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連載

#31 Busy Brain

小島慶子さんがひもとく「アナウンサーがADHD?」という先入観

アナウンサーにも、世間でいう「変わり者」や「ダメな人」はいるのです

アナウンサーとしてTBSに入社した直後、22歳の小島慶子さん。同期との飲み会で=本人提供
アナウンサーとしてTBSに入社した直後、22歳の小島慶子さん。同期との飲み会で=本人提供

目次

BusyBrain
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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、「まさかアナウンサーがADHDなんて!」という世間の反応について、その誤解の原因をひもとき、知らず知らずのうちに人が思い込むイメージの正体について綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

「発達障害ポリス」になるのではなく––––

 自分がADHDであることを知り、発達障害について考える機会が多くなってからは、「もしかしたらこの人も発達障害のある人かもしれないな?」と思うことが増えました。ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)やLD(学習障害)などの発達障害の特性である、多くの人とは少し異なる脳の働きを持つ人なのかもしれないと。

 そう感じたときには、そうかもしれないし、そうではないかもしれないなと思って接しています。その人が障害者かどうかをはっきりさせる必要はありません。ただ、もし本人や周囲が困っていることがあれば助けようと、少し注意して見るようにします。

 例えば、何かの話し合いで関係ない話を延々と続けてしまって周囲をいらだたせている人がいたら、ちょっとした言葉がけでその人が話をまとめるきっかけをつくるとか、さりげなく話題を変えてその人からみんなの注意を逸(そ)らすとかして、いらだった空気を和らげ、受容する雰囲気を作るように心がけます。

 話すときに目を合わせず、返答が無神経に感じられる人に出会ったときは、もしかしたら脳が世界を捉える方法が大多数の人とは異なっていて、人間に特別に重きを置かないため「人と話すときは普通はこうする」のやり方が自分とは違っている人なのかもしれないと考えます。

 果たしてその人が発達障害なのか、単に無礼な人なのかは私にはわかりません。それをはっきりさせることよりも、そのような人に出会ったときに、それがなんであるかを簡単にジャッジしないようにする習慣を身につけたいと思っています。

 発達障害について知ることは「発達障害ポリス」になることじゃありません。ちょっと本を読んだり自身も当事者だったりすると、ついやってしまいがちです。「あ! あの人きっと、ADHDだよ。私もそうだから、わかる」「ああ、多分あの人はASDだね。本で読んだのと同じだもん」と、素人診断をしたくなるのです。
 
 世の中には、自分とは全然違う振る舞いや考え方をする人はたくさんいます。感じ方や見え方や聴こえ方が異なる人もたくさんいます。その異なり方がどの程度であれば「単なる変わった人」で、どこからが「障害者」なのかは、はっきりと線引きされているわけではありません。変わっていることでうんと困っている人もいれば、そうでない人もいます。ある環境ではさして目立たない人が、他の場所に行くと浮き上がってしまうこともあります。

 発達障害について知ることは障害者を篩(ふるい)にかけるためではなく、障害者とそうでない人の境目がグラデーションであることを知るためです。そもそも自分の脳の発達が「他の大多数の人と確かに同じ」であると、どうやって知ることができるでしょう。発達障害の人を篩にかけたくなるのは、「自分はそうじゃない」ことを確かめるためかもしれません。「普通・正常」というグループに入っていないと不安なのかもしれませんね。

「私は当事者だから、誰が発達障害であるかを見分けることができる」というのも、仲間を見つけて安心したいという欲求の表れかもしれません。いずれにしろ、にわか知識で誰が障害者であるかをジャッジするのは「障害を知った」ことにはなりません。勝手な線引きで、”あっち側”と”こっち側”を分けるだけです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

「まさかアナウンサーがADHDだなんて!」という世間の反応

 アナウンサーという専門職で放送局に就職できたのは、私にとって本当に幸運なことでした。ADHDの特性が、アナウンサーの仕事ではさほど邪魔にならなかったからです。私の場合は、むしろ長所として生かせる場面の方が多かったように思います。

 こう言うと意外に感じる人がいるかもしれませんね。私がADHDのことを初めてエッセイに書いたときには、「まさかアナウンサーがADHDだなんて!」という反応をした人が少なくありませんでした。

 きっとアナウンサーという職業と、ADHDという障害が、正反対の印象だからなのでしょう。私なりに想像してみると、アナウンサーは「真面目、きちんとしている、頭がいい、行儀がいい」、ADHDは「ふざけている、だらしない、頭が悪い、迷惑をかける」でしょうか。

