話題
「学校という空間にいたくなかった」キンタロー。さん苦しめたいじめ
「ダサい自分」触れなかった親に感謝
夢だった芸人に30歳でデビューを果たしてまもなく、前田敦子さんのモノマネでブレークした芸人のキンタロー。さんは、その後も特技の社交ダンスなどで活躍の場を広げてきました。実は、中学生時代、同じグループの女子に無視・仲間外れにされるいじめを受けていました。「とにかく学校という空間にいたくなかった」という日々を救ったケーブルテレビのお笑い番組。自分を苦しめたネガティブマインドから抜け出せたのはなぜか? 笑下村塾のたかまつなながYouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。
――キンタロー。さんが昔、いじめにあわれていたと聞いて驚きました。どういういじめだったんですか?
キンタロー。:いじめが起きたのは、中学1年生のころ。私の中学校は、近隣の小学校3校の生徒が入学するような、マンモス校だったので入学直後は友達作りが手探り状態でした。そんな中、割と新しい友達ができたりと、1学期はなんとか楽しく過ごせていたんですよ。それが2学期に入ったら、ちょっと雲行きが怪しくなって……。
――何があったんですか?
キンタロー。:私、もうこの時にはお笑い芸人になりたくて、結構同級生のみんなからおもしろいってもてはやされていて。それで調子に乗って、どんどん拍車がかかっちゃっていたんですよね。おもしろければ、なんでもいいと。今思えば、友達に対して自我を押し付けていたし、多感な時期の女子にすごく下品な歌も歌っていた。みんなすごく嫌がっていたのに私は、「またまた〜」という感じできちんと取り合わなかった。好き放題やっていたら、ある日……、本当に突然だったんですけど、仲良しの4人グループから無視が始まっちゃったんです。
――どんな感じだったんですか?
キンタロー。:学校に行ったら、すぐに異変に気づきました。様子が明らかにおかしいんです。当時、土曜日も学校があってお弁当の日だったんですけど、そのグループで机を移動させてお弁当を食べようとしたら、3人が慌てて三角形で机を囲んだんです。私が入れないように。それを間近で見た私は、「まさか気のせいだよね」って信じたくなくって。めちゃくちゃショックでした。
――仲間外れにされた時、キンタロー。さんはどう思ったんですか?
キンタロー。:当時、すごく繊細で多感な時期だったので、クラスのみんなにバレたくないってまず思いました。それほど1人でごはんを食べるっていう行為は、中学生の私にとっては屈辱的で。友達がいないっていうレッテルが貼られちゃうのがイヤだったんですよね。この体裁を阻止しなくちゃってことで、小学校のときの繋がりのあった友達の輪に無理やり、「入れて」って言いました。だけどやっぱり、その子たちも困惑して……。仲間に入れてはくれたけど、すごく気まずい空気が流れました。
――無視と仲間外れによるいじめだったんですね。その後、そのいじめは続いたんですか?
キンタロー。:はい、しばらく続きました。私もクラスで居心地が悪くなってしまって、謝らなきゃという気持ちが大きくなって。それで「ごめんなさい。私も自分の行動を改めるから、もう一回仲間に入れてほしい」と、リーダー格の子に電話で謝りました。そうしたら「私は別にいいんだけど、○○ちゃんに聞いてみて」って言われて…。
――勇気がいる行動ですね。
キンタロー。:そしたらその子にも「私が最初に謝った○○ちゃんに聞いてみて」と。すでに謝った事実を伝えると、「ふーん」って微妙な感じになっちゃって。自分なりに謝ったんだけど、いざ学校に行くと何にも変わってなかったんです。仲間外れにされたまま、もう仲良し4人組には戻れなかった。自分が元凶とはいえ、すごく落ち込んでしまいましたね。
――先生には相談しなかったんですか?
キンタロー。:当時、いじめを苦に自殺してしまう子もいて、社会問題になっている時期でした。そういうこともあって学校側もピリピリしていて、いつも提出する日記みたいなページに何かあったら書いてと、担任の先生が言われていたので、「仲良かったんだけど、ちょっともめごとが起きて仲間外れになっていて、すごく落ち込んでいる」ってずっと書いていたんです。なんとか現状を変えたくて。
それで担任の先生も間に入ってくれて、相手の子たちに原因を聞いたら「すごく下品だからっていう理由らしいぞ」と。それを聞いた上で、また私、謝ったんですよ。でも本当だめでした。1回シャットダウンされちゃったら、もう戻ることができない。そこから崖を転がるように、学校生活が暗黒になってしまいました。私自身がもう、メンタルもやられてしまって……。
――学校には通えていたんですか?
