連載
#15 #アルビノ女子日記
アルビノの私が、「顔にアザ」がある友達からもらった気づき
「白さ」への劣等感の底にある思い
髪や肌の色が薄いアルビノの神原由佳さん(27)はかつて、外見が周りと違うことにコンプレックスがありました。それは、マイノリティに生まれたゆえの「自分だけ」の悩み。そう捉えていました。でも、顔に青アザがある女子高生の恋愛を描いた漫画と出会い、悩みの根っこに普遍的な「愛されたい」との思いがあることに気づきました。「多くの人も私と同様、生きづらさを感じているのではないか」。漫画と、その作者との交流を通し、考えたことをつづってもらいました。
『青に、ふれる。』
顔に青アザがある女子高生が、他人の顔を判別できない「相貌失認(そうぼうしつにん)」の教師に恋をするストーリーの漫画だ。作者は鈴木望(のぞみ)さん、愛称のんさん。のんさんの顔にも、主人公と同じように「太田母斑(おおたぼはん)」と呼ばれる青アザがある。
この本を知ったきっかけは、2年ほど前、とあるイベントに参加したことだった。質疑応答で、のんさんは質問し、漫画家であることを語っていた。そのときは声をかけなかったけれど、後日、書店のコミックコーナーに立ち寄ってみた。
単行本の表紙に描かれた『青に、ふれる。』の主人公・瑠璃子(るりこ)が、こちらを見ている。すぐさま手に取り、自宅に帰って読みはじめた。だが、すんなり読み進めることができない。胸が苦しいのだ。
周りとは違う、アルビノの白さを受け入れることができていなかった私は、嵐が吹き荒れるような10代を過ごした。だから、アザがあっても大人びていて強い瑠璃子は、当時の私とは正反対だった。
さらに、「青に、ふれる。」は恋愛ストーリー。恋愛をする余裕がなかった自分と、瑠璃子を比べてしまっている私がいた。瑠璃子は「なりたかった自分」が具現化したような、そんな存在だった。
そんな謎の嫉妬心を抱いてから、少し経ってからのことだった。
「鈴木望さんが、神原さんに会いたいって言っているよ」
鈴木さんを取材した知人の新聞記者からのメールに一言、そう書かれていた。
「私に会いたいだと……! 私こそ会いたいです……!」と、心の中でガッツポーズをした。
こうして、私たちは出会い、おいしい餃子とお酒を一緒に飲み食いし、友達になった。
のんさんと出会った当初は、お互いの病気や、それに関連した悩みについての話をしていた。外見に症状があるという近い立場だからこそ、「その気持ち、わかるよ」という共感の言葉で、「自分の感情はおかしくないんだ」と安心できた。
でも、このごろは二人の会話に、病気の話題はほとんど出ない。
たぶん、病気でつながるだけでなく、本当の友達になれたから。今では「そういえば、のんさんにはアザがあったんだっけ」と思うことが多い。のんさんのアザが消えたわけではない。今ものんさんの顔には青アザがある。
「気にならなくなった」とも言えるけど、アザがあってもなくても、私はきっと、のんさんと友達になりかったのだと思う。優しく、愉快で、褒め上手な人柄に惹かれたからだ。
忘れられない、のんさんの言葉がある。
「人って、傷つくことも、傷つけられることも本来は嫌なはず。自分の存在を認めてほしい、愛されたいと思っている。全ての人が尊重され、自分の価値観で生きることができて、多様な生き方を尊重しあえる社会を目指したい。そのための方法が漫画で、実践している」
この言葉を聞いて、ひょっとして根っこに抱えているものは、みんな同じなんじゃないか、と思った。
確かに、外見に症状がある私や、のんさんの抱える生きづらさは、少数で特殊なのかもしれない。でも、その原因を突き詰めて考えると、マイノリティ、マジョリティに関係なく、「他人に認められたい」「愛されたい」という欲求にあるんじゃないか。
つまり、「生きづらい」は裏を返せば、「生きたい」なのだ。
いつもすまし顔のあの人も、心の中では自分の抱える生きづらさに葛藤しているかもしれない。勝手な決めつけかもしれないけれど、みんな何かしら生きづらさを抱えていると思えば、「自分だけじゃない」と少しは気持ちに余裕が生まれるのではないだろうか。
私が文章を書くのも、のんさんが漫画を描くのも、「社会にはこういう人もいるよ」という一人の当事者としての発信だ。私ものんさんも、多様性が認められて誰もが生きやすい社会になることを願っている。そのために、それぞれのやり方で自分の容姿や考えについて表現している。
「私ってかわいそうでしょ」とアピールをするつもりは一切ない。そもそも、私たちは悲劇のヒロインではない。かといって、困難を乗り越えたヒーローでもない。
最後に、「青に、ふれる。」の話をしたい。
「書けばいいじゃん!! 顔に大きなアザ!!」
物語の第1話で、瑠璃子が涙ぐみながら発した言葉だ。
高校2年になったばかりの瑠璃子は、新たな担任教師の手帳をたまたま目にした。そこには、クラスメイトの特徴がびっしりと書き込まれているのに、瑠璃子の欄だけ、何も書かれていなかったのだった。
この教師こそ、瑠璃子が後に恋する相手だ。人の顔を判別できない「相貌失認」を抱えていた。だが、それを知らない瑠璃子は「触れちゃいけないみたいなの、一番ムカつく!!」と詰め寄る。
この場面は、当事者の心境をリアルに描いていると思った。
何の遠慮もなく症状のことに触れられると戸惑う。一方で、話題にすること自体がタブーであるかのように触れられないのも、それはそれで居心地が悪い。そんなときは、私だってむっとしてしまうだろう。
そんな瑠璃子だが、普段はアザを気にしないよう、周りに気を遣われないよう生きている。たとえ、傷ついたり、悲しかったりしたことがあっても、その感情を口にすることはない。ひょっとしたら、「自分は傷ついた」と瑠璃子自身が気付けていなかったのかもしれない。
だからこそ、その「傷つき」は澱(おり)のように心にたまり、先生に対して、あふれ出してしまったのではないか。アルビノであることに悩みつつ、誰にも相談できなかった経験がある私は、痛いほど瑠璃子の気持ちがわかったし、心配にもなった。
だが、瑠璃子は、先生や友人たちの交流を経て、徐々に変わっていく。
象徴的な場面がある。瑠璃子は中学生のとき、不登校を経験している。そのきっかけをつくった大橋という名の同級生と出会う場面で、「大橋くんの言葉には傷ついた」と伝えたのだ。
傷つきを自覚し、その感情を冷静に言語化し、相手に伝えられるようになった瑠璃子がそこにいた。傷つけられた相手に向き合った瑠璃子に、私は安心し、そして勇気づけられた。
「青に、ふれる。」は3巻まで発売されている。私は主人公の瑠璃子に、当初は嫉妬していたが、今では彼女の恋を応援している。多彩な登場人物たちはみな、不器用で愛らしい。彼ら、彼女らの葛藤や成長を、これからも大切に見守っていきたい。
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