話題
現代に残る「湯守」という職、インディージョーンズさながらの作業
温泉街の白濁したお湯の日「ミルキーデイ」を支えているのは…
「湯守」の仕事って一体なに――? 東京から出身地の福島に転勤してきた4月、最初に取材したのが地元の温泉で活動する「湯守」でした。大学進学まで福島市で暮らしていた記者(31)ですが、「湯守」という言葉を上司から聞いて初めて知り、興味を持ったからです。その活動に同行すると、温泉街で人気の「ミルキーデイ」の陰にある苦労を肌で感じることになりました。
湯守がいるのは、福島県二本松市にある岳(だけ)温泉。日本百名山の一つとして知られる安達太良山(標高1700メートル)のふもとの温泉街です。
岳温泉観光協会などによると、1200年を超える歴史があり、現在、大小10軒の温泉旅館が営業。お湯はpH値が2.5と低く、全国でも珍しい酸性泉で、その成分が肌の角質を溶かすことから、「美肌の湯」としても知られています。
湯守のリーダーの武田喜代治さん(70)に電話で取材をお願いすると「雪山を登りますから、登れる格好で来てください」と快諾され、活動に同行することになりました。
4月5日午前7時、空は厚い雲で覆われていました。温泉街の中心にある岳温泉神社の駐車場に向かうと、武田さんのほか、遠藤憲雄さん(70)、影山政敏さん(68)、矢吹梓さん(42)が待っていてくれました。
「そんなんじゃ登れねえべ」。私の足元を見た遠藤さんから注意を受けました。
学生時代に富士山に登った経験から、登山靴にウィンドブレーカー姿でしたが、雪山の登山は初めて。準備不足を恥じていると、武田さんが「雪道ではぬれるので、長靴を貸しますよ」と助けてくれました。
4人が乗る「ジムニー」に同乗し、途中のあだたら高原スキー場(標高約950メートル)に到着。スキー場まではアスファルトで舗装された道でしたが、その先は登山道です。車1台がようやく通れるほどの幅で、岩や木々の根で凹凸が激しい。
車の天井に頭をぶつけたり、左右に振られたりしながら走り続け、さながら「インディージョーンズ」の一場面のようでした。
約3キロの登山道をゆっくり走り、40分ほどたった頃でした。車は止まり、武田さんは「ここからは雪があるので、徒歩で向かいます」と、山道を登り始めました。
標高は約1200メートル。周囲には雪が残り、30分ほど歩くと、登山道にも50センチほどの雪が積もっていました。雪の多さに驚いていると、4人は「今年は雪解けが早い」と口をそろえて言いました。
登り始めて約50分後。硫黄の臭いが漂い始めると、4人の職場である源泉に到着しました。周辺には約1メートルの積雪が残っています。
まず目に入ったのは焦げ茶色の木造3階建ての「くろがね小屋」(標高約1350メートル)でした。1953年に開業し、現在の小屋は1964年に営業を始めました。約50人が宿泊でき、温泉もあり、夕食の特製カレーが人気の山小屋です。
学生時代に山岳部だったという管理人の田畠翔さん(33)が迎えてくれました。カフェオレを飲んで、少し休みました。そして、いよいよ4人の仕事が始まります。
外の気温は3度。突如、雪が降り始め、吹雪になってきました。源泉は小屋のすぐ裏の斜面に広がります。4人の仕事は、源泉からつながる直径約13センチの塩化ビニール製の湯管の掃除です。
平安時代から続く岳温泉は、度重なる土砂災害や火災に見舞われ、そのたびに温泉街が源泉から離れていきました。
1824年、源泉の近くにあった温泉街が土砂崩れで埋没。その後、源泉から東に約6キロに再び温泉街が再建されましたが、戊辰戦争で全焼しました。その後も再建しても大火に襲われ、源泉から約8キロ離れた現在の場所に移ったのは1906年でした。
そのため岳温泉のお湯は、源泉から標高差約900m、約8キロの距離を「引き湯」されています。
源泉は硫黄などの成分が強く、空気に触れると「湯の花」が生じます。特に源泉から1キロの範囲では湯の花が固まりやすく、定期的に掃除をしないと湯管が詰まり、お湯が温泉街まで届きません。
そこで湯守の出番です。4人は源泉付近の湯管を毎週1回清掃し、「温泉の湯を守る」ことから「湯守」と呼ばれます。
現在、源泉は15カ所あり、三つの区域に分けて、3週間ごとに掃除をしています。この日は幸い、雪の中から源泉や湯管がすぐに見つかりましたが、積雪が4メートルを超えることもあり、雪の中から探し出すのも一苦労だといいます。
また、武田さんは「命がけなんですよ」と話します。源泉の周辺は雪が解け、大きな空洞になって硫化水素がたまります。
その穴に落ちると、硫化水素中毒で命を落とす危険性もあります。安達太良山でも1997年に硫化水素中毒で登山者4人が死亡する事故がありました。
そんな危険と隣り合わせでも、武田さんは「3週間後にはパイプの中は湯の花で詰まる寸前。だから雪が降ろうと欠かすことはできない」と話します。
湯守の4人は岳温泉を管理する「岳温泉管理会社」から清掃を委託され、本業の合間に湯守の仕事を続けています。
武田さんは民宿を営み、矢吹さんはスキー用品店で勤務。影山さん、遠藤さんは岳温泉管理会社で、源泉から流れてきた湯の量を調整したり、温度を測ったりして働いています。
武田さんは「夏になると平日は毎日、湯守の活動で山に登っているから、民宿は家族に任せっぱなし」。夏は湯管の清掃だけでなく、登山道の整備もするそうです。
湯管はどのように清掃するのでしょうか。
管には約20メートルごとに清掃に使う点検口があります。上流の口から先端に針金で作ったお手製のたわしが付いた長さ約20メートルのロープを流し、下流で引っ張ります。
すると、先端のたわしに湯管の内側に付着した湯の花が引っ掛かり、流れ出します。作業後の湯の色は、透明から一転、白く濁りました。
清掃は2時間近く続き、終わった頃には、寒さで長靴を履いた私の足の感覚は無くなっていました。
くろがね小屋に戻ると、田畠さんが「温泉に入っていきなよ」と声をかけてくれました。湯の花を含んで白く濁ったお湯で、冷え切った足がようやく感覚を取り戻しました。
体を包んだ硫黄のほのかな香りは翌日まで残っていました。田畠さんは「だいたい温度は42度くらい。温泉は生き物だから、その日によって温度が変わるよ」と話します。
湯守の活動によって生じるこの白濁した湯は下流の温泉街にも届きます。白い湯が流れる週1回の日を「ミルキーデイ」と呼び、この日を目当てに訪れる人も増えているそうです。
武田さんは湯守として20年以上働き、4人の中で一番長い経験者です。今後の心配は4人のうち3人が60歳以上のため、後継者不足といいます。
「誰かやってくれる人がいれば早く替わってほしい」と笑う一方、「一度関わってしまった以上、湯守の仕事をおろそかにすることはできない」と話します。
くろがね小屋で4人の話を話を聞き、午後2時すぎから下山を始めました。外に出ると、午前中の吹雪がうそのように、透き通った青い空が広がっていました。
高村光太郎の詩集『智恵子抄』でも安達太良山の空は登場します。
この「ほんとの空」のもと、何げなく入っていた温泉の裏側には、湯守の苦労があったことを知りました。地元の良さを改めて感じた取材でした。
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