お金と仕事
元プロ野球選手の転職先は…コンサル 逆算のセカンドキャリア
ヤクルトの中継ぎだった久古健太郎さん
元東京ヤクルトスワローズ投手の久古健太郎さん(34)は、高校、大学と伸び悩み、社会人野球1年目には、引退を考え始めていました。「やれることはやった」と肩の力が抜けた時、ドラフト会議で指名を受けました。その背景にあったのは、投球フォームの変更でした。32歳で戦力外通告を受けた後は、コンサルタントを志望するも、転職エージェントから「難しい」と一蹴。それでも諦めず、“独自の方法”で大手コンサル企業の内定を勝ち取った久古さんのセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
久古健太郎(きゅうこ・けんたろう)
小学生の頃の夢は甲子園出場でした。野球は小1で始め、小3の頃から自主的に夜に5キロのジョギングを日課にし、自分なりの努力をしていました。私は左利きです。左利きの場合はピッチャーになることが多く、私も例外ではありませんでした。
夢が叶ったのは国士舘高校2年の時です。2番手ピッチャーだった私が、なぜ甲子園球場のマウンドに立てたか。それは、対戦相手に左バッターが多かったから。左ピッチャーだったことでチャンスが巡ってきました。私は予選の試合では1度も投げず、甲子園のマウンドに立つことになりました。
これまで勝ち続けてくれた1番手ピッチャーのためにも「絶対に打たれてはいけない」と強い責任を感じていました。結果的に6回まで登板し1失点、先発投手としては合格点を得るものの、チームとしては敗退。
甲子園出場の夢は叶い、その達成感は計り知れないものでしたが、当時は試合に出るのがやっと。プロになれるなど微塵も思っていませんでした。
そんな私がプロを意識し出すのは、大学に入ってからです。青山学院大学の野球部で、年の近い先輩たちがドラフト会議で指名されるのを見て、「プロになるレベル」を知りました。
プロ入りする先輩らが大学4年間のリーグ戦で最低20勝は挙げる一方、私は通算3勝。当然、プロ野球球団からの声はかかりませんでした。
振り返ってみて、高校、大学時代は伸び悩んだ時期でしたね。小中学生までは好きなようにやっていましたが、高校では守備の弱さを指摘され、ほぼ毎日ノック(守備練習)を受けました。体力的にきついうえに、監督からはめちゃくちゃ怒られる……。本当に苦痛でした。
大学時代も練習についていくのに必死で、周りの選手との実力の差を感じ、落ち込む時もありました。
その時は苦しさ9割でした。でも今思うことは、高校でフィールディング(守備)を強化し、大学で体を作り上げたことが、プロになる道につながっていたということ。ピッチャーのエラーが大量失点につながるこのスポーツにおいて、学生時代に弱点を克服していたことは大きなアドバンテージとなりました。
就職活動が始まる大学3年生の時、私は野球の道に進むことを決めました。両親は私の意志を尊重してくれました。最終的な目標はプロになることだったので、社会人野球ができる環境を探しました。
内定をもらったのは日産自動車でした。前途洋洋の入社1年目、野球部に入部して2週間後のことです。神妙な顔をした野球部長や、普段見ないスーツを来た方々が突然部室にやってきました。
「ただごとではないぞ」という予想通り、突如、年内の野球部の休部が発表されました。リーマンショックのあおりを受けた経営不振が理由でした。やむを得ないことなので、納得はしましたが、やはり驚きました。
それでもすぐに立ち直れたのは、今後の所属先を監督がフォローすると言ってもらえたからでした。残された約1年を有効に使うべく、目標を立てることにしました。
本気でプロになることを考えた時、今の延長線では無理だと思いました。それではどうするか。行き着いた答えは「投球フォームを変えること」。上投げを、横投げに変更することを決断しました。
フォームの変更は大きな変化ですが、プロになるための逆算をした時、抜本的な変革が必要でした。その変革に適応できないのであればそれまでだと考えたので、迷いはありませんでした。
そうした決意の元で挑んだものの、思うように新フォームは定着せず、試合結果は散々でした。一向に効果が表れず、悩んだ日が半年近く続きました。それでも、日々実践と検証を繰り返し、微調整をしながら地道に反復を続けました。
いよいよ廃部が近づいた秋、周りのチームメイトが次々と移籍が決まる中、やっと私にも声がかかりました。受け入れてくれたのは日本製紙石巻野球部です。二つ返事で承諾し、2010年1月に移籍しました。
横投げの感覚をつかみ出したのは、移籍の前後でした。とはいえ、きちんと型に馴染むまでにはまだ時間がかかり、結果は引き続き振るわず……。野球引退後の人生がちらつき始めるも、まずは野球をさせてもらえるだけありがたいと思っていました。
結果はともかく、やれるだけのことはやっていた転職1年目の10月、ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから5位指名を受けたんです。「本当ですか!?」「これは現実ですか!?」と思いましたね。
