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#8 Key Issue
30代ではまった若手俳優の沼 「推し」が溶かした自己肯定感の呪い

SNSに流れてくる友人たちの近況、仕事の成果、結婚や転職の報告――。ついついチェックしては、自分の現状と比較してしまう。そんな環境に息苦しさを感じることもあるなか、自分の大好きなものに没頭できる「推し」が救いになる人がいます。他者に愛情を注ぐ喜びに気づき、「自分のことを好きにならなきゃ」という呪縛を解きほぐしてくれた「推し」。自己肯定感にまつわる悩みから、「推し」の効用について考えます。
水野梓(みずの・あづさ)
からだや「食」にまつわる社会のプレッシャーから自由になりたいと模索中。摂食障害の当事者にインタビューを重ね、生きづらさや「自己肯定感」、医療・健康のコミュニケーションにも興味を持って記事を書いてきた。
SNSで自分と誰かを比較してしまう
友人の結婚や出産、仕事の成果の報告は本当におめでたいこと。でも、自分の仕事やプライベートがうまくいっていなかったり、落ち込んだりしているタイミングでは、心から「いいね」できない時があるのも事実です。
SNSで常時、誰かとつながっていることが当たり前になって、自分の現状とキラキラした誰かの成功を「比較」してしまう。それが新たな悩みになってしまう現実があります。
2021年1月に『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)を著したライターの横川良明さんも、そんな一人でした。
「人の成功をひがんで妬んでいた」
内閣府は2013(平成25)年、日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査をおこなっています。結果は「諸外国と比べて、自己を肯定的に捉えている者の割合が低い」と報告されています。
今は「推し」のおかげで日々を忙しく楽しんでいる横川さんですが、数年前は「とにかく人の成功をひがんで、妬んでばかりいました」と振り返ります。

当時の30代前半という「年齢による焦り」みたいなものもあったそうです。
「『こんな年齢になったんだから何か名を成さないといけないんじゃないか』というプレッシャーもあって、本来嫉妬する必要もないはずの全く違う畑のライターにも悶々とした思いを抱えていました」
「沼に落ちた」のは数年前
「今だから言える話ですが、以前はイケメンが出る舞台に対しネガティブな偏見を持っていたんです。けれど、今の推しが出ている舞台を観て、その才能に引きずり込まれ、心の底から火を付けられた感じでした」
「推しの友達は推し」というマインドから、どんどんと「推し」が増えていき……タイの俳優沼にハマったことも。「写真集は必ず買う&生の舞台を必ず観にいく」という推しは現在、10人ほどいるそうです。
「自己肯定感が大事」がしんどかった
国立青少年教育振興機構の「高校生の心と体の健康に関する意識調査―日本・米国・中国・韓国の比較」(2017年度)でも、「私は価値のある人間だと思う」「私はいまの自分に満足している」といった「自己肯定的な項目に対し、『そうだ』『まあそうだ』と回答した割合が米・中・韓に比べて低く、しかもその差が顕著である」と指摘されています。

そういう筆者も「自分で自分のことを否定しないでほしい」という思いを込めた記事をたくさん書いてきました。苦しんでいる人に少しでも楽になってほしい思いだったとはいえ、同様の声が集まるほど、それが「唯一の正解」のように感じられてプレッシャーになることも……。
横川さんは「『自分を好きにならなきゃ現象』って本当に大きなお世話きわまりないです(笑)」と言います。
落ち込んでる暇があれば推しに費やす
8000人を超える18~34歳の男女にスクリーニング調査をすると、自分を「とてもオタクだと思う」「ややオタクだと思う」と回答した人は、男性が44.5%、女性が35.5%でした。
オタクと自覚する男女1000人の調査では、コンテンツ消費時間として多かったのは平日「1~2時間」で、休日は「2~3時間」。平日に「6時間以上」という人も5.2%いて、休日「6時間以上」の人は14.2%でした。