 アナウンサーという仕事は、時間管理や正確な言葉遣いなど「きちんとしている」ことが求められますが、それはアナウンサーとして用いる技術であり、訓練で身につくものです。それができるからといって、その人の生活全般が、正しい言葉遣いで時間に正確に営まれるとは限りません。アナウンサーにも、世間で言う「変わり者」や「ダメな人」はいます。

 個人的な経験から言えば、放送業界には、そういう人は決して少なくありませんでした。どこかちょっと極端なところがあったり、他の職場だったらはみ出してしまうだろうなという感じの人も珍しくなかったのです。

 毎日新しいことに挑戦し、何か面白いことはできないかと一日中頭をひねり、スケジュールは不規則で、バラエティ番組もニュース番組もこなすような振れ幅の大きい仕事を楽しむことができる人たちが集まっていました。

 もしもADHDに対して「ふざけていて、だらしなくて、頭が悪くて、迷惑をかける」人たちというイメージを持っているなら、こう考えてみてください。ADHDの特性のある人が「ふざけておらず、だらしなくなく、頭が悪くなく、迷惑をかけない」ように見える環境って、どんなところだろう? と。障害のある人ではなくて、その人を取り巻く環境の方に注目すると、見え方が変わってくるかもしれません。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

性に合っていた「本番で失敗しながら学ぶ仕事」

 アナウンサーの仕事は、毎日が変化の連続です。同じ職場に出勤して同じ人たちと顔を合わせ、同じスケジュールで動く職場とは全然異なります。基本的には一人で行動し、アナウンス部にいる時間よりも、スタジオやロケ現場や打ち合わせに参加している時間の方が長い。毎日同じ時間に放送するレギュラー番組だって、同じ内容の日はありません。

 もちろん会社員なので部会などはあるし、アナウンス部には郵便物などを確認しには行きますが、長時間滞在しなくてもいいのです。移動や変化の連続なので、同じ場所でじっとしていることが苦手な私にとっては最高の仕事でした。

 それと、本番で失敗しながら学ぶ仕事なのも性に合っていました。アナウンサーは長くて半年ほどの基礎的な技術研修を受けたら、すぐに画面に出始めます。東京キー局のアナウンサーだと入社1年目から、数百万人、場合によっては1000万人以上が見ている番組に、ベテランのタレントや先輩アナと一緒に出演するのです。

 カメラの前では、新人もベテランも同じく「出演者」です。キャリアの違いがあっても「おみそ」扱いなんてしてもらえません。全員が実力勝負です。これが楽しかった。失敗もたくさんしたけれど、とにかくやりながら学ぶというのが性に合っていました。

 小さい頃からそうでした。生まれて初めての習い事は、3〜4歳の頃に通った団地のバレエ教室。素敵なチュチュを着たお姉さんたちに憧れていたのに、私に渡されたのは薄いピンク色のレオタードでした。傘のように広がった華やかなスカートはついていません。レオタードを着た自分の姿は、お腹がぽこっと出た、丸っこいウインナーみたいでした。

 こんなのは嫌だ! あの綺麗な服を着て踊りたい! とゴネたら、チュチュは、うんと練習してからでないと着られないと聞かされました。イメージしていたバレエとは全然違って、地味な動きを繰り返すところから始めなくてはならないのです。それで、バレエはやめました。せっかちなのです。とにかくまずはイメージしたことを実際にやってみたい。お預けにされるのは苦痛でした。

 アナウンサーの仕事はそんな私にぴったりでした。ついこの前まで学生だったのに、ちょっと実技の訓練をしたら、もう現場に放り込まれるのですから。イメージしていた通りどころか、それを遥かに超えるスケールの場所で、いきなり本番です。カメラの前では誰も助けてくれず、自分だけが頼り。マニュアルなんてありません。その場その場の判断力が問われます。

 もちろん緊張したけれど「とにかくやってみたい」という気持ちの方が強かったので、とてもやり甲斐を感じました。あとでひどくダメ出しされることも、大恥をかいたことも何度もあります。それでも、とにかく「自分で、実際にやる」ことができるのです! 生き恥を晒(さら)しながら成長するアナウンサーという仕事は、こうと思ったらやらずにはいられないせっかちな私の脳みそに、十分すぎるほどの刺激と学びを与えてくれました。

「アナウンサーなのにADHD??」と思ったら、ではどんな仕事ならADHDでも違和感がないのか、考えてみてほしいです。知らないだけで、身近なところに「意外なADHDさん」はたくさんいるはずです。

(文・小島慶子)

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。

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