話題
元競技者が解説する鍵山選手の強さとは フィギュア世界選手権
間近で見た「父親譲り」のジャンプ力
スウェーデンのストックホルムで27日まで開かれたフィギュアスケートの世界選手権。男子フリーの結果に驚いた人も多かったと思います。ショートプログラム3位のネーサン・チェン選手(米)が逆転し、総合1位で金メダル。2位に食い込んだのは、今季シニアデビューしたばかりの17歳、鍵山優真選手(星槎国際高横浜、SP2位)でした。SP1位の羽生結弦選手(ANA)は4本のジャンプでミスがあり、3位に終わりました。フィギュアスケート選手として14年の競技経験のある記者が、鍵山選手の強さの秘密を選手目線で振り返ります。
まず、やはり圧倒されたのはチェン選手のメンタルの強さと技術力です。
羽生選手との直接対決は、今大会で5勝4敗と優位に立ち、大会3連覇という偉業を成し遂げました。
冒頭で、最高難度の4回転ルッツのGOEが(出来栄え点)3.94点と、高い加点になり、単発のジャンプながら基礎点と合わせて15.44点という高得点。勢いに乗りました。
高く跳び上がってから回転し、余裕を持って着氷するダイナミックなジャンプ。フリーでは合計5本と男子では最も多い本数を組み込み、すべての4回転で加点を2点以上引き出しました。
全ての跳ぶ前、姿勢にゆがみがなく、まっすぐ高く跳び上がり、まるで「教科書」のようでした。回転軸が細く、速く回転できる秘訣は何でしょうか。
ジャンプの写真をよく見ていると、チェン選手の空中姿勢の腕の位置が、これまでの常識とは違いました。元選手で世界選手権にも出場した無良崇人さんも朝日新聞で解説していました。普通の選手は拳を握りしめ、胸の前で締めるイメージで交差をします。私が習ったときは、右足の上ににまっすぐ軸を作るために右側の胸に右の拳の乗せ、その上に交差させて左拳を乗せていました。しかし、チェン選手は体を抱きしめるように腕を巻き付けています。常識を覆す空中姿勢に驚きました。
さらに、私が気づいたのは、チェン選手は、両手ともグーで握りしめず開いたままということです。確かに、グーで、拳を握りしめてしまうと、肩に力が入ってしまいがちです。誤って力が入りすぎると、脇が開いてしまって軸がぶれてしまう恐れもあります。しかし、拳で握らなければ、無駄な力が入らないのかもしれません。空気抵抗を最小限にして跳べる秘訣だったのです。
世界最高得点は自身が19年のグランプリファイナルで出した224.92点。それに迫る222.03点と高得点で圧倒しました。終始、非常に落ち着いている表情に見え、安心して演技を観戦することができました。加えてスピンもすべて軸がずれることがなく、速い回転でレベル4と最高レベルを獲得し、一つ一つのターンや身のこなしも丁寧に滑っていました。
SPでは冒頭の4回転ルッツを転倒するなど、悔しいスタートでしたが、その分プレッシャーを抱えず3位からスタートできたのが逆に良かったのかもしれません。チェン選手は、本命視された18年の平昌五輪で失敗し5位に終わってから、ずっと国際大会無敗。悔しさを乗り越えて、メンタルも強い、王者となり3連覇という偉業を達成しました。
驚いたのは17歳・鍵山選手の躍進です。SPで2位につけると、フリーで3本の4回転ジャンプを全て成功させ、2位となりました。
鍵山選手は、今季シニアデビューしたばかりの選手です。羽生選手が12年にデビューしたときは3位に食い込みましたが、鍵山選手はさらに上の2位となりました。
鍵山選手のすごいところは、持ち前の脚力と躍動感、そして安定性です。フリーの4回転の加点は2~3点台と高得点でした。
その理由は、脚力を生かした高いジャンプです。
鍵山選手は、跳び上がるときの体重移動がうまく、さらに、膝のクッションを生かして流れるような着氷をするのが特徴です。
それは、指導する父親で、1992年アルベールビル、94年リレハンメル五輪代表の正和さん譲りでもあります。私は、鍵山選手を初めて見たとき「お父さんそっくりな滑り方」と驚きました。
実は、筆者が選手だった時、現役時代の正和さんの練習を間近で見る機会が何度もありました。特徴的だったのは脚力を生かした高いジャンプ、そしてひざから下で凍りをしっかり押して、安定性のあるスケーティングです。当時は、その技術を観察して見習った記憶があります。
鍵山選手は、父親譲りで、滑りの基礎もしっかりしており、まだジュニア上がりの選手とは思えない安定性を見せています。そのため、シニアデビューの高校生ながら、ジャンプの技術力だけでなく、演技構成点も90点に近い得点を出して表彰台に立つことができたのです。
高い技術力を持ち合わせた上、初出場の世界選手権で安定した演技を見せた鍵山選手。17歳ながら、なぜ、こんなに強いのでしょうか。
まずは、メンタルです。実は、羽生選手のお墨付きだったのです。
昨年末の全日本選手権後に、世界選手権の代表選手を発表したときの記者会見で、こんなエピソードがありました。