キンタロー。:本当に行きたくなかったですね。結構、不登校の子もいたので、私もそういう行動をしようと思ったんですけど、当時の空気感として、休みにくかったです。ただ、どうしても行きたくないって日は休ませてはくれてはいましたね。連続で休ませてはくれなかったんで、普通の人より多く休んでいるくらいの登校日数でした。
――ご自身にとって、休むことは大事なことでした?
キンタロー。:そうですね。とにかく学校という空間にいたくなかったんです。のけものにされていたし、クラスのみんなにもそういう目で見られていたと思う。とにかく居場所がなかった。行きたくない、楽しくない、恥ずかしい。みんなから仲間外れにされているダサい私から、どうにか逃げたかったんですよね。
――辛いですね。学校を休めた日はどう過ごしていたんですか?
キンタロー。:親に頼み込んでケーブルテレビに加入してもらっていたので、普通のテレビ番組じゃ見られないようなお笑い番組を見て、気を紛らわせていました。当時見ていた番組の中で印象に残っているのは、ジャリズムさんのコント。これがあまりにもおもしろすぎて、いじめにあって絶望的な状況にもかかわらず、私、笑えたんですよ。当時、すでにお笑いブームが起きてましたけど、地上波では見られないようなコアなネタを見て、「自分には違う世界もあるんだ」ということを、無理やり思うようにしていましたね。
――ほかに心の支えになったものはありますか?
キンタロー。:よく泣いていましたね。心の闇と悲しみを思って。みんなには謝ったし、自分では思いつく限りのことはやったけど、状況は変わらなかった。どうしようもできなかったんです。いじめられている日々を長く感じていたし、変えることのできない現状を思って、ほぼほぼ毎日泣いていた記憶があります。
――親御さんには相談しなかったんですか?
キンタロー。:どうだったかな……。親に言うのは恥ずかしかったですね。だから言いにくかったという覚えはあります。でも詮索(せんさく)してこないにしても、当然私の異変には気づいていたと思います。私があまりにも学校に行きたがらないので。
――もう少しこうしてほしかった、ということはありますか?
キンタロー。:むしろ、親の在り方としては本当に助けられました。というのも、やはりこの時期って親に言いたくないことが増えるわけで、そんな中で無理やり話させるということが一切なかったので。いつも通りの両親でいてくれたのは、すごく大きなことでしたし、本当に支えになっていましたね。そんな両親のいる家は安全な場所だったので、学校には行かずにずっと家にいたいとすら思ってました。お母さんとお父さんの近くにいたいって。
――近年、いじめを苦に自ら命を絶ってしまうようなニュースが多くあります。そこまでは追い詰められてなかった?
キンタロー。:そんな根性もないというか……。死にたいくらいすごく辛かったけど、死ぬなんて怖すぎるし、まだまだやりたいことがたくさんあった。だからなんとか踏ん張ってやる、という気持ちもありました。家は安全だったので、そういう意味では自分には逃げ道があったんだと思います。
――新しいグループでは馴染めなかったんですか?
キンタロー。:小学校とは違った友人関係が築けている。そんな自分に酔いしれていたし、自信に満ちていた部分もありました。それなのに仲間外れにされてしまった……。その時にグループに入れてもらった子は小学校の時からの友達だったので、「なんて虫のいいやつ」って思われてるんじゃないかって被害妄想が発生してしまって。
こんな被害妄想的な思いを抱くようになったのも、仲間外れにされた時の理由の「下品だから」がきっかけかもしれません。気づかないうちに人に失礼なことをしちゃって、相手に嫌な思いをさせる可能性があると。そう1人で考え込む時間が増えていくと、もう同い年の友達とも上手くしゃべれなくなっていきました。同級生と接することが怖くて、敬語で話すようになって。「何タメ口でしゃべってんだよ」って思われるかもって、被害妄想が沸いちゃっていたんです。
――日々、どんな思いで過ごしていたんですか?
キンタロー。:自分で課しておきながら「なんで全員に敬語でしゃべってるんだろう」って。とはいえ、今まで通りナチュラルに友達に接したら、突然仲間外れにされちゃうかもしれないっていう恐怖で、前の自分にもう戻れなくなってしまった。本当にありのままの自分で立ち振る舞えなくなってしまいました。13〜14歳の自分が最大限考えられる人を傷つけない、不快な思いをさせないであろう行動を取っていたので、本当に楽しくなかったですね。
――進級してもそれは変わらなかった?