夢中になっているものがあると、人のSNSを見て嫉妬にもだえている暇はありません。「そんな時間があったら推しのブロマイドを見ている方が楽しい」
さらに、以前は「自信がないタイプ」と言っていた「推し」と仕事で会ったとき、「そういうのはやめにした。誰かに応援してもらったり好きと言ってもらったりしているのに、そんな自分が自分を否定していたら、申し訳ないし、失礼だから」と言われたそうです。
そいや、今日のラジオでポロっと言った
— 横川良明㊗️#推し本2刷決定! (@fudge_2002) January 27, 2021
「下を向く時間があるなら推しの方を向け」
は至極名言だと思った。
会社員時代に「読め」と言われた自己啓発本は全く響きませんでしたが、「推し」の言葉はスッと刺さったそうです。
推しは推すけど、依存はしない
「推しだけではなく、家族や友達もそう。自分の責任を取ってくれない相手に全身を預けたら、その人がいなくなった瞬間に大ゴケしてしまいます。自分の足で立っておかなければ、というリスクヘッジの感覚ですね」
これまでの恋愛経験もふまえて、「この人がいなければ生きていけない」という重度の依存体質だということも影響しているといいます。

その気安さが、人間関係が得意ではない横川さんにとって「ラク」だといいます。
そして30歳を過ぎてからオタクになったことも大きいと指摘します。
「10代って他者との境界線を見誤りやすい。大人になってからの『推し活』は、バランスよくやれるのがいいですね」
「推し」のおかげで日々の生活に彩り
芥川賞で話題になった『推し、燃ゆ』(宇佐見りんさん著)で描かれる女性は、推しと自身をかなり同一視しています。
「『推しが背骨』という気持ちも分かる」といいますが、「自分は根本がオタクじゃなくて、ギアをチェンジしている感じ。自分の人生を明るくしたり、日々の中に彩りを見つけたり、自分で自分を楽しませるための推し活だと思っています」と分析します。
それぞれの「推し」を尊重する
著者累計で55万部のヒットとなる、つづ井さんのエッセー漫画「裸一貫!つづ井さん」でも、「アラサーオタク女子」の日常が描かれ、「前世からの友」と呼ぶ友人たちと互いにそれぞれの「推し」を尊重しあっています。
横川さんも、「推し」と出会ったことで、何かハマっているものや好きなものがある人との会話が変わったそうです。

今では、相手の「推し」や「好きなもの」も最大限に尊重するようになりました。
SNSで推しの名前に「君」をつけて検索し、どんな風にみんなが「推し」を褒めているかを眺めるのが好きといいます。
「こういうご時世なので、SNSって怒りの言葉が多い。社会がよりよくなるために必要な批判はあるし、怒り自体は否定しないんですが、そればかりを浴びているとメンタルがやられることがあるんです。そういうときは、優しい言葉、愛情ある言葉を見ているほうがいいなぁと」
好きなものにかける熱量もそれぞれ
私の方が好きだから、詳しいからとマウントを取ってくる人からは「逃げろ!」とアドバイスします。

「競争意識を持ってしまう気持ちは分かりますが、好きなものにかける熱量は人それぞれ。ちょうどいい温度感の合う人とやればいい。オタクは楽しくやってなんぼだし、サードプレイスという感覚でいた方がいいですよ」
推していたら、自分の背中も押された
太陽のように輝く「推し」の光を反射して、自分もちょっとだけキラキラできる。
その反射の光がなくなったら、舞台やブロマイド、動画再生で「推し」をチャージしにいくそうです。
横川さんは著書で、こんな風に「推し」を表現しています。
自分では推しているつもりが、気づいたら推しが自分を推してくれていた
SNSや記事を通して「推し」のことを書いていたら、自分の背中を押してくれる人も現れる。誰かの背中を押すことで、誰かに推してもらえる人になれる――。
横川さんは「僕の職業に限らず、一生懸命やっていたら誰かが見てくれていることってある気がするんです。夢中になったり誰かを好きになったりする力の絶大さって、まわりに伝播しますよね。僕は、人の悪口やグチを言っていたころより、今の環境の方が単純に好きだな、と思っています」。

それぞれのお守りを、互いに大切に
ただ「自分はそこまで没頭できることがないから、うらやましいなぁ……」と思ってしまうあたりが、筆者もまだまだ「他者との比較」から抜け出せていないんだろうと思います。
しかし、「推し」という呼び方ではなくても、自分を支えてくれる「胸ポケットのお守り」のような存在って、それぞれに持っているのでしょう。「オタク」への認識が変化した今、それぞれのお守りを互いに「いいね」と思える社会へ、さらに近づいていけばいいなと思います。