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#11 Key Issue
オタクに偏見ないZ世代、「推し」はコミュニケーションツールへ
かつてはオタク界隈で使われることが多かった「推し」という言葉。生涯をかけてお金と時間を費やすイメージが強いですが、Z世代(1996~2012年生まれ)では「推ししか勝たん」など、普段使いの言葉になっています。かつては「変わった人」と思われがちだった〝何かに熱中すること〟が、なぜ、ポジティブに受け止められているようになったのか。そこには、「自分」を表明することで保つアイデンティティーと、そこでつなぎとめようとする「共同性」がありました。
金澤ひかり(かなざわ・ひかり)
もともと「推し」という言葉が使われはじめたのは、 1980年代のアイドルブームだったといわれています。当時、いわゆる「オタク界隈」での「推し」が、現在の一般化した「推し」に変容するきっかけとなったのは、モーニング娘。からAKB48にかけてのアイドル界の変化です。
2000年ごろの「推し」は、モーニング娘。のファンの間では、主に2ちゃんねると呼ばれる匿名ネット掲示板で日常的に使われていました。そして、モーニング娘。のファンだった指原莉乃さんや柏木由紀さん自身がアイドルになったことで、アイドル側にも「推し」を使うカルチャーが生まれました。
さらに、「推し」がより世間的に認知された決定打は、2009年から2018年に行われていたAKB選抜総選挙(以降、AKB総選挙)です。
ニッセイ基礎研究所の研究員・廣瀨涼さんは、AKB総選挙がテレビ中継されたことが「推し」を大衆化させたと分析します。
「『推す』『推される』という意識はAKB総選挙が社会現象化する前からファンとアイドルの間で醸成されていきました。AKB総選挙の4回目からはテレビ中継が入り、視聴率も20%前後を記録するなど、『推し』文化が大衆化するようになってきました」
AKB総選挙は、ファンとアイドルの中で使われる言葉だった「推し」を、アイドルに興味のない層にも広く知らしめることになったのです。
この頃のメディアにとって「誰を推すか?」という命題や、総選挙的なシステムは「重要な関心事になっていた」と廣瀨さんは指摘します。
「システムに興味を持ち、かつ『推し』という言葉を使おうとするメディアは、『推し=好きなもの』として聞く街頭インタビューを行うこともありました」
そのことが、「『推す』と言う行為を浅くした」といいます。
「メディア側が『推し』を(アイドルに限らない)『好きなもの』と再定義したことで、オタクを簡単に名乗れるようになりました。そのことが、『推し』や『オタク』という言葉の陳腐化つながったのです」と廣瀨さんは話します。
それでは、「推し」はZ世代(1996~2012年生まれ)の中でどのように受け入れられていったのでしょうか。
今年34歳の私は、かつて世間が抱いていた「オタク」のイメージは、必ずしも良いものだけではなかったように記憶しています。
それゆえ、オタク界隈が発祥の言葉をZ世代があまり抵抗感なく使っているようにみえる現在を少し不思議に思っていました。
そんな私の疑問に対して廣瀨さんは、「抵抗感はない」と言い切ります。
「オタクという言葉は、1983年ごろから出てきた言葉です。『お宅も?』のような使われ方をするところが語源で、当時は現在ほど大衆向けにはなっていなかった漫画やアニメを大人が消費するのはおかしいという風潮がありました」
「そして、1988年から1989年あたりには、宮崎勤事件(4人の幼女を誘拐・殺害した事件)で犯人の『オタク性』を強調するような報道があるなどし、オタクは社会性がないとか引きこもりだとか印象付けるようなレッテルが成立してしまい、必ずしも良い印象とは言えませんでした」
ところが、1996年から2012年生まれのZ世代は「その頃のレッテルを知らない」と廣瀨さんは指摘します。
2005年ごろにやってきた秋葉原ブームでは、「電車男」(小説は2004年主出版、ドラマ化は翌2005年)やAKB48が話題になり、「その頃はすでに秋葉原が観光地として成立し、オタクは『ユニークな人たち』という捉えられ方に変化していった」。
つまり、メディアが作り出した「オタク像」が、この頃には「メディアによってリブランディングされていった」(廣瀨さん)のです。
