連載
「僕には発達障害がある」娘が生まれ、SNSに書いた「がんばらない」
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。20代を一言で「苦闘」と表現した遠藤さんですが、娘が5歳になった頃には、発達障害の当事者たちとつながったり、心のモヤモヤを文章に書いたり。「特性」や「環境」が「障害」になりにくいように、自分の生活を見直していきます。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載13回目です。(全18回)
僕は、発達障害の当事者であることを明かしてSNSのアカウントを作っていました。それまでは本やテレビ番組、ウェブサイトから一方的に情報を得ていただけでしたが、3年半前から当事者たちと直接つながって、双方向に情報交換をするようになりました。
たくさんの当事者とコミュニケーションを取りました。交流は、暮らしを良い方向に導いてくれました。
身の回りで起こる「あるある」を言い合うだけでも、ひとりで抱えてきた困難さがふわっと和らぎます。多くの人たちが自分と近い生きづらさを抱えたことを現実に知って、緊張感が解けていくような思いがしました。もっと若い頃から、あるいは子どもの頃から、こうした横のつながりがあったらよかったと感じます。
ただ、発達障害と一口に言っても、人によって内実は多様であることも見えてきました。共感し合うことへの安堵感を得ていた一方で、「他人は他人、自分は自分」という考えも大事だと感じました。
みなさんとSNSで交流したり、ときには直接会って話したりする経験をして、自分にとっての「障害」が具体的にどんなものだったのかが見えてきました。
まず僕には発達障害があります。
たとえば、2021年でもいまだに、出かける前にイヤフォンが見つからず、1時間ほど探してしまうことがあります。ASDの特性なのか、あるべきものがあるべき場所にないと、ちょっとしたパニックになってしまいます。
また、ADHDの特性で、身の回りを散らかしてしまい、探すのも苦手です。妻に探してもらうと、すぐに見つかることも…。
聴覚過敏もあります。オフィスの近くで工事がありドリルの音が続いたときには、耳栓やノイズキャンセリングヘッドフォンをしていても仕事に集中できず、逃げ出したくなりました。
そして、疲れやすいのも特性のひとつです。電車に疲れ、オフィスで過ごしていることに疲れ、急な対応に疲れ、疲労は蓄積しやすいです。障害受容や環境調整では取り除けないような「障害」がたくさんあります。
ただ、「障害」はそれだけではないと感じます。
父親や夫という役割もまた、生きていく上で「障害」になることがありました。より正確に言えば、父親や夫という役割の「普通」という固定概念が、「普通」でない僕にとっては「障害」になっていたということです。
理想と現実にずれがあり、不自然で無理のある生き方をしてしまっていました。
低気圧の日に調子が悪くなっていることも、この時期に気がつきました。低気圧で調子の悪い日に無理をして、踏ん張ってしまうと、あとに響きます。これもひとつの「障害」です。SNSに「がんばらないぞ」と書き込んで、無理をしないように心がけていました。
もちろん、うつも大きな「障害」でした。ひどいときには、社会活動が全面的にストップしてしまいます。しかし一方で、そうなる前に「うつ気味なときのやり過ごし方」も覚えていきました。きちんと通院して、服薬し、健康的な食事をして睡眠をとれば、いつか必ず良くなることを僕は知り始めていました。そうして長期的な視点に立って行動できるようになっていったと感じます。
「うつになることはおそらくこれからもある。でも大丈夫」と割り切ることで、この「障害」は薄れていきました。「だめでもいいから粘る。相談して、方法を考える」。この頃の日記に書いていた言葉です。
「普通」や「平均」はあまり意識せず、ただ自分の周りにある「障害」をクリアしていけばいい。「特性」や「環境」が、「障害」になりにくいように、自分の生活を見直していきました。
例えば【話を引き出すときに効果的なあいづち】には、
— こー@withnews子育て連載中 (@kotart90) June 30, 2018
「と、おっしゃいますと」
「なるほど」
「ほう、そういうものですか」
「いやそれは、おもしろいですね」
「それからどうしたのですか」
と書いてある。ASD発覚してから私はこれインストールした。
👉『できる大人のモノの言い方大全』 pic.twitter.com/v1oqKUv2SC
僕にとって最大の「障害」だったのは、「伝わらない」でした。頭のなかではいろんなことを考えているのに、それを人に伝える手段を持っていませんでした。伝わらないから、内にこもってしまい、孤立していく。
それまでの僕は、『できる大人のモノの言い方大全』(青春出版社)を熟読して暗記するなどして、周りに合わせて、表面的なコミュニケーションをしていました。
「と、おっしゃいますと」
「ほう、そういうものですか」
「いやそれは、おもしろいですね」
こうした言葉を「インストール」して、パターンで学習していたのです。個人的な気持ちは、日記や小説に書いていましたが、誰かに読んでもらうことはほとんどありませんでした。
しかし心のうちでモヤモヤしていることや考えていることを文章に書いて伝えれば、対話が生まれていくことを体験していきました。それはまずSNSであり、のちに記事になっていきました。
もとをたどれば、家族に「賭け」でコミュニケーションを図り、自分を投げ出してみたら、意外と心地よく感じられた経験が起点になっていました。
文章を書いて、人に読んでもらえたら、伝わる。この経験が自分の人生を変えてくれました。僕は会社員の傍らで、フリーライターの仕事を始めました。この連載も、書くことでリフレーミングすることができ、新たな発見が得られ、やはり書くことに救われていると感じます。
ひるがえって、娘にとっての「障害」とはどんなものがあるだろうかと考えていきました。
娘が新年度の初日に「保育園に行きたくない。○○先生じゃないといやだ」と泣くのは、わがままでしょうか。1年間かけて信頼関係を築いてきた先生が変わってしまう環境のほうに、「障害」があると僕は思いました。「わがままだ」と叱るのではなく、環境の変化が「障害」だと認識し、変化に慣れていく練習を一緒にしました。
成人の当事者たちと接していくなかで、僕と同様に、子ども時代に本心を言えない経験をしてきた方が多いことに僕は気づき始めていました。「休んでもいい」と体感して知ることで、安心が形成されていくかもしれないと思っています。
「親が仕事を簡単に休めないこと」も娘にとっての「障害」です。夫婦の都合によっては、娘は12時間ほど保育園にいる日もありました。僕は、働き方を変えていく必要があると感じていました。どんな働き方で育てていくか、発達障害の当事者で子育てをしている先輩に相談に乗ってもらっていました。
2019年に僕は30歳になりました。
23歳で結婚し、父になり、うつになって離婚しかけたり自殺したくなったりしてから、発達障害が発覚しました。僕の20代を一言で表せば「苦闘」でした。
20代は本当につらく、何度も「終わった」と思っていました。一歩踏み外していたら、本当に「終わって」いたと思います。エコー写真の娘と出会ってから5年以上が経ち、激動だった父親としての人生が、30代に入る頃にようやく軌道に乗り始めました。
しかし僕には、子育てをしていくために、残されていた課題がありました。うつのときに関係が悪化したまま疎遠になっていた僕の父親のことでした。自分の父親との関係と向き合わなければ、いつか娘との子育てでつまずくと思った僕は、行動に移しました。きっかけには、とある当事者との出会いがありました。
遠藤光太
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。
1/2枚