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結婚しても変わらずアイドル、Negiccoの3人が挑むしなやかな世界線
メンバーの夫にも届くファンからのお祝い
新潟を拠点に活動するアイドルNegicco(ねぎっこ)は、まもなく結成18年を迎える3人組のローカルアイドル(ロコドル)だ。アラサーとなった全員が結婚したが、ソロ活動も含め、これまで通りアイドルの活動を続けていることも最近、話題になった。アイドルのファン界隈は殺伐としてもおかしくないところ、夫となったバンドメンバーのライブに、有志が祝い花を贈るなど、3人を変わらずに見守るほんわかした空気に包まれている。彼女たちの何が、ファンを惹きつけるのか。(朝日新聞・永井真紗子)
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Negiccoの良さはいくつもあるが、キーワードとなるのは、ひたむきさ、素朴さ、柔軟さ、というところだろうか。
ひたむきさ、を一番感じたのは、16年夏のNHKホールでのコンサートの一幕。リーダーのNao☆さんが終盤のMCで、前年の日比谷野外音楽堂ライブで掲げた「来年は武道館」宣言を自らの言葉で撤回したことだった。自分たちの実力を冷静に分析し、「勢いで立つ場所ではない」という意味のことを語っていたことに、私は静かに衝撃を受けていた。こんなに言いにくいことを、ファンたちの前ではっきりと言うなんて、正直すぎるだろう、と。
多くのアイドルは、今いる場所よりもっと大きなハコ(会場)を掲げることでファンを「煽る」のが当たり前だし、ファンは一緒に夢を追いかける喜びを感じて、「推し」(応援している相手。ここではアイドル)をさらなる高みへ押し上げようと奔走する。だから、アイドル自らがその旗をおろすことは、ファンの盛り上がりに水を差しかねない危険な行為なのだ。
Negiccoがそれをできたのは、ファンに必要以上の無理をさせず、息長く活動したいという彼女たちの思いに加え、自分たちが置かれた状況を俯瞰してみる力があるからだろう。
彼女たちは、新潟の特産品「やわ肌ねぎ」をPRするために結成された、当初は1カ月限定のはずだったアイドルグループだ。
全員が結成時からのメンバーだが、PRキャンペーンが終わり、4人から3人へのシフトチェンジ、所属事務所の解散を経て、空中分解してもおかしくない中、自分たちで振り付けを考え、カラオケボックスで歌いながら録音を聞いては練習を重ね、衣装は量販店の市販品でそろえていた時代があった。
現在でも、ライブのセットリスト(曲目)は自分たちで組んでいるという。アイドルは、グループによっては、プロデュースするのは周りの大人たちで、アイドル本人たちはプロデュースされることに徹することも多いが、Negiccoは明確に、自分たちの意思でNegiccoの未来を描き、ステージに立ち続けてきたからこそ、まっすぐにファンと向き合える強さがある。彼女たちの決断を、事務所を始め周りのスタッフが応援する態勢も彼女たち自身が勝ち取ってきたものだ。だからこそ、その噓のないひたむきな姿に、ファンが心を動かされるのだろう。
二つ目のキーワード、素朴さは、彼女たちのライブのMCやラジオでの語りによく現れている。飾らないし、しゃべるテンポもゆるい。ガツガツしていないし、言葉をかんだり言い間違えたりしたら、それだけでもゲラゲラ笑っている。
彼女たちを応援する地元の食品メーカーが提供してくれた日比谷野音のステージには、米どころ新潟を象徴する稲穂が並び、新潟市内の万代橋をかたどっていた。そう、彼女たちの強みは、新潟というホームを持っていて、それを前面に押し出していることだ。
現在はタワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」に所属し、メジャーで活躍しているが、拠点を新潟から移したことは一度もない。高校卒業を相次ぎ迎える頃には、Meguさんは決まっていた内定を蹴って新潟にとどまり、Kaedeさんは進学先の大学を変更して、新潟でならアイドルを続けられる、という状態をつくった。
東京への移動は当初から、片道5時間以上かけての車移動だったし、グループ名からイロモノのように見られることもあった。私の周りでも「ネギッコ」という音の響きでお笑い系のグループだと勘違いした人がいたのは事実だ。それでもNegiccoは18年、新潟を、やわ肌ねぎを背負ってきた。
現在、41歳の筆者がアイドルを追いかけるようになったのは、3歳頃、パレードで前を通ったジャニーズ事務所(当時)の「たのきんトリオ」野村義男さんに向かって「よっちゃーん」と叫んだのが始まり(だと親から聞いた)。
小学2年生の時から光GENJIにどハマリし、彼らの「卒業」までファンを続けた。その後は基本、ライブには行かない書斎派として、嵐に加え、ハロープロジェクトのBerryz工房(活動停止)、モーニング娘。、アンジュルム、こぶしファクトリー(解散)や、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incなどを局地的に応援する生活を続けてきた。
現在は、SixTONES、BEYOOOOONDSを応援している。そんなミーハーで気の多い人間が10年くらい、緩やかにハマり続けているのがNegiccoだ。
書斎派ではあるものの、Negiccoのライブには何度も足を運んでいる。買い物にきていた東京・亀戸の商業施設(当時)の屋外ステージで歌っているのを見かけて、思わず立ち止まったのが最初だった。ステージに向かってネギを振り回している20人ほどの集団の熱気が気になっていると、「ネギ アイドル」で調べた夫が「Negiccoっていうらしいよ」と教えてくれた。その後、テレビのバラエティ番組のエンディングテーマになった「圧倒的なスタイル」という曲で、Negiccoの虜になった。
東京出身の筆者にとって、彼女たちのように根を張れるホームがあることはとてもうらやましいし、あこがれでもある。会社員生活で計8年住んだ九州3県を勝手にふるさとのように思って、コロナ禍の前には毎年どこかの県に「帰省」していたのも、地方にも根をはりたいという願望の表れだ。
東京は出身地ではあるし、愛着はあるけれど、常に「オン」でいなければいけないような気持ちにさせられる。そんな心をほぐしてくれる彼女は、都会にいる私に「オフ」を与えてくれるし、新潟にゆかりのある人たちにとっては、地元を背負って東京で活躍する存在として、あこがれの対象になっている。
私が最近ハマっているジャニーズ事務所のSixTONESも、デビュー時に全員が事務所入所10年以上の苦労人たち。メンバーの一人、ジェシーが口癖のように言う「自分たちに期待しないんで」という諦念ともとれる言葉が、同じくアイドル歴の長いNegiccoたちの意識にも当てはまるのではないだろうか。
Kaedeさんが諦めずに二つの世界を持ったことが、転職もせずに20年近く会社員を続けている私にとってはまたさらなるあこがれでもあるのだ。
昨今、勤め人の副業解禁も話題となり、自分の空き時間に技能などを提供して希望者とマッチングさせるサービスなどもある。リモートワークが進む昨今の状況も追い風になり、二拠点生活や、都会から少し離れた場所を拠点にする「トカイナカ」暮らしがあこがれを持って語られるようになり、彼女たちのように地方を大切にする生き方が注目されている。
会社や仕事を一つに絞らなくてもいい。そんな時代のパイオニアとして、アイドルの枠を超えた生き方そのものが、Negiccoの魅力なのだろう。
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