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権田修一も阿部伸行も教え子…11人のプロを育てた伝説のGKコーチ
ブラジルで見た「忘れられない光景」
サッカー日本代表で清水の権田修一(32)をはじめ、11人のプロ選手を育てたゴールキーパー(GK)のコーチがいる。浅野寛文さん、52歳。10年以上にわたってFC東京の育成組織で指導し、一般企業で働きながら今は週に1回、千葉・中央学院でコーチを務める。彼の手にかかれば「本当に同じ子なの?」と言われるその手腕。原点には、20年以上前にブラジルで見た忘れられない光景があった。(朝日新聞スポーツ部記者・照屋健)
浅野寛文(あさの・ひろふみ)
「浅野コーチのもとでやれば、こんなにうまくなれるんだ」
小学6年のとき、FC東京の練習会で指導を受けた権田はこう感じたという。川崎市のさぎぬまSCに所属し、当時は神奈川県選抜。どこにいっても褒められていた少年を、浅野コーチは期待を込めて、あえてほめなかった。
「ただ好きでやっているだけで、基本が全然なっていない」
一緒に練習した中学生のGKは、難しいボールをいとも簡単にキャッチングしていた。「ここにいけば、上手くなる」。権田がFC東京U―15に進んだ一つのきっかけだった。
「1回でボールをつかむ、こぼさない。基本の繰り返し」と浅野コーチはいう。地道な基本練習の繰り返しを説くが、発想はユニークだ。
原点は、社会人の東京ガスの選手だった1998年。入社する前に3カ月間、ブラジルのサンパウロFCに短期留学した。
そこで見た光景が忘れられない。ブラジル人たちは反発力の高い少し小さめのラテックスボールをつかって、リフティングの練習を繰り返していた。
「遊び感覚を大事にしつつ、そういう工夫の仕方があるんだ、と」
当時、日本の育成年代ではまだ、GKコーチという職業が普及していなかった時代。FC東京の練習では、GKだけの練習は30分ほどだった。そのなかで、いかに技術を身につけるのか。「浅野メソッド」が培われた。
こうした練習を繰り返し、11人ものプロ選手がうまれた。そのなかで、共通点はなにか。
「サッカーが好き、ゴールキーパーが好き、という気持ちじゃないですかね。メンタルの部分は大きい」と浅野コーチはいう。中学時代の権田に忘れられないエピソードがある。
中学3年の夏休みにあったクラブユース選手権準々決勝。その試合で、権田は高いボールの処理を2度ミスし、いずれも失点につながった。普通の中学生のGKなら落ち込み、投げ出してもおかしくない場面だ。それに加え、さらに、PK戦では自らが蹴って失敗した。
「このまま負けてしまうのかな」。浅野コーチの思いとは裏腹に、権田はそこからPKを2本止めて、チームを勝利に導いた。ミスをしても引きずらない心、取り返す気持ち。そんな強さを教え子は持っていた。
現在、FC東京の37歳、阿部伸行は高校時代、183センチの長身GKだった。
ただ、高校1年でFC東京の下部組織に入った当初、阿部が練習している姿をみたある神奈川の強豪校のコーチは「あの子、大丈夫なの?」。横っ飛びも十分にできなかった。ただ、「ベースをしっかりさせれば、大丈夫」と粘り強く指導した。
高校3年でプリンスリーグ関東でそのチームと対戦した際に、完封。相手チームを「本当に同じ子なの?」と驚かせた。
「1人1人に、違う良い部分はある」と浅野コーチ。今もプロに進んだ教え子の試合を見ては、気づいたことをLINEで送る。1月2日には自宅に教え子たちが集まり、デンマークの名GKのシュマイケルのビデオを見る。
その熱意はどこからくるのか。
「ゴールキーパーを、1番人気のあるポジションにしたいので」
日本代表にも選ばれた教え子とともに、その夢を追い続けている。
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