今思うのは、それまで猛烈にプロになることを目指していた中、ふと肩の力が抜けた時にチャンスが舞い込んできたということです。高校時代からの積み重ねが、花開いた瞬間でした。
スワローズ時代、体調の浮き沈みがある中でも常にベストを尽くしました。私は中継ぎピッチャーだったので、いつ声がかかってもいいように、毎日の食事、体作り、心の準備を大切にし、登板時にピークにもっていくことを意識していました。
欠かさなかったことは対戦打者のリサーチです。スコアラーからもらった情報を元に、相手がどういった場面でどういった傾向が出るかのかの統計を取り、試合時にその答え合わせをしていました。
毎日必死だったので、引退後のことを考える余裕はありませんでした。現役時代に活躍した選手の多くはコーチになっていたので、自分もそうなれたらいいなという漠然とした願望くらいしかありませんでした。
引退後のキャリアを真剣に考え始めたのは、2016年に不整脈を患ってからです。ある日突然、練習中に発作が出ました。その後、試合中に何の前触れもなく発作が出ることもあり、「次はいつ来るか……」という不安を抱くようになりました。
練習で自分を追い込めない日が続き、その結果が試合成績にも表れ、2018年、32歳の時に戦力外通告を受けました。
当然悔しかった一方、どこかで「やっぱりな」という思いもありました。それでもすぐに野球はやめず、今の自分を受け入れてもらえる環境を探そうとトライアウトに挑戦しました。
結果、どこからも声がかからず。でも、自分の中で最後までやり切った感があり、前向きに引退することができました。
今後のキャリアを考えた時に思ったのは「社会に出て自分の価値を高めたい」ということ。将来、どこかに所属しなくても一人の人間として評価されたいと思うようになりました。
手始めに、インターネット検索で「キャリア 本」と入力し、興味ある本を読んでいきました。その本を読んでわからなかったことを解決するために、また別の本を読む、ネットサーフィンならぬ“ブックサーフィン”をし、情報を得ていきました。
その中で偶然手にしたのが、あるコンサルタントが書いた本でした。そこには「いち早くビジネススキルを習得するにはコンサルタントが良い」というような内容が書かれていて、32歳で社会人になる自分にピッタリだと思い、コンサル企業に興味を持ち始めました。
転職エージェントに数社登録し、面談をするも、勧められるのは決まって営業職。「元アスリートがコンサル企業に就職する前例がないため難しい」と言われ続けました。そこで、エージェントには頼らず、自力で就活をしようという気持ちが固まりました。
そこで、社会人の先輩方に話を聞きに行ったところ、「企業HPから直接エントリーした」という話を聞きました。確かにその方がよりダイレクトに思いが伝わると思い、真似をしました。
履歴書と職務履歴書の作成時、自分がどういうプロセスで野球が上手くなり、結果どうなったかを、具体的に、論理的に、簡潔にまとめて伝えることを意識しました。成長する要素は、スポーツでもビジネスでも同じということもアピールしました。
私は大学時代から「野球ノート」と命名したA4ノートに、その日にしたこと、明日すること、何を目標にしているかを毎晩書き綴っていました。その習慣もあり、書くことに抵抗はありませんでした。その結果、応募した30社のうち、約10社の書類選考が通りました。
面接の練習は、繰り返ししましたね。妻に面接官の役をお願いし、面接練習の様子を録画。姿勢や表情をはじめ、話し方、話す内容を確認し、修正をくり返して本番に望んだところ、6社から内定をいただくことができました。
最終的に、現在勤めているデロイト トーマツ コンサルティングに決めたのは、個人のスキルをいち早く身につけることが出来る環境だと思えたのと、今後スポーツに関する仕事にも力を入れていくという展望に惹かれたからです。
2019年2月に就職をし、丸2年が過ぎました。入社して3年は、今後成果を上げて社会と会社に貢献するための準備期間と捉えています。現在は、業務に必要不可欠な語学、ITスキル、論理的思考を徹底的に身につけているところです。
現在の主な仕事内容は、プロジェクト管理やマーケティング領域のコンサルティング業務です。具体的には、某Jリーグサッカークラブのファンを増やす「ファンエンゲージメント向上プロジェクト」や、クライアントである官公庁との仕事を担当し、スポーツ以外の知識や経験をも積んでいるところです。
敢えて野球の経験が生かせない世界で勝負したいと思い、この職を選びました。でも実際に働いて思うのは、スポーツを通して身についた「目標を明確に持ち、逆算して動くこと」と「結果にコミットするマインド」が生きていることです。
現役アスリートの方に伝えたいことは、引退後の社会において、自分の努力次第でいくらでも可能性は広がるということ。固定観念を捨て、自分のベストを尽くしてみてください。その結果を素直に受け止めることで、チャンスは巡ってくると思います。
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