな意味合いでしたが、現代では反対に「<それほど期待していないけれど>頑張って」というような、否定的なニュアンスを感じる人が多いのではないでしょうか。
また、時代が同じであっても、場面や人によっては言葉の使いかたに違いが出てくる場合も。たとえばドラマ撮影や製造業の現場では、仕事が始まるのが夕方や夜でも「おはようございます」と声をかけ合うことがあります。今回のツイッターアンケートに寄せられたコメントにも「某家電量販店でアルバイトした時だけは、目上目下問わず『ご苦労様です』って言うローカルルールがありました」というものがあり、目を引きました。
新入社員の中には「上司がどう感じるのか、不安であいさつするのが怖い」とこぼす人がいるとも聞きます。
70年代にマナー本が増えた理由について倉持さんは、「社会の中心が戦争を知らない世代になり、親世代の価値観が通用せずにふるまいに不安を持った人が、よりどころとしてマナー本を求めた結果では」と振り返ります。ましてや現代では、社会情勢がめまぐるしく変化するなかで、インターネット上には様々な情報や価値観があふれ、「いったい何が正しいの?」と自信が持てなくなるのも無理はありません。
特効薬はありませんが、ひとまず新人のかたは、自分の置かれた職場環境や企業カラーのなかで、上司や同僚と会話を重ね、周囲のやりとりにも耳をそばだてながら、ちょうどいい言葉の距離感を探っていってはいかがでしょうか。そして上司のかたは、新人の言葉づかいのよしあしを、理由も含めて親身に指摘してあげてほしいと思います。おたがいがちょっとした気持ちの段差を飛び越えて歩み寄ろうとする――そんな姿勢こそが、より良いコミュニケーションを築くきっかけになるはずです。
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