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コラム

「染めさせませんよね?」先生に迫った母、アルビノの私が抱いた思い

「特例」で外見を認められ傷ついた思春期

思春期に、学校の担任教師・母親との三者面談に臨んだ、遺伝子疾患アルビノの雁屋優さん。その場でのやり取りが、今も忘れられないといいます(画像はイメージ)
思春期に、学校の担任教師・母親との三者面談に臨んだ、遺伝子疾患アルビノの雁屋優さん。その場でのやり取りが、今も忘れられないといいます(画像はイメージ) 出典: PIXTA

目次

生まれつき肌や髪の色が薄い、遺伝子疾患アルビノのライター・雁屋優さん(25)には、忘れられない思春期の記憶があります。「ふつう」ではない見た目が、学校で「特別扱い」されたこと。自分は「髪を染めろ」と言われないのに、元々髪色が薄い他の生徒は、黒髪にするよう指導される……。そんな状況に違和感を覚えたそうです。13日はアルビノへの暴力、差別、偏見をなくすために、国連が定めた「国際アルビニズム啓発デー」。誰もが生まれ持った容姿を認められる社会をつくる方法について、雁屋さんのエッセーから考えます。

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「どうして白いの?」と聞かれない安心感

中学生になる前の春休み。私はカナダにいた。2週間ほどの交換留学に参加したためだ。当時の自分の英語力は英検4級とか、3級とか、その程度。早口で話されたらわからないし、語彙(ごい)も少なかった。

それでも行くことを決意したのは、両親の勧めもあったが、私の「見た目」が特別でない世界を見てみたいと思ったからだ。

私の見た目は、日本においては「異質」とされることが多い。ミルクティーブラウンの髪、グリーン系の瞳、黄色みがないと評され血管が見えるほど白い肌。生まれつきメラニン色素がない、または少ない遺伝子疾患アルビノによるものだ。

交換留学のプログラムは、前半はホストファミリーと過ごし、後半は他の留学参加者とグループで観光するというものだった。前半のホストファミリーとの時間の中で、私は現地の学校に行って授業を受けた。

そこにいたのは、多様な見た目の子ども達だった。ブロンド、黒髪、赤毛……。目の色まではよく見えなかったが、きっとそれぞれに素敵な瞳をしていただろう。そこでは、アルビノの私は特に珍しくもなかった。

ホストファミリーとの時間において、私はAlbinism(Albinism=アルビニズム・海外では一般的なアルビノの呼び方)について、ほとんど話さなかった。どの人の見た目も全く違うのだから、わざわざ説明する必要がなかったのである。

それは現地の学校でも同じで、名乗った後にAlbinismの話をする必要はなかった。「どうして白いの?」なんて質問も、飛んでこない。

「見た目」が異なっていることは当たり前との価値観が、カナダでは共有されていたのだと思う。非常に居心地がよく、日本への帰国が残念なほどだった。

「『染めろ』なんて言いませんよね?」

翻って、私が通った公立中学校では、異なる景色が広がっていた。今でも覚えているのが、入学前に学年主任の先生、私と母で臨んだ三者面談だ。

主な話題は、アルビノに伴うことの多い弱視や、日焼けへの抵抗力の低さへの支援についてだった。しかし「見た目」についての話も、やはり避けられなかった。

その学校の校則には、「髪を染めてはいけない」と書かれていた。

母は、アルビノである私が、この決まりに苦しめられるのではないかと心配していた。過去に生まれつき薄い髪色の生徒が、「染めているんだろう。黒く染め直してきなさい」と指導されたことを知っていたからだ。

だからこそ、母は、学年主任の先生に、こう念を押したのだ。

「『染めろ』なんて言いませんよね?」

母は冗談めかして言ったが、そこに冗談なんてまったく含まれていなかったように思う。学年主任の先生は、しっかり「そんなことは言いません」と明言した。その言葉通り、中学生活において、髪の色を理由に生徒指導を受けることはなかった。

一方で、元々髪色の薄い生徒が、「染めているのではないか」と先生から問われている場面を何度も目にした。それは、入学前に母が聞いていた通りの状況だった。つまり、私だけが「特例」扱いを受け、守られていたことになる。

どの生徒も、生まれたままの姿を認めてもらえないのでは、根本的な解決策にならない。この体験から覚えた違和感は、強い問題意識を、私の中に芽生えさせた。

「アルビノ狩り」に恐怖した思春期

思春期の私は、自分の見た目と必死で向き合っていた。その中で、世界のアルビノ当事者たちが置かれた苦境について、知る機会も増えていった。

高校生の頃、「アルビノ」でインターネット検索すると、アフリカでの「アルビノ狩り」の情報がヒットした。アルビノ狩りとは、呪術に使うため、アルビノの人々の身体の一部、もしくはそのものを奪うことだ。

アフリカの各地域では、アルビノ当事者の身体に、幸せをもたらす力があると信じられている。奪われた肉体は、闇マーケットで高値がつくことも多いという。犠牲者が亡くなるケースもあり、深刻な人権侵害として問題になってきた。

アルビノ狩りを知ったとき、高校生の私は「アフリカには渡航するものか」と思った。そして同時に「日本で生きていてよかった」とほっとしたことも、否定しない。現地の人々と自分の状況を比べ、安心してしまったのだ。

「海外移住したら?」が覆い隠す現実

そんな頃だった。友人と海外への留学や移住について話をしていたときのこと。相手から、こんな言葉をかけられた。

「日本は生きづらいだろうから、海外移住したら? ああ、もちろんアフリカ以外でね」

この言葉に、悪意はなかっただろう。ただ、私の心の中で、モヤモヤとした感情が広がった。

確かに、日本で暮らす上で、見た目によって苦労する場面は多い。留学先のカナダほど、多様な外見が当然視されてはいない。「黒髪であること」を、強く求められるときもある。海外移住して、そうした問題が解消されるなら、悪くない選択だと思っている。

だが、それを他人から勧められるのは、違う。「つらいと思うなら、あなたが出て行きなさい」と言われている気になってしまうからだ。

アルビノ狩りに遭うことはなくても、私のようなアルビノ当事者にとって、今の日本はとても生きづらい。身体的な安全と、心の平穏は、両立されるべきだと思う。だからこそ、現状を変えるために、知恵を絞ることが先決となる。

「海外移住したら?」という発言は、こうした課題をうやむやにしてしまいかねない。アフリカの現実について知ることは、逆説的に、自分たちの社会のあり方を考えることでもある。その点を、忘れてはならないのではないだろうか。

ありのままの見た目を認めてほしい

中高生時代、ありのままの私の見た目を認めてもらえる機会は、少なかった。他の生徒が髪色を注意され、私がそうでなかった状況は、本当の意味で平等ではなかったと思う。

もし本当に平等であったなら、アルビノであってもなくても、どのような見た目であっても、当たり前のものとして尊重されていたはずだ。ちょうど、私がカナダで経験したように。

日本において、私の見た目は「特例」で「許可」され、当たり前に存在していいものではなかった。このことが思春期の私を静かに、しかし確実に傷つけた。何事も基準から外れることをよしとしない、日本社会の生きづらさとも地続きになっていると思う。

「ふつう」ではない容姿を特別視するのではなく、フラットに見ることで、外見にまつわる生きづらさは薄まっていくのではないか。

その先にこそ、アフリカでのアルビノ狩りをはじめとした、「ふつう」ではない人々への迫害や偏見をなくしていける未来があると言えるだろう。

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