キンタロー。:ずっと引きずっちゃいましたね。そこから中学校2年生、3年生とクラス替えがあってリセットされるかと思いきや、新しい友達もなかなか作れなくなってしまって。しかも中3になると、男子から陰湿ないじめを受けるようになったんです。私のロッカーに画鋲を置かれたり、上履きに画鋲を入れられたり……。あとは学校を休みがちな私は親に車で送迎してもらっていたんですけど、その様子を言いふらしてくる人もいて、それも男子だったので男子に対する不信感が強くなっていきました。それで高校は女子校に行こうと直感的に決めました。
――女子校に進学していじめはなくなったんですか?
キンタロー。:中学時代の陰湿なピリピリした部分が削ぎ落とされていて、話しやすい雰囲気でした。私の中学校の暗黒時代を知らない子がほとんどだったので、本当に切り替えやすかったです。それでもまだ私、敬語でしゃべっていて、その癖は取れなくて(笑)。これはまずいと思い立って、夏休みを使ってホームステイプログラムというのがあったので、それを利用してカナダに留学することにしました。海外に行ったら何か変わるかもしれない。そう思ってチャレンジすることにしたら、これが大きな転機になったんです。
――どんな変化が起きたんですか?
キンタロー。:男子に対してトラウマがあったんですけど、現地に年下のフレンドリーなクレッグっていう男の子がいて。そのクレッグが私たち留学生にちょっかい出してくるんですよ。でもこの行動がイヤな気持ちにさせないどころか、コミュニケーションを取りやすかった。勝手にバッグを開けてお菓子をとって、わざと見えるとことで「へへへ」って笑うもんだから、「ヘイ!」って怒りやすくて。
クレッグの敷いてくれたレールに乗っかるだけで、友達としての関係が築けたんです。敬語でしゃべらなきゃいけない、何かあったら失礼かもしれないっていう思いを取り払ってくれたんですよ。彼のおかげで「自分で自分を苦しめすぎていたかもしれない」って気づけたし、一緒に留学した女子校の友達との絆も深めることができて。コミュニケーションの取り方や友人関係を軌道修正するきっかけになりました。
――それからは元々ふざけるのが好きだった、本来のキンタロー。を取り戻せたんでしょうか?
キンタロー。:そうですね、恐る恐るですけど。小学6年生のころのような、何にも怖いものがないくらいの勢いはないにしても、自分がおもしろいと思うことを披露できるようにはなりましたね。
――いじめにあわれても芸人になりたいという夢は消えなかった?
キンタロー。:ずっとありました。芸人の夢があるから、このままじゃいけないとも思っていたのかもしれません。
――そこまでしてなりたかった芸人。実際に目指したのはいつごろなんですか?
キンタロー。:大学時代に社交ダンス部入っていたので、卒業後はダンス講師になったんですよ。小さいころの夢って叶わないんだなぁって思っていたところ、大学時代に私のお笑いへの思いを覚えていてくれた先輩に結婚式で会ったんです。その時に「お前まだこんなところにいたのか」って言ってくれて。その一言が背中を押してくれたんです。それが28か29歳のとき。思い描いていた30歳になれそうもないと気づいた30歳手前、周りの結婚ラッシュもひと段落して、ちょうど自分の人生に向き合わなければと思っていたときでした。
――私も今、27歳で、Facebookとかに結婚や出産の投稿増えてきたので、めちゃくちゃわかります。
キンタロー。:私、やっぱり芸人にすごくなりたくて。それまで自分の人生だと思って生きてきたけど、結局いろいろなところで妥協してるじゃんって。叶わないのが怖いから、一番やりたいことから逃げてるじゃんと。そう気づいてお笑いの世界に飛び込むことに決めました。
――すごいですね。そのときは前向きな性格に変わっていたですか?
キンタロー。:いじめにあった衝撃体験が根深くて、あれ以来はネガティブマインドと、被害妄想マインドが何をするにもどこかにあったんです。もちろん、今も。もう取れないんです。
――キンタロー。さんって、新しいモノマネにチャレンジされたり、番組でダンスの企画に取り組んだりと、常に前向きな印象でした。
キンタロー。:SNSが炎上したりとか、ひどい言葉を向けられたりすると、中学校時代のいじめ体験がフラッシュバッグしますね。私のこと、すごい嫌いなんだなって、ネガティブに考えちゃったり。
――そういう批判が来た場合、回避方法ってあるんですか?
