IT・科学
志村けんが開拓したビデオコーナー 極めたからわかる「素人の力」
現代のYouTubeを予言した鉄板企画
志村けんの訃報から1年あまり。彼が残した功績をたどる時、忘れられないのが『8時だョ!全員集合』の終了後、間もなく放送された『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』だ。 TBS側から声が掛かり、ドリフのエースである志村と加藤がタッグを組むことになったのだ。そもそもフジテレビ系列の『ドリフ大爆笑』でも2人は絶妙な掛け合いを見せていた。そのイメージを裏切ることなく、ドリフとは一味違うキレのある笑いを生み出していった。(ライター・鈴木旭)※本文は書籍『志村けん』論から抜粋して再構成しています
志村をさらなる飛躍に導いた 『加トちゃんケンちゃん〜』だったが、実は、番組構成は『全員集合』と同じだった。
『全員集合』の基本的な流れは、前半にドリフのメンバー全員で22分ほどのコントを披露し、ゲストの歌を挟みながら少年少女合唱隊、ショートコントと続いてエンディングを迎える。
志村は、これを踏襲して「自分たちが本当にやりたいこと」にもっとも時間を掛け、ホームビデオの投稿コーナーやゲストが参加するショートコントとのコントラストをつけるよう心掛けた。このあたりに、いかりやの方法論を引き継ぐ意志が垣間見える。
しかし、明らかな違いもあった。その代表的なところが映像へのこだわりだ。
メインの「THE DETECTIVE STORY(探偵物語)」は公開収録ではなく、ビデオ収録の短編ドラマ形式のコントだった。志村と加藤は、マンションの一室に住居を兼ねた探偵事務所を構えるパートナーという設定だ。基本的には謎の人物〝ボス〞からの電話をきっかけに、依頼主にまつわるドタバタ劇が展開されていく。この設定の利点を存分に生かし、さらに志村はコントの可能性を追求していった。
ホラー映画にヒントを得た回では、最新のVFX(視覚効果)が使用されている。ネズミと人間、ネコとヘビ、ワニとカエルを掛け合わせたような不気味なモンスターたちが続々と登場し、人間界を襲うような放送回が何度かあった。もちろん笑いどころもあるのだが、子ども心に映像そのものに驚いたのを今でも思い出す。
また、グリーンバックで右半身と左半身を別々に撮り、それぞれの体が一つの画でうごめく合成映像のコントも斬新だった。そのオフショットも番組で放送されたが、まるで映画監督のように真剣な眼差しでモニターをチェックする志村が印象的だった。
ちなみに、1984年にアメリカで公開されたホラー映画『エルム街の悪夢』の冷酷な殺人鬼フレディ・クルーガー(ロバート・イングランド)が出演した回もある。いかに志村がホラー映画に魅了されていたかが垣間見えるエピソードだ。
80年代は『ポルターガイスト』といったホラー映画だけでなく、『グレムリン』や『ゴーストバスターズ』など、VFXを駆使してヒットしたSFコメディー映画も多い。映画好きな志村は、いち早くこれをコントに取り入れたのだ。
日本の映画界を見ると、黒沢清監督のホラー映画『スウィートホーム』(1989年1月公開)でVFXが使用されているが、公開されたタイミングは『加トちゃんケンちゃん〜』のホラー回とほぼ同時期か少しあとだったと記憶する。いずれにしろ、ここまで最新技術を駆使したバラエティー番組は稀と言えるだろう。
本編に入る前の映像にもこだわりが感じられた。
遠近法を使ったトリックアートのようなセットでのコント、ビルに潜入し、ある一室の金庫を開けると中にあったテレビから本編のオープニング映像が流れるというシャレた幕開け、ポイ捨てした空き缶が路上を転がっていき、最終的にビルが崩壊するまでを追ったショートショートのような映像などは、ほとんど〝短編作品〞と言えるクオリティーの高さだった。
もう一つ注目すべきは、80年代のアメリカで、いわゆる〝バディムービー〞が人気を博した点である。当時、とくに「バディ×アクション」の組み合わせは全盛を極めていた。
サンフランシスコを舞台に、囚人と強面刑事が期限付きでタッグを組み、凶悪な脱走犯を追う姿を描いた『48時間』(日本では1983年公開)、家庭的なベテラン刑事と自殺願望を持つ若い刑事が、娼婦の飛び降り自殺に端を発した巨大な犯罪に立ち向き合う『リーサル・ウェポン』(1987年公開)は代表的なところだ。
