連載
#12 withnewsスタッフブログ
ネットで解体された明治の「大新聞と小新聞」withnewsスタッフブログ
withnewsの原点を探したら明治まで戻った話 新企画「Key Issue」が生まれた理由
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#12 withnewsスタッフブログ
withnewsの原点を探したら明治まで戻った話 新企画「Key Issue」が生まれた理由
4月になりwithnewsの編集部も新しくなりました。
「新聞社のニュースを新聞読者以外の人たちに届けたい」
そんな思いから、2014年に始まったのがwithnewsです。
新しい年度になったこともあり、いったん原点に戻ってみたいと思いちょっと調べてみました。
原点といっても、かなり昔、明治です。
全国紙の会社案内を見ると、各社だいたい明治のはじめに創刊されているのがわかります。1872年(明治5年)に毎日新聞、読売新聞は1874年、朝日新聞は1888年(大阪朝日新聞は1879年)に生まれています。
明治時代の新聞は、今とはちょっと違っていたようで、「大新聞(おおしんぶん)」と「小新聞(こしんぶん)」というのがありました。
朝日新聞は創刊100年の社説で次のように説明しています。
それぞれ別々のスタイルだった「小新聞」と「大新聞」を合体させたのが現在の新聞の原点だったのです。これは当時としては相当なイノベーションだったようで、読者から爆発的に支持され、世界でも屈指の「新聞大国」になりました。
発信手段が限られていた時代、たくさんの情報が一つの場所に集まるサービスはかなり便利だったはずです。国として成長の途中にあり、みんなのお手本となる「いい暮らし」「成功物語」が存在していました。そんなお手本のヒントになる情報が載っていたのが新聞です。しかも、隣近所の人がみんな読んでいるから、自分も読まないと置いてきぼりになってしまうというのもありました。
でも今は違います。
インターネットを使えば誰でも発信できます。検索を使って知りたい情報を、知りたい時に、知りたいだけ手に入れられます。
一つのメディアが全部の情報を網羅する必要性が小さくなりました。
さらに、「いい暮らし」「成功物語」のモデルも人それぞれです。
自分の生きたい人生に応じて、必要な情報も多種多様になりました。
例えるなら「大新聞」から「小新聞」の要素がネットという自由な世界に惹かれて飛び出し、読者の元に引き寄せられたような。これまで「大新聞」の世界観の元に集まっていた記事がバラバラになって、読者の関心に応じて別の形に再編集されている。
置いていかれた「大新聞」は、ちょっとどうしたらいいかわからなくなっている。そんな感じでしょうか。
それは、いいことでもあります。
みんなが一つのルールに従って、一つの目標に向かわなくてよくなったのだから。
これまで、既存のメディアに物足りないと思っていた読者が自分で情報を探せるようになった。既存のメディア以外の情報も表に出やすくなり、それが社会に反映されるようになった。
そういう余裕が社会に生まれたということでもあるのですが、同時に、新聞にはちょっとつらい時代にもなってしまいました。
元気のいい「小新聞たち」が飛び出していくのをただ見ているだけでなく、自分たちの手でコーディネートできないか。そう思って立ち上げたのがwithnewsです。
だから、1本の記事で拡散するため知恵を絞りました。