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ゴールキーパーの「ゴッドファーザー」なぜ日本に?本気で壮大な夢
「GKも攻撃の第一歩に」名選手を育てた理論
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「GKも攻撃の第一歩に」名選手を育てた理論
サッカーで、「ゴールキーパー(GK)のゴッドファーザー」と呼ばれる人がいるのをご存じだろうか。欧州の名門クラブや代表チームなどで30年以上指導にあたる一方で、欧州サッカー連盟(UEFA)でGK指導の指針を作り上げた中心人物である。そんな大物は現在、日本サッカーに大きく関わっていた。そして目標は「世界一のGK」を日本から生み出すことだという。(朝日新聞欧州総局・遠田寛生)
言葉に迷いやためらいは一切ない。日本サッカー界での目標は具体的に描かれていた。
「世界トップになれる人材を見つけ、育成の道筋をつくる。そのためには地域との連携と世界への挑戦が不可欠だ。そして理想は10年後に、日本出身のGK5人が欧州5大リーグでプレーし、15年後にはその中でも強豪クラブでプレーする。最終的には5大リーグ全ての国の上位クラブに選手を送り込みたい」
語ってくれたのは、元プロ選手でオランダ出身のフランス・フック氏(65)だ。現在は日本サッカー協会(JFA)のGKプロジェクトのテクニカルアドバイザーを務めている。
4月上旬、オンラインで話を聞く機会に恵まれた。
欧州5大リーグとは、イングランドのプレミアリーグやスペイン、ドイツ、イタリア、フランスの1部リーグを指す。今季所属している日本選手で言えば、フランスのストラスブールにいる川島永嗣だけだ。
世界中から逸材が集まる狭き門に、日本出身のGKが本当に何人もレギュラーとして活躍できるのか。夢物語に思える、という意見も聞こえそうだ。
だが、フック氏の経歴を知ると期待がもてる。
サッカーにのめり込む前は柔道に明け暮れていた。12歳でオランダの大会で優勝した実力者で、後にサッカーにもいきたと笑う。
受け身を学んでいたおかげで、横っ跳びはへっちゃらに。個人の駆け引きにも慣れており、1対1で前へ飛び出す「勇気」が自然と身についていた。16歳でプロになり、オランダのフォレンダムでGKとしてプレーした。
故障により1985年に引退したが、そこで人生の道が開けた。すぐさまコーチとして声がかかった。しかも打診してきたのは、オランダが生んだ至宝、ヨハン・クライフ氏だった。
物事を調べ、分析することが好きだったというフック氏は現役中、「オランダでは初で、欧州でも初めてかもしれない」というGK指導の教書を執筆。GKのトレーニング教室なども開いていた。
その本をクライフ氏は読んでいたという。「大変気に入ってくれたみたいで、名門アヤックスにコーチとして誘われた。彼は私にとっても特別な存在だ。断る理由なんてなかったよ」
主にGKを担当し、強豪を支えた。クライフ氏が去った後も、数々のタイトル獲得に貢献し、クラブは94~95年シーズンは欧州チャンピオンズリーグ(CL)制覇、95年にはトヨタカップで優勝している。
その後はバルセロナ(スペイン)やバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)などを渡り歩き、複数の代表チームにも招聘された。
ビッグネームも多数指導してきた。アヤックスではオランダ代表として長く活躍し、一時期は世界トップの呼び声もあったエドウィン・ファンデルサールを教えた。
バルセロナではともにスペイン代表でも活躍したビクトル・バルデスとホセ・マヌエル・レイナ。マンチェスター・ユナイテッドでは、現スペイン代表のダビド・デヘアがいた。
95年からはUEFAにも関わり、GKの指導ライセンスのプログラムを発足させた中心の1人だ。
ワールドカップ(W杯)で記憶に残る出来事を起こした人物でもある。オランダのコーチだった14年ブラジル大会の準々決勝、コスタリカ戦。延長でも決着がつかずPK戦にもつれると、オランダはPK戦から投入した第2GKクルルが2本を止めて勝利をつかんだ。「奇策」と騒がれた起用で、ファンハール監督に進言したのはほかならぬフック氏だった。
そんな大御所はなぜ日本に来たのか。きっかけは元日本代表で、JFAスタッフで欧州在住の藤田俊哉氏の名前を挙げた。2018年のことだったという。
「彼から日本の現状や目指したい道などを詳しく聞いた。素晴らしいと思って賛同した」。2050年にW杯を日本で開催し、優勝するという最終目標にやる気を感じたという。
そしてテクニカルアドバイザーとして加わった。日本のスカウト事情やGKコーチや一般コーチを分析。指導体制を学び、GKの人材発掘から育成の道筋を日本スタッフと話し合いながら取り組んでいる。
新型コロナウイルスの影響もあるなか、日本サッカーの成長をどう感じているのだろうか。
フック氏は満面の笑みを浮かべて言った。
「日本は恐れることなく私のような外部の人間に意見を求め、受け入れた。新たなビジョンを持ち、すでに善いことをたくさん成し遂げてきた。最終的には時間と辛抱は必要になるが、前向きな要素ばかりだ」
最終目標である日本の2050年W杯優勝へ、やることやイメージは湧いている。そんなフック氏でも全く見通せないこともある。
優勝時のピッチに立つGKだ。「なにせ29年も先の話だ。ゴールを守る選手は、まだ生まれていないかもしれないな」。顔をくしゃくしゃにして笑った。
GKを表現する際「鉄壁」「守護神」という言葉がよく使われるのを見る。
メインは失点を防ぐ役割だ。違和感はない。筆者も学生時代、GKに最も必要なのはとっさのシュートに反応できる瞬発力と思っていた。
フック氏は、「GKはオールラウンダーでないといけない」と話す。
おおげさに言えば、FWとして出場すれば点取り屋になれ、MFならば高い技術や試合を読む力を持った司令塔になれる選手だろうか。
1990年代に小柄ながらメキシコ代表のGKとFWとして活躍したホルヘ・カンポスを思い出す。二刀流は衝撃的だった。これからはもっと体格がよく、「チームで一番うまい選手」がゴールマウスを守っていくのかもしれない。
変化を恐れず、進化を求めてきたフック氏の言葉には重みがある。世界トップクラスから常に声がかかるのには、やはり理由がある。きちんと物事を分析し、準備を怠らなければ道が開ける可能性も学べた。コロナ禍で難しいとは思うが、JFAにはこれからも子どもたちや指導者と触れ合う機会をできる限り設けてもらいたい。
これまでは欧米の知人とサッカー談議になると、「日本が世界一になる」とはとても言えなかった。願望はあっても、口にして笑われるのがしゃくだったからだ。
でも今はスッと言えそうだ。根拠を聞かれたら、こう答えられる。
「日本にきたゴッドファーザーって知ってる?」
◇
Frans Hoek(フランス・フック)1956年、オランダ生まれ。オランダでプロ選手として活躍し、85年から指導者に。アヤックス(オランダ)を皮切りに、バルセロナ(スペイン)、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、ガラタサライ(トルコ)でコーチを務めた。代表チームはオランダやポーランド、サウジアラビアを指導。コーチ指導におけるインストラクターとして、オランダサッカー協会や欧州サッカー連盟(UEFA)でも活動。
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