実際、「THE DETECTIVE STORY」にドラマ『西部警察』(テレビ朝日系列)さながらのアクションシーンを盛り込んだ放送回もある。路上や空き地でのカーチェイス、ヘリコプターでの逃走劇、大量の火薬を使った爆破など、とてもバラエティーとは思えない迫力ある映像だった。
こうした企画が実現した背景には、相方である加藤への絶大な信頼があった。
志村自身、著書『変なおじさん【完全版】』(新潮文庫)の中で「突拍子もないことというよりも、その役の中でこなせる演技の幅がすごく広い。そのへんは、まさに天才肌だ」と称賛している。
これに加えて、だからこそ「(ドリフの頃に比べて)2人ともパワーが落ちてないことを見せるために、とにかく2人して動き回って、あうんの呼吸のおもしろさで見せようと決めた」と書いている。それを画として見せるため、コンビが活躍する様々な映画を観ていたことは想像に難くない。
もちろん当時はバブル全盛期であり、潤沢な予算があったことも大きいが、注目すべきはアメリカ映画との同時代性だ。どこまで意識的だったのかは不明だが、少なくとも世界的な潮流とシンクロしていた番組であったことは間違いない。
『加トちゃんケンちゃん〜』から世界的なコンテンツとなった人気企画もある。それが「おもしろビデオコーナー」だ。
番組がスタートした1986年当時、日本で家庭用ビデオカメラの普及率は10%に満たない状況だった。当然、企画会議では反対意見が多数を占めた。しかし志村は、そんなスタッフ陣を説得してこの企画を押し通す。いずれ誰もがビデオカメラを所有する時代がくると考えたのだ。
2019年4月5日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへSP』(TBS系列)にゲスト出演した志村は、その頃の状況を振り返り、「みんな『それは早いんじゃないの?』って、かなり反対を受けたんだけど、『いずれくる』って。『いずれみんな結婚式とか撮るようになる』って言って。ビデオコーナーやろうよ(と説得した)」と語っている。
実際に番組がスタートすると、まずは「おもしろビデオコーナー」の人気に火がついた。志村も直接「投稿ビデオのコーナーがおもしろい」と感想をもらうことが多かったようだ。この企画がウケたこともあり、視聴率は右肩上がりに上昇していく。最高視聴率は36%。『8時だョ!全員集合』の全盛期に迫る高い視聴率を記録した。
しかし志村の先見性は、こんなものでは収まらなかった。この投稿ビデオコーナーは、同局TBS系列の番組『さんまのからくりTV』(後の『さんまのSUPERからくりTV』)へと引き継がれ、テレビ朝日系列の『板東英二のビデオ自慢』『ビデオあなたが主役』(後の『邦子と徹のあんたが主役』を経て『必撮ビデオ‼あんたが主役』)といった多数の類似番組を生み出すことになった。
さらには、海外のテレビ局に企画のフォーマットごと販売されて長寿番組を生み出した。アメリカ版は『Americaʼs Funniest HomeVideos』(アメリカズ・ファニエスト・ホーム・ビデオズ)、イギリス版は『Youʼve Been Framed!』(ユーブ・ビーン・フレイムド)として今もなお放送され続けており、両国の在住者であれば誰もが知る番組となっている。また、このことで海外の投稿ビデオが日本に逆輸入され、日本でも放送されるようになった。
とくにアメリカ版は世界100カ国以上に輸出されており、世界的な「視聴者ビデオ投稿番組」のきっかけをつくったという意味で「YouTube以前から存在するYouTube」とも呼ばれている。
世界的なテレビ史の偉業と言えるが、その根底には志村特有の感性があったように思う。というのも、志村は素人を観察してキャラクターを生み出すことがよくあったからだ。
この件について、『ビデオあなたが主役』で司会を務め、志村とコント番組での共演も多かった渡辺徹は、「芸を極めてく人って素人のすごさがよくわかってるんですよね。うそがないから、芸にプラスに働くんだと思う」と語っている。
恐らく志村は、コントのネタになる、と素人の投稿ビデオに興味を示したのではないか。それが結果として、世界的な番組フォーマットを生み出したのだと私は考えている。
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