キンタロー。:お笑い番組を見て笑ったり、今も自分を癒やす方法は変わってないですね。ただ、年齢を重ねていくうちに、自分のネガティブ要素をコントロールできるようになったんだと思います。
――そのネガティブマインドのコントロール方法、知りたいです!
キンタロー。:まずは「ちょっと待って。悪く考えすぎてない?」って自分に問いかけることですかね。私の場合、たいがい自分で悪い方向に持っていきすぎていたので。悪いように思い込みすぎることで、自分で自分を傷つけてしまうんです。
中学時代、仲間外れにされたときだってそう。別のグループに入れてもらったとき、「虫がいい」なんて言われてもないのに思い込んじゃっていた。苦しんでいるときって、自分自身が考えすぎちゃってることが多いんですよね。とくにネガティブマインドの人って、取り越し苦労なくらい、自分で自分を苦しめているんですよ。だからそんなときは、自分の中で鳴り止まない考えを立ち切ってみて欲しいです。
――当時のいじめられていた自分が、今の自分を見たらどう思うと思いますか?
キンタロー。:人生に絶望していたので、希望の光に見えると思います。まさか自分が励まされていたお笑い芸人の人になれているなんて。泣いてしまうでしょうね。仲間外れの原因となった下品なことも、芸人になってからも一切してませんし。一方でそれを笑いにできる
芸人さんはうらやましいっていうのもありますけどね。
――難しいですよね。当時の自分に伝えたい言葉はありますか?
キンタロー。:「中学校が全てじゃない」ってことですかね。「あと2〜3年耐えれば、環境も状況も変わる。だからなんとか学校に通って乗り越えて」と。あとは「起きてしまったことは仕方ない。悔やみすぎず、毎日真っすぐ前を見て歩いていこう」って言ってあげたいです。
――最近では、学校に行かなくてもいいっていうようなメッセージも出てきました。
キンタロー。:当時、不登校の子に対して世間の目も厳しかったこともあって、「休んでいいよ」って言葉が見当たらなかったです。ただ、今は多種多様な考えが尊重されるようになってきているので、自分を助けるという意味で休むという選択肢は当然ありですよね。
――キンタロー。さんは今、いじめにあっていたことブログに書かれたり、インタビューでお答えなさってますが、当時、芸能人の方から勇気づけられるようなメッセージを受け取ったことはありますか?
キンタロー。:当時は自分がいじめられた体験を発信している人ってすごい少なかったんですけど、ミュージシャンの大槻ケンヂさんの言葉が印象にすごく残っています。「今はどんなに悩んでいようが、ドロドロに悩んでも大丈夫。その経験って、大人になったらすごい糧になるから」というようなことをおっしゃっていて。まさにドロドロに悩んでいたので、自分を肯定してくれた気持ちになりました。
――それは勇気になりますね。自分の子どもがいじめられて悩んでいる親御さんとかもたくさんいらっしゃると思うんですけれども、そういう方へのアドバイスはありますか?
キンタロー。:子どもって一番大切に思ってくれている人には、自分の恥ずかしいと思っている部分を話したくないんですよね。私の場合、自分の親がいつもと変わらない親でいてくれることにとても救われたので、しゃべってくれないからって、問い詰めないで欲しいですね。温かくいつもと変わらない親で、愛情を注いでほしいなって思いますし、もし学校に行きたくないと言うなら、それも受け入れていただけたら嬉しいですね。
――最後に、今いじめに悩んでいる子どもたちにメッセージをいただけますか?
キンタロー。:とにかく考えすぎないで。なるべく前を向いて、楽しいことで自分の頭の中だけでもいっぱいにしてほしいです。どうしても嫌なことが巡っちゃうってときは、自分が大好きな食べものを。お父さんお母さん、もしくは気の許せる友達とお店とかに行って、とにかく何かおいしいものを食べてほしい。食べているときって結構嫌なことを忘れられたりするから。とにかく自分の頭の中を嫌なことで埋め尽くさないで、なるべく真っ白なキャンバスにしておいてほしいです。どうかお願いします。
――キンタロー。さんの温かいメッセージ、きっとみなさんに届いていると思います。今日はありがとうございました。
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