その後も、深夜アニメの需要が高まったり、Kis-My-Ft2のメンバー宮田俊哉さんをはじめとした著名人がテレビでオタクを公言するようになり、BL系文化も広がっていくなどしたことで「オタクと一般消費者との境目が薄くなっていく傾向がありました」。
それゆえ、Z世代はオタクに対して偏見を持っていないと廣瀨さんは分析します。「Z世代は、負の部分がそぎ落とされた形でオタクを理解しています」
オタクへの偏見がないというベースを持つZ世代。彼らが使う「推し」はいま、「好きなもの」全般に使われるようになっています。
「推ししか勝たん」という使われ方をすることもあり、「推し」はアイドルやマンガのキャラクターなどだけでなく、彼氏や彼女、親友など身近な存在を指すこともままあります。
それは前述したように、メディア側が広義の「推し」を再定義したことに加え、デジタルネイティブであるZ世代がその言葉を拡散させるツールを持っていたことも関係しています。
そこで使われる言葉の中には「マジ卍」や「おけまる水産」のような、ネタとして乗っかりやすい語感の言葉も生まれています。
Z世代は、ツイッターやインスタグラムなどのSNSにおいて、アカウントを複数持ち、自分のキャラクターごと(誰に知られてもいい情報を発信するもの、趣味用、愚痴用など)にそのアカウントを当たり前のように使い分けています。
しかし、一般アカウントと趣味アカウントの境界線が曖昧になったり、自身の生活の一コマとして趣味の出来事を一般アカウントで発信することもあり、「趣味用アカウント以外でもオタク用語が日常的に使われています。その一般的なアカウントからハッシュタグなどを通じて、どんどんと言葉として広がっていったという場合もあると思います」(廣瀨さん)
複数アカウントの先には、コミュニティ自体の細分化があります。
かつては、学校という限られた世界で生きるしかなかったのが、今では、アカウントごとに生まれている様々なコミュニティーに参加することができます。
趣味趣向が多様化した時代、一人の人間が、バラバラのジャンルの「推し」を使い分けることができるようになったのです。
廣瀨さんは、そんなZ世代の特徴の背景には「共同性への願望」があると言います。
「もちろん一つのことだけにのめり込む若者もいますが、その多くが『推し』を複数持つことで、一つのことにのめりこむというより、色んなものの『オタク』として複数の共同性を持っていたいという願望があるのではないでしょうか」
そして、Z世代の決定的な違いは「推し」をあえて公言することです。
「オタク」がネガティブに受け止められていた時代、「推し」は自分から言うものではなく、他人から言われる言葉でした。
かつては自分の中にさえあればよかったオタク性を、あえて表明するZ世代は、個々の世界観に自信を持ちつつも、どこか承認してほしいという欲求を持っているように感じます。
その承認欲求には大きく2種類あります。
一つは、あくまで限られたコミュニティーの中だけで得たい承認欲求。SNSでいえば、個別の目的ごとのアカウントの中で承認されることが、深く承認を受ける実感につながります。
もう一つは、「私はこういう人間です」ということを知ってもらうだけでいいという「浅い」承認欲求。この場合は、仮に自分の「推し」を相手から否定されたとしても、あまりダメージは受けません。なぜなら、自分の世界観を「理解してもらおう」というより「知っておいてほしい」というのが目的になっているからだと考えます。
「自分のことを深く理解し賛同してほしい」と「自分のことを知っておいてほしい」という2種類の欲求を、「推しを公言する」という行為で得ようとするのがZ世代なのだと考えます。
自分の内面をさらけ出すことは、時として自分を傷つけることにもなりかねません。それを恐れてコミュニケーションを拒むという選択肢ももちろんあります。
ですが、複数の「推し」を持ち、「推し」を架け橋に自分の息のしやすい場所をそれぞれのコミュニティーの中で探していく。思春期・青年期を生きるZ世代にとって、この環境が日々を生きる上での精神的な支えになっているのは間違いありません。
そして、そんなZ世代が作っていく未来は、個々の「推し」を尊重し合った多様な社会になっていくのではないか。願いも込めて、そう思っています。
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