鍵山選手は「正直、今のところ、すごく不安でしかなくて。日本代表として足を引っ張らないようしたい」と語っていました。その後の質疑で羽生選手は記者団から「初出場の鍵山選手にアドバイスを送るとしたら」と問われ次のように答えました。「すごいなんか、自分の気持ちにうそをつこうとしてたんで。『そういうことはいらないよ』って。僕は、やっぱり彼の強さは、その負けん気の強さだったり、向上心だったり、勢いだと思っているんで。もちろん、それだけでは勝てないかもしれないけど、だけど、そこが今の一番の武器なので。そこは大事に、大事に(してほしい)」。そんな金言を残しました。
鍵山選手の「負けん気」「向上心」は、プログラムにも表れています。
シーズンが開幕し、関東選手権の直後に、世界で活躍する振付師、ローリー・ニコル氏による映画「アバター」のプログラムに変更したのです。開幕後に変更するのは普通はあり得ないことです。
しかも、変更前の関東選手権では優勝し、素晴らしい結果を残していました、長く師事する佐藤操コーチの「ロードオブザリング」で188.75点と高得点をたたき出しました。それでも、変更する選択をしました。
私も選手時代、佐藤コーチに振り付けをお願いしたことがありました。国内のトップ選手多くに振り付けをしているコーチ。ジャズにジェスチャーを取り入れたり、「好きな人が見ていると思ってポーズをして」と踊るときの気持ちまでアドバイスしてくれたりする素晴らしいコーチです。
大会期間中に変更する場合、昔に滑っていた慣れているプログラムにする、ということはあります。しかし、鍵山選手は、あえて「挑戦する」前向きな理由で全く新しいものにしました。そのため、大会に向けて急ピッチで準備をしました。
普通なら、遅くてもシーズン前の夏休みの8月までに振り付けを完成させ、それから滑り込みます。私も選手時代、10月にある東京選手権からシーズンが始まるので、夏の合宿で何度も滑り込んでプログラムを自分のものにしていきました。鍵山選手は、10月の関東選手権が終わってすぐに約1カ月で準備をして東日本選手権で初披露しています。しかも、このコロナ禍で海外の有名な振付師にはリモートで振り付けをお願いしていました。
通常、振り付けを覚えるときは、振付師に近くに立ってもらって、同じ向きで振りを覚えます。しかし、リモートの場合は画面越しなので分かりにくくなります。朝日新聞の取材に鍵山選手は「画面越しなので、(反転して)左右がわからなくなったり、映像がカクカクしたりして苦労した」と話していました。しかし、何度も繰り返して振り付けを覚えたといいます。
あえて「いばらの道」を選んだ鍵山選手は「すごく迷ったけど、来季は五輪シーズンになるので、出場して勝ちにいくために新たな挑戦を決めました」と強気の宣言をしていました。その通り、世界のレジェンド2人に食い込んで2位というインパクトを世界に与えた鍵山選手。試合後には「もっともっと練習して、成長して、まず五輪に出場することが大事だと思うんですけど、その上で五輪に出て、上位を狙っていきたいなと思っています」と話しました。北京五輪に向けてますます楽しみになってきました。
一方、羽生選手は、SP1位から3位に落ち込んでしまいました。
昨年の世界選手権がコロナ禍で中止になってからずっと一人で孤独の中練習をしていて「暗闇に落ちていく感覚だった」と気持ちを吐露していました。そんな中戦ってきたからこそ、今大会には特別な思いがあったと思います。
SPでの直後「全日本の時よりも精神的に安定して、一つ一つ丁寧に滑れると思います。曲自体、またプログラム自体から感じられる背景や、皆さんの中に残っている思い出や記憶が少しでも想起させられるようなものになったらいいな」と話していました。
しかし、冒頭の4回転ループで着氷後片手を氷についてしまうと、その後も着氷での乱れが続きました。ジャンプのGOE(出来栄え点)は7本中4本で減点され「少しのほころびがつながった。少しずつずれただけで、自分の中ではやりきれた感触もあります」と振り返りました。
羽生選手に見えないプレッシャーがかかっていたのかもしれません。まず、最終滑走というのは意識しなくても前の選手の演技の情報が入ってきます。私は選手時代、前の選手の滑りを見ないようにしよう、とイヤホンなどをして情報をシャットアウトしていました。きっと羽生選手も自分の演技に集中していたはずです。さらに、今大会はコロナ下での開催となりました。羽生選手は、ぜんそく持ちのため健康に大会を終え、とにかく2022年北京五輪の日本男子の出場枠を最大の3枠を取ることへの責任を感じていました。羽生選手ならではの責任感もプレッシャーになったのかもしれません。
羽生選手は五輪で2連覇しても、とにかく謙虚に、常に成長を目指しています。大会後、羽生選手はもう前を見ていました。「誰よりも早く4回転半を公式できれいに決める人間になりたいです。チャレンジしていくことは大切ですし、とても楽しいです」と話していました。この悔しさを胸に、きっと羽生選手ならまたさらに成長した姿を披露してくれる、と信じています。
橋本佳奈@hashikana1218、奥山晶二郎@o98mas、 withnews@withnewsjp
出演者:withnews編集長・奥山晶二郎(北海道出身・スピードスケート経験者)、withnews編集部記者・橋本佳奈(フィギュアスケート競技歴14年)
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